債務超過に陥ったケンウッドの再建と業務用・車載への事業転換
創業事業の民生オーディオをどこまで残し、成長事業の携帯電話をなぜ手放したか——外部から招いた河原春郎氏の選別
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- 概要
- 2002年、3期連続の最終赤字で連結170億円の債務超過に陥った音響メーカーのケンウッドが、東芝・投資ファンド出身の河原春郎氏を社長に迎え、経営陣のほぼ総退陣と大規模なリストラに踏み切った経営判断。取引金融機関による債務の株式化で財務を立て直し、赤字の家庭用オーディオを縮小、成長事業だった携帯電話端末からは撤退して、黒字を稼ぐ業務用無線とカーエレクトロニクスへ経営資源を集めた。
- 背景
- 1990年代のケンウッドは高級ホームオーディオへの依存が深く、低価格化の波と価格競争で本業の採算が悪化した。1995年には為替予約の失敗による損失も重なり、83年5月期以来の無配へ転落。小出しの再建策を繰り返すうちに赤字が続き、2002年3月期には最終赤字266億円・連結170億円の債務超過に至った。
- 内容
- 2002年5月の記者会見で、就任1年の中野宏社長ら12人の役員のほぼ全員が退き、東芝顧問を経てリップルウッドで日本コロムビアの再建を手がけた河原春郎氏が社長に就いた。海外3工場の閉鎖・売却、全従業員の3割にあたる2,700人の削減、家庭用オーディオの大幅縮小を打ち出し、9月にはあさひ銀行(のちりそな銀行)による債務の株式化で年内に債務超過を解消した。
- 含意
- 河原氏は、赤字でも「音の技術」を自社の核とみて家庭用オーディオの中・高級品を残す一方、収支が均衡していた携帯電話端末を投資リスクの大きさから切り、無線・車載へ資源を寄せた。就任1年後の2003年3月期は営業・経常・純益とも過去最高となり、この選別が2008年の日本ビクターとの経営統合を主導する足場となった。
創業事業への愛着と、それを選別する冷徹さ
この再建で目を引くのは、赤字部門を一律に切る手法ではなく、稼ぐ事業と失う事業を仕分けたうえで、赤字でも自社の核とみた家庭用オーディオを残し、収支の均衡していた携帯電話をあえて手放した選別の順序にある。会社の内側から見れば、どの事業が稼ぎ、どの事業が失っているかは早くから見えていた。それでも家庭用オーディオから退けなかったのは、社員が「オーディオメーカーとしてのケンウッド」に憧れて入った、創業事業への愛着があったからだと当時の関係者は語る。外部から来た経営者であればこそ、その愛着を保ちながらも数字で選別できたとみることができる。
もっとも、業務用無線と車載への転換は、単独のケンウッドを再び高い成長軌道に戻すには至らなかった。成熟したAV業界で規模を確保する道は、2008年の日本ビクターとの経営統合を経て、より大きな再編のなかに置かれていく。危機に瀕した企業が、何を捨て何を残すかをどんな順序で決めるか——2002年のケンウッドの選別は、成長分野に見えた事業を切り、斜陽に見えた本業の一部を残すという、直感とは逆の判断が再建の出発点になり得ることを示している。その判断を下せる人材を、どこから連れてくるかという問いも、あわせて残した。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
高級オーディオ依存と1990年代の採算悪化
ケンウッドは、ラジオの選局用コイル製造を源流とし、高級ホームオーディオで名を高めた音響メーカーである。1990年代に入ると、その中核だった家庭用オーディオの採算が崩れ始めた。市場の売れ筋は10万円以上の高級機種から、5万円・6万円以下、やがて4万円台の低価格モデルへ移り、他社との価格競争が激しくなった。ライバルのアイワが早くから海外生産で低コスト品を送り出し、業界で「アイワ化現象」と呼ばれる価格破壊が広がるなかで、ケンウッドの本業の利益率は下がっていった[1]。
追い打ちをかけたのが財務の失敗であった。1995年、円高が進むなかで為替予約のタイミングを誤り、輸出入あわせて中間期に42億円以上の利益を失った。岡誠社長は1995年9月中間期に39億円の経常損失を計上し、96年3月期通期は連結70億円の赤字となる見通しから、1983年5月期以来の無配を決めた。岡社長は本業の弱さを埋める柱として携帯電話・PHSなど通信機器の育成を掲げ、2000年までに通信機器の売上を全体の半分へ引き上げる方針を示していた[2]。
3期連続赤字と連結債務超過への転落
岡社長が掲げた通信機器への傾斜は、財務の傷をすぐには癒やさなかった。ケンウッドはその後も毎年のように小出しの再建策を打ち出しては市場の期待を裏切り、赤字が続いた。2002年3月期には、最終赤字が266億円へ膨らみ、連結で170億円の債務超過に転落した。売れ筋を高級機から低価格機へ移せなかった家庭用オーディオが赤字の元凶であり、成長分野として増強してきた携帯電話端末も、収支は均衡する程度で会社を支えるには至らなかった[3]。
事業別に見ると、赤字は家庭用オーディオに集中していた。2002年3月期の音響事業の売上2,184億円のうち、家庭用が約800億円、車載が約1,200億円を占め、音響事業全体では20億円の営業赤字ながら、車載部門だけなら約50億円の黒字であった。家庭用の約70億円の赤字が全体を押し下げ、無線・トランシーバーの通信部門は81億円の営業利益を稼いでいた。どの事業が稼ぎ、どの事業が失っているかは、社内では早くから見えていた。踏み込めなかった理由は、社員が「オーディオメーカーとしてのケンウッド」に憧れて入社したという、創業事業へのこだわりにあったと当時の筆頭株主は語っている[4]。
決断
外部からの社長招聘と大規模リストラ
2002年5月24日の記者会見で、ケンウッドは再建に向けて大きく動いた。就任1年の中野宏社長は引責辞任し、12人の役員のうち留任は1人のみという、経営陣のほぼ総退陣であった。代わって社長に就いたのが、東芝で重電技術から総合企画部長・常務を歴任し、退任後は投資ファンドのリップルウッドで日本コロムビアの分割やデノンと日本マランツの経営統合を手がけた河原春郎氏である。会見では、海外3工場の閉鎖・売却、全従業員の3割にあたる2,700人の削減、赤字の家庭用オーディオの大幅縮小、給与の平均15%カットが同時に示された[5]。
170億円という連結債務超過への転落は、単なる決算の結果にとどまらなかった。あえて巨額の債務超過をさらして「もう引き返せない」という覚悟を社内に植えつける、ショック療法の意味合いも帯びていた。河原氏は就任前から、東芝やリップルウッドでの経験を通じてケンウッドの内情をある程度知っており、低価格帯品では東南アジアや中国との競争が厳しい一方、高価格帯品なら日本メーカーが相手で勝機はあるとみていた。財務の立て直しでは、16の取引金融機関を回って返済計画をまとめ、9月にあさひ銀行(のちりそな銀行)による債務の株式化を取り付けて、年内に債務超過を解消した[6]。
何を残し、何を切ったか——事業の選別
再建の核心は、伸ばす事業と畳む事業の選別にあった。河原氏は自ら振り返って、社長就任後の改革を4つに整理している。第一が、成長分野とされた携帯電話端末をやめ、赤字続きの家庭用オーディオをあえて残したこと。携帯は収支が均衡していたものの、事業リスクが大きく、ケンウッドの規模で消化できる分野ではないと判断した。逆に家庭用オーディオは、音の技術こそ自社の核であり、成熟産業ゆえに新規参入が少なく退出者が毎年出ると読んで、不採算の低価格帯からは退きつつ中・高級品を残した。第二にコスト、第三に本社・工場・販社の役割分担、第四に財務の構造改革が続いた[7]。
携帯電話端末からの撤退は、主力生産拠点だった山形工場の存続を直撃した。撤退で山形に残った仕事は無線機の一部生産のみとなり、400人いた従業員は2002年秋には約3分の1へ減って、工場は閉鎖を首の皮一枚で免れる状態に追い込まれた。河原氏はここで「本当にすべて海外で作るのが最適なのか」と問い直し、東芝出身の永友武雄氏を非常勤取締役に招いて生産革新本部を設けた。原材料費が製造コストの7割を占めるポータブルMDプレーヤーの生産をマレーシアから山形へ戻し、在庫を持たない市場連動型生産を敷いて、瀕死の工場をアジアの工場にコストで勝つ拠点へ生まれ変わらせた[8]。
結果
就任1年で過去最高益、業務用・車載への転換
一連のリストラと事業選別は、早い段階で数字に表れた。河原氏の社長就任から1年後、2003年3月期(2003年度)は営業利益・経常利益・純利益のいずれも過去最高となり、連結債務超過も解消した。給与カットは2004年4月から元に戻され、河原氏は「昔の後始末は終わった」として、商品・技術開発やブランド構築へ資金を振り向ける段階に入ったと語った。稼ぎ頭は、赤字の家庭用オーディオではなく、黒字を続けてきた業務用無線とカーエレクトロニクスであった[9]。
事業の中心は、この再建を境に民生機器から業務用・車載へ移った。河原氏はリストラを財務・事業の建て直しにとどめず、その先に業界再編を見据えていた。成熟したAV業界ではプレーヤーが整理・統合され、そこで主導権を握る会社が生き残るという読みである。この構想は、2007年から2008年にかけて、パナソニック傘下からの独立を模索していた日本ビクターとの経営統合へつながった。ケンウッドの再建を果たした河原氏が統合体JVCケンウッドの会長として舵取り役となり、無線・車載を軸とする事業構造は統合後にも受け継がれた[10][11]。
- 日経ビジネス 1995年11月20日号「岡誠氏[ケンウッド社長]軌跡 為替予約ミスで無配転落 通信機器分野の育成急ぐ」
- 週刊東洋経済 2002年6月8日号「AV業界大リストラで本格再建へ ケンウッドが示した本気」
- 週刊東洋経済 2002年12月21日号「トップの履歴書 ケンウッド社長 河原春郎 豊富な経験を武器に再建狙う」
- 週刊東洋経済 2004年7月3日号「山形ケンウッド『奇跡の生還』閉鎖寸前の国内工場がアジアにコストで勝った!」
- JVCケンウッド 有価証券報告書【沿革】