日本国有鉄道 生産性向上運動の中止 全国展開した労使協調路線の、不当労働行為認定による撤回
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1970年、日本国有鉄道が財政再建の自助努力の柱として生産性教育を全国で始め、1年半後に公共企業体等労働委員会から不当労働行為と認定され、磯崎叡総裁が陳謝して中止した経営判断。
- 背景
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1964年度に赤字へ転じ、1969年度には償却前赤字を生じた。累積欠損は1971年度末に8200億円へ達する見込みで、財政再建促進特別措置法のもと国鉄自身の企業努力が求められていた。
- 内容
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日本生産性本部への一部委託と中央鉄道学園での教育を柱に、1970年度だけで教育予算約120億円の相当部分を投じ、年間のべ約30万人、職員総数の65%にあたる規模の生産性教育を行った。
- 含意
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現場では国労からの脱退工作が起き、公労委は5件を不当労働行為と認定した。運動は中断し、以後の労使関係では組合側が優位に立った。
いつ何が起きたか 9件
筆者の見解
筆者の見解
投資効果を、誰の頭数で測ったか
教育に投じた金の効果を出せという指示が、国労からの脱退者の頭数へ翻訳された時点で、この運動は別のものになっていた。1970年度に約30万人、職員の65%へ届いた生産性教育は、当局にとっては財政再建の自助努力を職員の意識の側から支える手立てであった。しかし苗穂工場で職場長らに示されたのは、意識の変化ではなく、工作局長が来るまでに何名を脱退させるかという期限つきの数であり、鉄労との勢力逆転という目標であった。
もっとも、公労委が裁いたのは当局の行為であって、労使のどちらの主張が正しいかではない。当局は運動を中止し、現場管理者には不信が残り、組合は自らの力を測り違えた。労使双方に残った深い傷跡は、この両方を指していただろう。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
業績の推移
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参考文献
- 一人ひとりがつくる労働組合を:国鉄マル生と国労運動の発展(1971年)
- 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
- 日経ビジネス 1976年4月12日号
- 日経ビジネス 1990年6月18日号
- 日本国有鉄道監査報告書 昭和54年度