築港工場・堺工場の閉鎖(1986年・カナデビアの決断)

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論点雇用維持と人員削減を両立できるか
カナデビア:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
100社近い新会社への人員の移籍と、本体従業員の約8割削減

何をなぜ決めたか:100社近い新会社への人員の移籍と、本体従業員の約8割削減

概要

日立造船は1985年、第2次の合理化計画を労働組合に示した。1979年のタンカー不況時に続く2度目の合理化で、人員の大幅な削減と工場の生産集約を主な内容とした。1986年10月には第二次経営合理化策が広島県の因島市と向島町に伝わり、造船所を抱える町に驚きと怒りが広がった。計画を進めたのは、1983年6月に社長へ就任した村山利雄氏の経営陣である。

合理化と組で進めたのが分社である。1985年から1987年ごろにかけて100社近い新会社を設立し、本体の従業員を1万7,000人から6,000人へ減らす際の移り先とした。人員は大幅に減らしても、技術者は分社した会社の中に残した。

背景

1度目の合理化は永田敬生氏の社長時代にある。1976年度から1979年度までの4年間、日立造船は大学・高専・高校の新卒採用を止めた。1978年の造船不況では希望退職を募集し、1,902人が会社を去った。移り先として、関連会社は永田敬生氏の社長就任時の2社から20年間で67社に増加していた。永田敬生氏は1983年に、自らの決断が『1902人とその家族の運命を変えたのです』と明かしている。

2度目を迫ったのは、円高と造船不況の重なりである。株式売却益を除いた実質の経常赤字は、1985年度に728億円、1986年度に969億円、1987年度に687億円に達した。1985年3月期の単体売上高では、新造船がすでに24%まで下がり、機械・原動機の27%を下回っていた。

内容

設備の削減は工場の閉鎖として進んだ。日立造船は1986年7月に築港工場を、1987年1月に堺工場を閉鎖した。堺工場は1965年7月に操業を開始した、超大型船の建造拠点であった。

業界でも設備の処理が進んだ。1987年に特定船舶製造業経営安定臨時措置法が施行され、日立造船は名村造船所・内海造船と1つのグループにまとまった。この集約で、国内の新造船設備は1987年4月の73船台から47船台へ、23.6%削減された。日立造船は数百億円の赤字を埋めるために、主力の有明工場を子会社へ売却する措置までとった。

含意

本体の人員は数年で大きく縮んだ。第1次石油危機の直前に約2万4,000人いた社員は、1986年に1万2,000人、1988年には4,600人となった。約8割の減少である。受注額は1987年度に1,700億円まで減少したのち、1990年度には4,100億円へ回復した。経常損益は1989年度に黒字へ転じた。

再建の仕上げは、外から来た経営者が担った。1988年6月、三和銀行副会長だった藤井義弘氏が社長に就任した。1990年1月には大阪市江戸堀の本社ビルを売却し、借入金の返済に充てた。藤井義弘社長は、人員削減に至った経緯について『1万人以上の社員を減らさなければならない状態に会社を追い込んだ経営責任は免れないですよ』と認めている。

いつ何が起きたか12件
考察:雇用を守る順番が速度を決めた
考察

考察:雇用を守る順番が速度を決めた

なぜ解雇ではなく、分社による人員の移籍だったのか。日立造船は1978年に希望退職で1,902人を送り出し、その経験が経営陣に重く残っていた。新会社を設立して人を移せば、本体の固定費を減らしながら、技術者をグループの中に残せる。雇用への責任と収益の回復を同時に満たすには、100社近い新会社をつくる方法が最も現実的だったと思われる。永田敬生氏の時代に関連会社を67社まで増やした手法を、規模を拡大して繰り返したともいえる。

もっとも、人を移すだけでは造船の赤字は止まらなかった。株式売却益を除く経常損益は、1986年度に969億円の赤字まで拡大した。主力の有明工場を子会社へ売却する措置まで必要になったのは、削減の速さが損失の広がりに追いつかなかったためだろう。合理化策が伝わった因島市と向島町に驚きと怒りが広がったのも、1985年の計画から数年にわたって削減が続いたことと無関係ではない。

合理化は成功した判断であった。社員は1988年に4,600人まで減少し、経常損益は1989年度に黒字へ転換した。1990年度の受注額は4,100億円と、1987年度の1,700億円の2倍を超えた。技術者を分社した会社に残したことで、船の需要が戻った局面で受注を取り込めた。ただし、その代価は大きい。約2万4,000人いた社員の約8割が本体を離れ、後任の藤井義弘社長は経営責任を認めた。雇用を守る順番を優先した分、本体は小さくなった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
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図と表

カナデビア:単体売上高と経常損益の推移

売上高(億円)

実質の経常赤字は1987年3月期に969億円まで拡大

カナデビア:単体売上高と経常損益の推移
(億円)売上高経常利益株式売却益を除く経常損益備考
1982年3月期4,840132−
1983年3月期5,011170−
1984年3月期4,033120−
1985年3月期4,20378−単体売上高で新造船24%、機械・原動機27%
1986年3月期−−△728会社年鑑の該当版が手元に無い。1985年に第2次合理化計画を提示
1987年3月期−−△9691986年10月に合理化策が地元へ伝わり、1987年1月に堺工場を閉鎖
1988年3月期−−△687受注額は1,700億円まで減少
出所:会社年鑑(1986年版・単体業績)(1982〜1985年3月期) / 日経ビジネス 1993年10月11日号「日立造船。年功廃止でリストラ加速 新社風づくりへ改革続く」(株式売却益を除く経常損益。85〜87年度)
出所:会社年鑑(1986年版・単体業績)(1982〜1985年3月期) / 日経ビジネス 1993年10月11日号「日立造船。年功廃止でリストラ加速 新社風づくりへ改革続く」(株式売却益を除く経常損益。85〜87年度)
参考文献

参考文献

参考
  • 日経ビジネス 1993年10月11日号
  • 日本経済新聞 1986年10月23日(中国A)
  • 日経ビジネス 1983年10月31日号
  • 日経ビジネス 1999年7月5日号
  • 日経ビジネス 1991年10月7日号
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)第5章「永田社長時代の経営その2」第2節「戦略経営の展開」4.減量経営の実施
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
  • 会社年鑑(1986年版)
  • 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社, 1994年)「造船・重電 省力化、合理化進む」
  • 会社年鑑(1986年版・単体業績)(1982〜1985年3月期)
  • 日経ビジネス 1993年10月11日号(株式売却益を除く経常損益。85〜87年度)
  • 日立造船 有価証券報告書「第109期(2006年3月期)【沿革】」
  • 日立造船 社史「日立造船百年史(1985年)第5章「永田社長時代の経営その2」第2節「戦略経営の展開」」

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