永田敬生

カナデビア・元取締役社長

(敬称略)

Nagata Takao

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生年月日
学歴 長崎高等商業学校
出自
出自
1911年に熊本で生まれ、1933年に長崎高等商業学校を卒業した。翌1934年に日立造船へ入社し、取締役に届いたのは入社17年目の1951年である。1953年に常務取締役、1959年に専務取締役、1960年11月に取締役副社長へ進み、1962年11月に取締役社長へ就いた。入社から社長まで28年、副社長から社長までは2年しかかかっていない。
抜擢
前任は松原與三松氏で、1960年版の要覧では取締役社長として載る。松原氏は1962年11月に取締役会長へ移り、日立製作所の取締役を1967年11月まで兼ねた。永田敬生氏の社長就任は51歳で、当時の造船大手としては若い就任であった。就任前年度の1962年3月期の単体売上高は435億円である。親会社の役員が会長へ退き、生え抜きが執行を受け取る形の交代だったとみられる。
施策
1964年3月、大阪府堺の臨海工業地帯に総工費150億円で新造船所を着工し、長さ400メートルのドックを構えた。1966年4月の竣工にあわせ、発祥の地である桜島工場は造船から撤収した。1974年10月には50万重量トン型を扱う有明造船所が完成し、建設費は関連工事を含め420億円に達した。石油危機で需要が消えると、1975年度からの2カ年で間接人員1,260人を削る計画を出した。単体売上高は1962年3月期の435億円から1979年3月期の2,577億円になった。
評価
執筆予定
就任前(FY61)435億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 20世紀日本人名事典/デジタル版 日本人名大辞典+Plus「永田敬生(ながた たかお)」 読み
  • 日本企業要覧 1979年版 経歴・学歴・出身地・生年・出自
  • 日経ビジネス 1975年9月1日号「日立造船 高度成長の咎うける『総論経営』」 経歴

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