木下昌雄

カナデビア・元取締役社長

(敬称略)

Kinoshita Masao

更新:

生年月日
学歴 東京大学工学部船舶工学科
出自
出自
1914年に東京で生まれ、1937年に東京大学工学部船舶工学科を卒業した。1940年に東京大学の助教授となり、1949年に日立造船へ入社している。1964年11月に取締役、1967年11月に常務取締役、同年12月に技術本部長、1973年11月に取締役副社長へ進み、1979年6月に取締役社長へ就いた。学界から移った船舶工学の技術者が、技術本部を率いて社長に届いた経路であった。
抜擢
1979年6月、永田敬生氏の後任として取締役社長に就任した。永田氏は取締役会長として残り、当時は院政説が語られている。木下昌雄氏は就任にあたり、造船業界は大変な難局に直面しているが、社長の取るべき態度としては突き詰めてやらず「泰然として難を処す」考えだと述べた。就任前年度の1979年3月期の単体売上高は2,577億円で、前期の3,449億円から872億円減っていた。
施策
就任翌年度の1980年3月期は単体経常利益が6億円まで落ちた。前期の73億円から67億円減っている。その後は1982年3月期に単体売上高4,840億円・経常利益132億円、1983年3月期に5,011億円・170億円まで戻した。稼ぎ口は造船の外へ移り、1981年の時点で子会社の日立造船エンジニアリングは都市ごみの焼却設備、産業廃棄物・廃水処理設備、地域冷暖房設備を手がけていた。のちに主力となるごみ焼却発電は、この時期に子会社の側で育っていた。
評価
執筆予定
就任前(FY78)2,577億円
退任時(FY04)3,377億円
変化(26カ年)+31%
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1979年版 経歴・学歴・出身地・生年・出自
  • 日経ビジネス 1979年7月2日号「新社長登場 木下昌雄氏(日立造船)」 経歴

免責事項およびポリシー