堺工場マンモスドック建設(1964年・カナデビアの決断)

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論点超大型船の建造設備に投資するか
カナデビア:業績の推移
売上高(億円)当期純利益率(%)
超大型船の建造拠点の新設と、発祥の桜島工場の造船からの撤収

何をなぜ決めたか:超大型船の建造拠点の新設と、発祥の桜島工場の造船からの撤収

概要

1964年3月、日立造船は大阪府堺市の臨海工業地帯で新しい造船所の起工式を行った。1965年7月16日、起工式から478日目に操業を開始し、1966年4月11日に創業85周年の記念式典とあわせて竣工を祝った。起工と操業を率いたのは1962年11月に社長へ就任した永田敬生氏である。用地の取得と建設の原則は、前任の松原與三松社長の時代に決まっていた。

堺への集中は、発祥の工場からの撤収と組であった。1900年に開いた桜島工場は、堺工場の完成とともに陸上機械の専門工場へ転じた。桜島では、船舶部門を堺工場へ移すにあたり、最後の進水式を行った。

背景

1960年5月、日立造船は大阪府知事から堺臨海工業地帯への工場建設を求められ、6月の常務会で用地の分譲を申し込むと決めた。そのころ日立造船の最大の建造設備は、因島工場にある6万5,000重量トンの船台1基であった。桜島工場は地盤沈下が年10センチほど続き、因島工場も立地から敷地を広げる余地が乏しかった。桜島工場は安治川の川幅にも制約され、大型化する船に対応できなかった。

船の大型化は国の計画からも読み取れた。1960年12月の所得倍増計画に対応する船腹の拡充計画は、10年間で970万総トンの新造を見込み、その80%を大型専用船とした。大型船の新工場では、三井造船の千葉と石川島播磨重工業の横浜が先行し、三菱造船も長崎に20万トンドックを計画していた。

内容

用地は1961年10月に大阪府と売買契約を締結した76万平方メートルで、桜島・因島・神奈川の3工場の敷地を合わせた広さにほぼ等しい。1962年2月の常務会は、超大型船の新造・修繕と大型陸機の製作、段階的な建設、建設費の抑制などを5原則として定めた。新造船部門の建設資金は当初の139億円から160億円に増加し、1953年から1962年までの10年間の設備投資額192億円に近い額となった。

中核は長さ400メートル・幅56メートルのドックで、25万トン級の船を建造できる。ドックの奥で次の船の船尾を組みながら手前で1隻を仕上げ、同時に1隻半を造るセミ・タンデム方式を採り、進水の間隔を4〜5カ月から2カ月に縮めた。鋼材の陸揚げからドックまでを流れ作業で結び、従来の造船所の約半分の人数で作業できる設計とした。

含意

堺工場は会社の拡大を担った。単体売上高は起工した1964年3月期の471億円から、1969年3月期には1,360億円に増加した。1967年4月には最初のVLCCとなる20万6,937重量トンのマリサ号の建造に入った。1971年の堺工場は年間生産高350億円、従業員3,000人の規模で、23万重量トン型タンカーを年5隻建造していた。

ただし、船の大型化はそこで止まらなかった。1972年3月には2号ドックを75メートル延ばして3分割建造方式を採り、1973年4月には有明工場が操業を開始した。堺工場は有明工場の立ち上げを支える母体の工場へ役割を移した。旧堺工場の跡地には、1993年10月に鉄構を造る新しい堺工場が建った。

いつ何が起きたか12件
考察:発祥の工場を閉鎖して大型船へ
考察

考察:発祥の工場を閉鎖して大型船へ

なぜ既存工場の拡張ではなく、新工場だったのか。桜島工場は地盤沈下と安治川の川幅に縛られ、因島工場も敷地を広げる余地が乏しかった。船の大型化に追いつくには、別の土地に大型のドックを一から構えるしかなかったと考えられる。そのうえで日立造船は、発祥の桜島から造船を引き揚げ、人と資金を堺に集中した。新造船部門だけで過去10年の設備投資額に近い160億円を投じたのは、後戻りのできない選び方であった。

もっとも、大型化の競争に乗れば、設備は次々に古くなる。堺のドックは25万トン級を前提に造られたが、1967年には20万トンを超えるVLCCの建造が始まり、1972年にはドックを75メートル延ばして3分割建造に移った。翌1973年には有明工場が操業を開始し、大型船の主役はそちらへ移った。大型船に対応する投資は、より大きな次の投資を呼び込む構造を初めから抱えていたのだろう。

堺工場への投資は、部分的に成功した判断であった。単体売上高は1964年3月期の471億円から5年で1,360億円へ伸び、1971年の堺工場は年間生産高350億円を担った。成長期の受注拡大には、確かに応えている。一方で、このドックが最大の船を造る拠点だった期間は短い。有明工場の操業後、堺工場は母体の工場へ役割を移し、跡地には1993年に鉄構の工場が建った。堺は高度成長期の需要には応えたが、長く使い続ける設備にはならなかった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
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図と表

カナデビア:単体売上高と当期純利益の推移

売上高(億円)

起工した1964年3月期の売上高471億円は、5年後に1,360億円へ拡大

カナデビア:単体売上高と当期純利益の推移
(億円)売上高当期純利益備考
1959年3月期352−上場会社総覧の半期合算
1960年3月期346−上場会社総覧の半期合算。6月に堺の用地申込を決定
1961年3月期374−会社年鑑の半期合算
1962年3月期435−会社年鑑の半期合算。1961年10月に用地を取得
1963年3月期470−会社年鑑の半期合算
1964年3月期47119会社年鑑の半期合算。1964年3月に堺工場を起工
1965年3月期73022会社年鑑の半期合算
1966年3月期74821会社年鑑の半期合算。1965年7月に堺工場が操業開始
1967年3月期938191966年4月に堺工場が竣工
1968年3月期1,14119
1969年3月期1,36023
出所:上場会社総覧(1961年版)(1959・1960年3月期) / 会社年鑑(1963年版・1967年版・1971年版)(1961〜1969年3月期)
出所:上場会社総覧(1961年版)(1959・1960年3月期) / 会社年鑑(1963年版・1967年版・1971年版)(1961〜1969年3月期)
参考文献

参考文献

参考
  • 日立造船「堺工場竣工・創業85周年」(日立造船, 1966年)
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)第4章「永田社長時代の経営その1」「堺工場の建設と拡充」
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)歴代社長
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)歴代社長/第3章「松原社長時代の経営その2」「堺に新工場の建設決定」
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)第4章「永田社長時代の経営その1」「船台・ドックの閉鎖」「堺工場の建設と拡充」
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)第3章「松原社長時代の経営その2」「堺に新工場の建設決定」
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)第4章「永田社長時代の経営その1」「船台・ドックの閉鎖」
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)第3章「松原社長時代の経営その2」「堺に新工場の建設決定」/第4章「永田社長時代の経営その1」「堺工場の建設と拡充」
  • 会社年鑑(1967年版・1971年版)
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)第4章「永田社長時代の経営その1」「堺工場の建設と拡充」/年表
  • 日立造船百年史(日立造船, 1985年)年表
  • 上場会社総覧(1961年版)(1959・1960年3月期)
  • 会社年鑑(1963年版・1967年版・1971年版)(1961〜1969年3月期)
  • 日立造船 社史「堺工場竣工・創業85周年」
  • 日立造船 社史「日立造船百年史(1985年)第3章「松原社長時代の経営その2」・第4章「永田社長時代の経営その1」」
  • 日立造船 有価証券報告書「第109期(2006年3月期)【沿革】」

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