江戸川工場閉鎖と電炉化(1977年・東京製鐵の決断) 更新:2026/07/23 論点 平炉から電炉へ全面転換するか 東京製鐵:業績の推移 売上高(億円)経常利益率(%)データ出所 岡山工場の平炉停止とあわせて進めた電炉一貫体制への移行 何をなぜ決めたか:岡山工場の平炉停止とあわせて進めた電炉一貫体制への移行 概要 1977年12月に岡山工場の平炉が操業を止め、1978年1月に江戸川工場が閉鎖され、同年4月に岡山工場へ第1号・第2号の140トン電気炉が入った経営判断。重油でくず鉄を溶かす平炉から電気炉への転換と、首都圏の旧拠点の整理が同時に進んだ。 背景 平炉は窒素酸化物の排出などの公害対策で維持が難しくなり、石油ショック後は熱源としての経済性も電力に逆転された。加えて東京製鐵は1975年11月期から3期続けて経常赤字を計上し、1977年11月期の経常損失は24億円に達していた。電炉業界は1978年7月に構造不況業種の指定を受けた。 内容 池谷正成社長は1976年、岡山工場の全面的なスクラップ・アンド・ビルドを前に 『15年先でも最新鋭と呼ばれるような工場を作れ』 と担当者へ指示した。1978年4月に完成した電気炉は年産120万トンの粗鋼をくず鉄から生み、小棒工場と中形形鋼の新設を含めた2年間の設備投資額は220億円に達した。 含意 改修前の粗鋼生産能力は重油を燃料とする平炉で年産60万トンであり、能力は一挙に2倍になった。従業員数は1,200人と改修前から増えず、1人当たりの粗鋼生産量は1,000トンと従来の2倍に上がった。赤字決算の年に投じた設備が、1978年11月期の黒字復帰と重なった。 いつ何が起きたか 8件 考察:不況の底で炉を替えるという型 考察 考察:不況の底で炉を替えるという型 この判断の中身は、平炉を電気炉に替えたことそのものよりも、替える時期の選び方にあったとみられる。公害規制と燃料費の逆転で平炉の寿命が尽きるのは、遅かれ早かれ避けられなかった。ところが東京製鐵は、3期続けて経常赤字を計上している最中に220億円を投じ、需要が戻る前に工事を終えている。設備の廃棄を求める構造不況業種の指定と、新規投資を制限する法律に対して不服を申し立てながら、同じ時期に自社の炉を入れ替えていた点に、この会社の判断の順序が表れている。 結果としては、完成の時期が需要の回復と重なり、1978年11月期には経常利益107億円へ戻った。市況の谷で炉を替える手順は、当たれば能力を倍にし、外れれば償却負担だけが残った。1978年の岡山工場は、その振れ幅の片側にあたる。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 参考文献 参考文献 参考日経ビジネス 1979年3月12日号日経ビジネス 1979年11月5日号日経ビジネス 1991年5月13日号日経ビジネス 1993年12月20日・27日号日経ビジネス 1998年4月6日号東京製鐵 有価証券報告書【沿革】会社年鑑(日本経済新聞社)掲載の東京製鐵 単独業績 次に読む決断 東京製鐵の意思決定1971年東京製鐵東京製鐵大丸製鋼を吸収合併全株式を取得済みだった子会社の取り込みと、九州工場の開設1971年1991年東京製鐵東京製鐵岡山工場で熱延帯鋼へ参入高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入1991年同じ問い:構造改革による選択と集中1999年住友金属工業住友金属工業和歌山製鉄所を再建熱間圧延ラインの休止を含む、主力製鉄所の身の丈に合わせた立て直し1999年2017年神戸製鋼所神戸製鋼所神戸製鉄所の上工程休止加古川製鉄所への一貫工程の集約2017年1991年東ソー東ソーエチレン増設と事業撤退バブルをまたいだ強気拡張と反動、10事業の整理と塩ビへの選別再投資1991年1998年沖電気工業沖電気工業DRAM事業から撤退量産競争から降りたうえでの、半導体事業そのものの売却1998年2002年KDDIKDDIauのCDMA一本化とPDC除却二方式併走の解消と稼働中設備1,283億円の一期での償却2002年 × 出所