大和工業 の歴史

更新: Author:

創業 1944年
創業者 井上浅次
創業地 兵庫県姫路市
創業
1944年11月、井上浅次氏が兵庫県飾磨郡御国野村(現・姫路市)に資本金19万8千円で川西航空機の姫路地区協力工場を創立した。終戦の1945年8月に軍需の発注先を失い、国鉄と各私鉄向けの軌道用品の製作・修理へ全面転換する。1956年7月に仁豊野工場で鋼塊の製造を始め、1959年11月には自社製のエルー式15トン電気炉を据えて素材を内製へ切り替えた。1960年4月に大形圧延工場が完成して軌道付属品の一貫メーカーとなり、1961年10月に東京・大阪の両取引所市場第二部と神戸証券取引所へ上場している。
決断
海外へは単独で出ず、現地で最も強い相手との合弁でしか入っていない。1987年2月の米ニューコアとの合弁による北米H形鋼事業への進出が最初で、米国最大手の電炉メーカーと少数持分の合弁を作った。1992年4月にはタイでザ・サイアム・セメント社らと、2009年にバーレーン、2011年にサウジアラビアでフーラス社と、同じ形を重ねている。2003年10月には各事業を分社して純粋持株会社へ移行し、本体は各地の合弁持分を管理する側へ移った。2024年5月にはインドネシアのPTヌサンタラ・バジャ・プロフィルの株式80%を取得してPTガルーダ・ヤマト・スチールへ改称し、自ら連結する拠点を東南アジアに増やした。
現況
連結の利益の大半は、自社が売る鋼材ではなく合弁から受け取る持分法利益である。2026年3月期の売上高1,604億円に対して営業利益は45億円にとどまり、営業外収益610億円を含む経常利益は652億円に達した。北米のニューコア・ヤマト・スチールをはじめとする持分法適用会社の利益が、本体の営業損益の10倍を超える。地域別の売上は日本652億円、タイ373億円、インドネシア250億円、その他329億円で、海外が6割を占める。1987年に少数持分で入った選択が、自社で工場を増やさずに海外の鋼材市況を利益へ取り込む形を残した。
競合
大和工業はH形鋼という一品種のまま、国内ではなく国外へ拠点を増やした。国内の電炉では、東京製鐵が1991年に熱延広幅帯鋼へ量産参入し、高炉の独占品種だった熱延広幅帯鋼へ700億円を投じている。高炉側からはJFEが2022年に倉敷の高炉1基を大型電炉へ置き換え、電炉へ降りてきた。大和工業は品種をH形鋼に置いたまま、米国・タイ・バーレーン・サウジアラビア・ベトナム・インドネシアへ拠点を並べ、国内は姫路の1拠点にとどめた。2026年3月期の日本向け売上は652億円と全体の4割である。H形鋼は建設需要のある土地でしか消費されないため、需要地ごとに炉を置いた構成が、国内需要の増減から切り離された損益を生んだ。
大和工業:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 軌道用品メーカーから電炉鋼メーカーへの転換 (1944年〜)

軍需協力工場として創業し戦後すぐに鉄道インフラ事業へ転換

1944年11月、兵庫県飾磨郡御国村深志野987番地(現・姫路市御国野)に、代表者・井上浅次氏が資本金19万8,000円で川西航空機の姫路地区協力工場として大和工業を創立した(日本企業要覧 1975年版)。創業地・姫路市は神戸製鋼所、川崎重工と並ぶ阪神工業地帯の西端に位置し、戦時下の軍需産業集積地としての立地条件を活かす形での創業だった。終戦の翌1945年8月、国鉄および各私鉄の軌道用品製作並びに修理事業へ全面転換した。軍需協力から鉄道インフラ事業へ全面転換したことで、以後20年弱、鉄道用品が大和工業の主軸事業となった。 [1][2][3][4][5][6]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1944年11月の創立は川西航空機の姫路地区協力工場として、終戦により国鉄・各私鉄の軌道用品の製作並びに修理事業へ転換(明治百年が裏付け)
  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1944年11月 兵庫県飾磨郡御国村に川西航空機の協力工場として大和工業を創立(代表者・井上浅次、資本金19万8千円)
    • [3]創業時の代表者は井上浅次
    • [6]1945年8月 国鉄・各私鉄の軌道用品製作並びに修理事業へ全面転換
  • 大和工業会社沿革
    • [4]創業時資本金は19万8,000円
    • [5]創業時の母体は川西航空機の姫路地区協力工場

1948年2月に東京営業所を開設、1949年9月に本社工場を姫路市日出町に移転増築、1951年5月に大阪営業所を開設と、戦後復興期の販売網拡張と生産能力増強を並行して行った。1953年10月にはJIS表示許可工場となり、黒皮ボルト・継目板ボルトの登録を受けて軌道用品の規格品供給体制を整えた。1956年7月、須鎗航空兵器の跡地(姫路市仁豊野900番地)を買収して仁豊野工場として鋼塊製造を開始した。旧軍需工場跡を取得し鋼塊製造業へ進出するこの一手は、軌道用品メーカーから鋼塊メーカーへ、素材製造への垂直統合の第一歩となった。1957年4月には本社工場を仁豊野へ移転集約し、1958年9月に鋳鋼品製造を開始。1959年11月には自社製エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設した。この15トン電気炉により大和工業は電炉鋼の自社生産を始め、以後の事業構造は電炉技術を軸に据えた。 [7][8][9][10][11][12][13][14]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [7]1953年10月 JIS表示許可工場となり黒皮ボルト・継目板ボルトの登録を受ける
  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1948年2月 東京営業所を開設
    • [9]1949年9月 本社工場を姫路市日出町に移転増築
    • [10]1951年5月 大阪営業所を開設
    • [11]1956年7月 須鎗航空兵器の跡地(姫路市仁豊野900番地)を買収して仁豊野工場で鋼塊製造を開始
    • [12]1957年4月 本社工場を仁豊野へ移転集約
    • [13]1958年9月 鋳鋼品製造を開始
  • 大和工業会社沿革
    • [14]1959年11月 自社製エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1944年11月の創立は川西航空機の姫路地区協力工場として、終戦により国鉄・各私鉄の軌道用品の製作並びに修理事業へ転換(明治百年が裏付け)
    • [7]1953年10月 JIS表示許可工場となり黒皮ボルト・継目板ボルトの登録を受ける
  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1944年11月 兵庫県飾磨郡御国村に川西航空機の協力工場として大和工業を創立(代表者・井上浅次、資本金19万8千円)
    • [3]創業時の代表者は井上浅次
    • [6]1945年8月 国鉄・各私鉄の軌道用品製作並びに修理事業へ全面転換
    • [8]1948年2月 東京営業所を開設
    • [9]1949年9月 本社工場を姫路市日出町に移転増築
    • [10]1951年5月 大阪営業所を開設
    • [11]1956年7月 須鎗航空兵器の跡地(姫路市仁豊野900番地)を買収して仁豊野工場で鋼塊製造を開始
    • [12]1957年4月 本社工場を仁豊野へ移転集約
    • [13]1958年9月 鋳鋼品製造を開始
  • 大和工業会社沿革
    • [4]創業時資本金は19万8,000円
    • [5]創業時の母体は川西航空機の姫路地区協力工場
    • [14]1959年11月 自社製エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設

一貫生産体制の確立と上場による資本市場参入

1960年4月、仁豊野工場に大形圧延工場が完成し、電炉から圧延までの一貫生産体制を整えた。本邦唯一の軌道付属品一貫メーカーとなり、軌道用品分野で国内独占的な地位を得た。素材から完成品までを自社で賄う一貫生産が、軌道用品分野での独占的地位を支えた。1960年11月、株式を大阪地区店頭市場に公開し、資本市場での資金調達の第一歩を記した。1961年9月に東京地区店頭市場へ公開、同年10月には株式を東京・大阪・神戸証券取引所第二部に上場と、3取引所同時上場で全国的な資本市場への参入を果たした。この拡張を支えたのは旺盛な増資で、1948年1月の100万円増資を皮切りに1962年5月の13億円まで、13年間に10回の増資を重ねて生産設備と工場拡張の原資を賄った。 [15][16][17][18][19][20]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [15]1948年1月の100万円増資から1962年5月の13億円まで、13年間に10回の増資を実施
  • 大和工業会社沿革
    • [16]1960年4月 仁豊野工場に大形圧延工場が完成し、電炉から圧延までの一貫生産体制を確立
  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
    • [17]本邦唯一の軌道付属品一貫メーカーとなり軌道用品分野で国内独占的地位を得た
    • [18]1960年11月 株式を大阪地区店頭市場に公開
    • [19]1961年9月 株式を東京地区店頭市場へ公開
    • [20]1961年10月 株式を東京・大阪・神戸証券取引所第二部に上場(3取引所同時上場)

1961年12月、網干工場で40トン電気炉1基が稼働し、網干新工場の電炉が始動した。1962年1月の網干工場厚板圧延工場稼働、1962年8月の本社網干工場移転と、生産拠点の網干集約化を行った。1962年9月、株式を東京・大阪証券取引所第一部に上場すると同時に本社工場に鉄骨橋梁部門を新設した。上場後1年で第一部指定を実現し、信用力強化と同時に鉄骨橋梁事業への多角化により重機械分野が事業ポートフォリオに加わった。1963年3月にはエキスパンドメタルの製造を開始し、鉄骨・橋梁部門に建材製品を加えた。1968年5月、厚板生産を廃止し鍛造部門を強化したのは、事業ポートフォリオ再編・鍛造分野への注力という選択と集中の表れだった。1969年5月に大阪製鎖造機の分岐器部門の営業権を譲受し、軌道用品事業を補強した。 [21][22][23][24][25][26][27]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [21]1963年3月 エキスパンドメタルの製造を開始
  • 大和工業会社沿革
    • [22]1961年12月 網干工場で40トン電気炉1基が稼働
  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1962年1月 網干工場で厚板圧延工場が稼働
    • [24]1962年8月 本社を網干工場へ移転
    • [25]1962年9月 株式を東京・大阪証券取引所第一部に上場、同時に本社工場に鉄骨橋梁部門を新設
    • [26]1968年5月 厚板生産を廃止し鍛造部門を強化
    • [27]1969年5月 大阪製鎖造機の分岐器部門の営業権を譲受
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [15]1948年1月の100万円増資から1962年5月の13億円まで、13年間に10回の増資を実施
    • [21]1963年3月 エキスパンドメタルの製造を開始
  • 大和工業会社沿革
    • [16]1960年4月 仁豊野工場に大形圧延工場が完成し、電炉から圧延までの一貫生産体制を確立
    • [22]1961年12月 網干工場で40トン電気炉1基が稼働
  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
    • [17]本邦唯一の軌道付属品一貫メーカーとなり軌道用品分野で国内独占的地位を得た
    • [18]1960年11月 株式を大阪地区店頭市場に公開
    • [19]1961年9月 株式を東京地区店頭市場へ公開
    • [20]1961年10月 株式を東京・大阪・神戸証券取引所第二部に上場(3取引所同時上場)
    • [23]1962年1月 網干工場で厚板圧延工場が稼働
    • [24]1962年8月 本社を網干工場へ移転
    • [25]1962年9月 株式を東京・大阪証券取引所第一部に上場、同時に本社工場に鉄骨橋梁部門を新設
    • [26]1968年5月 厚板生産を廃止し鍛造部門を強化
    • [27]1969年5月 大阪製鎖造機の分岐器部門の営業権を譲受

軌道用品単一品種からH形鋼中心の多品種構成への転換

1974年の事業構成は大形鋼材51.61%・製鋼27.66%・軌道用品13.33%・重機械加工7.33%(日本企業要覧 1975年版)となり、創業期に主軸を担った軌道用品の比率は13%まで下がった。1962年の鉄骨橋梁部門新設、1968年の厚板生産廃止と鍛造部門強化、1969年の大阪製鎖造機分岐器部門譲受、1969年11月の重機械加工部門新設という品種編成の組み替えを経て、大形鋼材を中心とする構成へと事業の主力が移った。同時期の株式資料は同社を、軌道用品・鋳鋼・機械加工など『高付加価値品種に重点をおいている』[引用元]電炉メーカーと記しており、軌道用品の単一品種に依存した創業期の事業構成は、1970年代半ばには大形鋼材・重機械を含む多品種構成へと再編された。 [28][29]

  • 会社年鑑(1976年版)
    • [28]1974年の事業構成は大形鋼材51.61%・製鋼27.66%・軌道用品13.33%・重機械加工7.33%(日本企業要覧1975年版)。資産(segment_long 1974/10 半期・会社年鑑1976年版)は形鋼51%・鋼塊27%・軌道用品14%・鋳鋼品4%・船舶製缶3%・重機械加工1%で、出所は別だが主要比率はおおむね一致。本文は出典を明記した上で当該数値を維持
    • [29]当時の決算月は10月(pl_long で1970〜1984年は month=10=10月期。3月期は1985年3月期以降)。本文の誤った「1974年3月期」表記を「1974年」へ訂正済み

多品種化を支えたのは製鋼・圧延設備の拡充だった。1973年6月に1号連続鋳造設備、同年8月に50トン電気炉1基が稼働し、生産性と電炉能力を高めた。1975年11月、ユニバーサル・ミル圧延工場が稼働した。このユニバーサル・ミルにより、後に大和工業の主力製品となるH形鋼の生産に進出した。1978年3月の2号連続鋳造設備稼働で連続鋳造能力を増強し、1980年6月にはビームブランク製造を開始した。H形鋼用素材ビームブランクの自社製造化により、H形鋼の上流素材を内製化して製造原価の競争力を高めた。 [30][31][32][33][34]

  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1973年6月 1号連続鋳造設備が稼働
    • [31]1973年8月 50トン電気炉1基が稼働
    • [33]1978年3月 2号連続鋳造設備が稼働
  • 大和工業会社沿革
    • [32]1975年11月 ユニバーサル・ミル圧延工場が稼働しH形鋼の生産に進出
    • [34]1980年6月 ビームブランク製造を開始(H形鋼用素材の自社製造化)

1985年2月の新ボルト工場完成、1985年4月の大和エステート株式会社設立(不動産関連子会社)、1985年7月の船舶・製缶工場(重工工場)移設稼働と、ボルト・不動産・重工事業の各方面への拡張も並行して進んだ。1987年2月には炉外精錬設備が稼働し、鋼質向上のための炉外精錬技術を導入した。経営面では創業者の井上浅次氏から井上順一氏(2代目)を経て、1981年12月に井上浩行氏(3代目)が代表取締役社長に就任した。軌道用品から電炉鋼への転換を完了した同社は、井上浩行社長の体制で次の海外展開期へと向かう。 [35][36][37][38][39]

  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1985年2月 新ボルト工場が完成
    • [36]1985年4月 大和エステート株式会社(不動産関連子会社)を設立
    • [37]1985年7月 船舶・製缶工場(重工工場)が移設稼働
    • [38]1987年2月 炉外精錬設備が稼働
  • 大和工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [39]1981年12月 井上浩行氏(3代目)が代表取締役社長に就任。経営は創業者・井上浅次→井上順一(2代目)→井上浩行(3代目)と継承
  • 会社年鑑(1976年版)
    • [28]1974年の事業構成は大形鋼材51.61%・製鋼27.66%・軌道用品13.33%・重機械加工7.33%(日本企業要覧1975年版)。資産(segment_long 1974/10 半期・会社年鑑1976年版)は形鋼51%・鋼塊27%・軌道用品14%・鋳鋼品4%・船舶製缶3%・重機械加工1%で、出所は別だが主要比率はおおむね一致。本文は出典を明記した上で当該数値を維持
    • [29]当時の決算月は10月(pl_long で1970〜1984年は month=10=10月期。3月期は1985年3月期以降)。本文の誤った「1974年3月期」表記を「1974年」へ訂正済み
  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1973年6月 1号連続鋳造設備が稼働
    • [31]1973年8月 50トン電気炉1基が稼働
    • [33]1978年3月 2号連続鋳造設備が稼働
    • [35]1985年2月 新ボルト工場が完成
    • [36]1985年4月 大和エステート株式会社(不動産関連子会社)を設立
    • [37]1985年7月 船舶・製缶工場(重工工場)が移設稼働
    • [38]1987年2月 炉外精錬設備が稼働
  • 大和工業会社沿革
    • [32]1975年11月 ユニバーサル・ミル圧延工場が稼働しH形鋼の生産に進出
    • [34]1980年6月 ビームブランク製造を開始(H形鋼用素材の自社製造化)
  • 大和工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [39]1981年12月 井上浩行氏(3代目)が代表取締役社長に就任。経営は創業者・井上浅次→井上順一(2代目)→井上浩行(3代目)と継承

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

大和工業の沿革1944〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1944〜1986年軌道用品メーカーから電炉鋼メーカーへの転換川西航空機の協力工場として創立★★
終戦にともなう軍需協力工場から国鉄・私鉄向け軌道用品事業への全面転換

1945年8月、川西航空機の姫路地区協力工場として創立していた大和工業が、終戦にともない国鉄および各私鉄向けの軌道用品の製作ならびに修理事業へ全面的に転換した経営判断。

詳細を読む
★★★
東京営業所を開設
本社工場を移転増築
大阪営業所を開設
須鎗航空兵器の跡地を買収し仁豊野工場として鋼塊製造を開始★★
本社工場を移転
鋳鋼品の製造を仁豊野工場で開始
自社製エルー式15トン電気炉1基を仁豊野工場に増設
仁豊野工場に大形圧延工場が竣工
株式を東京・大阪・神戸証券取引所第二部に上場
網干工場で40トン電気炉1基稼働
厚板生産を廃止し鍛造部門を強化★★
大阪製鎖造機の分岐器部門の営業権を譲受
1号連続鋳造設備稼働
50トン電気炉1基稼働
ユニバーサル・ミル圧延工場稼働
2号連続鋳造設備稼働
ビームブランク製造を開始
1987〜2019年海外展開と持株会社移行による事業構造の再編井上浩行ヤマトHDコーポレーションを設立
井上浩行米ニューコアとの合弁ニューコア・ヤマト・スチール設立による北米H形鋼事業への進出

1987年2月、大和工業が米国の電炉メーカー・ニューコアと合弁でニューコア・ヤマト・スチールカンパニーを設立し、アーカンソー州でH形鋼を生産する北米事業に乗り出した経営判断。

詳細を読む
★★★
井上浩行ヤマトコウギョウ(ユー・エス・エー)コーポレーションを設立
井上浩行住友商事グループと合弁によるアーカンソー・スチール・アソシエイツLLCを設立★★
井上浩行4ストランドBB/BL兼用型連続鋳造設備稼働
井上浩行サイアムセメント・三井物産・住友商事と合弁
井上浩行サイアム・ヤマト・スチールカンパニーリミテッドを設立★★
井上浩行130トン直流電気炉設備1基稼働
井上浩行軌道用品事業を分社分割し大和軌道製造を設立
井上浩行ヤマト・コリア・スチールコーポレーションが韓国企業韓宝釜山製鉄所の営業を譲受
井上浩行軌道用品・鉄鋼・重工加工品の各事業を分社し純粋持株会社へ移行

2002年4月に軌道用品事業を分社して大和軌道製造を、2003年10月に鉄鋼事業と重工加工品事業を分社してヤマトスチールを設立し、大和工業本体は製造を持たない純粋持株会社へ移った経営判断。

詳細を読む
★★★
井上浩行サイアム・ヤマト・スチールカンパニーリミテッドを子会社化★★
井上浩行フーラス社との合弁会社をバーレーンに設立
井上浩行サイアム・ヤマト・スチールカンパニーリミテッドにて第2工場稼働
井上浩行フーラス社との合弁会社をサウジアラビアに設立
井上浩行ユナイテッド・スルブカンパニー(サウジスルブ)LLCを設立
井上浩行ユナイテッド・スチールカンパニー(スルブ)BSC(c)がスルブカンパニーBSC(c)に商号変更
2020〜2025年3地域マルチハブ戦略への再定義と過去最高益小林幹生ポスコ・エスエス・ビナ・ジョイントストックカンパニー株式49%を取得★★
小林幹生棒鋼事業を会社分割により新ワイケー・スチールに承継
小林幹生ワイケー・スチールコーポレーションの株式を大韓製鋼社へ譲渡し持分法適用関連会社化★★
小林幹生PTヌサンタラ・バジャ・プロフィル社株式80%をサイアム・ヤマトで共同取得
出典・参考
  • 大和工業 有価証券報告書【沿革】
  • 大和工業 有価証券報告書【役員の状況】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 会社年鑑(1976年版)
  • 大和工業会社沿革

免責事項およびポリシー