大和工業米ニューコアとの合弁ニューコア・ヤマト・スチール設立による北米H形鋼事業への進出

国内で完結する電炉メーカーのままでよいか——H形鋼の技術を現地最大手と組んで持ち出すという選択

時期 1987年2月
意思決定者(推定) 井上浩行 社長
論点 海外展開と事業構造
概要
1987年2月、大和工業が米国の電炉メーカー・ニューコアと合弁でニューコア・ヤマト・スチールカンパニーを設立し、アーカンソー州でH形鋼を生産する北米事業に乗り出した経営判断。
背景
1975年のユニバーサル・ミル圧延工場稼働でH形鋼に進出し、1980年にはビームブランクの自社製造で上流素材も内製化していた。1981年12月に社長へ就いた井上浩行氏は、国内需要だけに依存しない事業の置き場所を探していた。
内容
井上社長が単身渡米し、当時H形鋼を手がけていなかったニューコアへ直接持ちかけ、交渉を重ねて1987年2月に合弁会社を設立した。大和工業がH形鋼の製造技術を、ニューコアが米国鉄鋼市場の知見を持ち寄る形をとり、出資は49%にとどめた。
含意
合弁工場は圧延機1台・年産60万〜70万トンの製鉄所から年産230万トン超の設備へ育ち、北米の形鋼で上位のシェアを占める。49%出資ゆえ利益は持分法投資利益として営業外に立ち、連結営業利益より経常利益が大きい損益構造をもたらした。
筆者の見解

相手の土俵で、少数株主のまま

この決断で目を引くのは、進出先で主導権を握らなかった点にある。技術を持つ側が49%にとどまり、市場を知る側と並んで座る。買収して支配する道を選べば、意思決定は速くなる代わりに、現地の商習慣も人も価格交渉も自前で背負うことになる。井上浩行社長が選んだのは、H形鋼という一品種の技術を差し出す代わりに、米国の鉄鋼市場を知る相手の土俵を借りるという交換であった。国内で先に素材まで内製化していたからこそ、差し出せるものがあったとみることができる。

一方で、少数持分の合弁では経営の判断を相手と分け合うことになる。合弁の成績は連結の営業利益ではなく営業外収益に現れ、市況と為替の振れがそのまま経常利益を上下させる。2024年3月期に経常利益992億円と過去最高を記録した翌期には544億円まで戻したように、業績の振幅は本体の生産量と切り離されたところで決まっている。自社工場を持つ会社でありながら、利益の多くを他社と共同運営する工場から受け取る——大和工業の姿は、海外で何を持ち、何を持たないかという問いを考えるうえで独特の位置にあるといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

軌道用品メーカーからH形鋼の作り手へ

大和工業は1944年に軌道用品の協力工場として創立し、1959年の電気炉導入と1960年の大形圧延工場完成を経て、電炉から圧延までを自社で通す一貫メーカーとなった。1973年6月に1号連続鋳造設備、同年8月に50トン電気炉が稼働し、量産の基礎が固まる。1975年11月に稼働したユニバーサル・ミル圧延工場は、のちに主力となるH形鋼の生産をもたらし、1978年3月には2号連続鋳造設備が加わった。1980年6月にはH形鋼用素材であるビームブランクの製造を始め、上流の素材まで自社で賄う体制を整えた[1]

経営は1981年12月に井上浩行氏へ移った。1969年3月に入社し1973年12月に取締役となった創業家3代目で、以後2017年6月に取締役会長へ退くまで社長を務める。当時の大和工業は姫路の工場で作った鋼材を国内で売る会社であり、生産拠点は兵庫県内に限られていた。国内の建設需要に事業のすべてを預けたままでよいのか——井上社長は1980年代を通じて海外での事業の置き場所を探し、その相手をみずから探しに出た[2][3]

決断

単身渡米から合弁契約へ

井上社長が持ちかけた相手は、鉄屑を電炉で溶かす方式で米国の鉄鋼業に食い込んでいたニューコアであった。当時のニューコアはH形鋼を手がけておらず、大和工業はその品種の製造技術を持っていた。売り込む相手を顧客ではなく同業に定め、輸出でも単独進出でもなく、相手の土俵で一緒に作るという道を選んだことになる。公式資料は、単身渡米して直接持ちかけ、幾度かの交渉を経て合意に至ったと記す。大和工業がH形鋼の製造ノウハウを、ニューコアが米国鉄鋼業界の知見を出し合う組み合わせであった[4]

実行は2段構えであった。1987年1月に米国でヤマトホールディングコーポレーションを設立して合弁への出資母体を置き、翌2月にニューコアとの合弁によるニューコア・ヤマト・スチールカンパニーを設立した。工場はアーカンソー州ブライズビルに構え、大和工業の出資比率は49%で、経営権を握らない持分法適用会社として運営する形をとった。北米での布石はこれで終わらず、1989年6月にヤマトコウギョウ(ユー・エス・エー)コーポレーション、同年9月には住友商事グループとの合弁で軌道用品を作るアーカンソー・スチール・アソシエイツを設立した[5][6]

結果

アーカンソーの工場が本体を上回る規模へ

合弁工場は年月をかけて設備を積み増した。発足時は圧延機1台で年産60万〜70万トンほどの製鉄所であったが、加熱炉2基・連続鋳造機2基・圧延2ラインを備える設備へ拡張し、年産230万トンを超える条鋼を作る規模に達した。競争の激しい北米市場で形鋼のトップクラスのシェアを占め、姫路の一貫メーカーが技術を持ち込んだ工場は、規模の面で本体の国内生産を上回るまでに育った[7][8]

出資を49%にとどめた選択は、損益の見え方も決めた。持分法適用会社であるため合弁の利益は売上にも営業利益にも入らず、持分法投資利益として営業外収益に立つ。2016年12月の日本経済新聞は、大和工業を「米国事業が連結経常利益の過半を稼ぐ同社」と書いている。2025年3月期でみると、連結売上高1,683億円に対し営業利益は115億円にとどまる一方、営業外収益436億円を加えた経常利益は544億円に達した。営業利益より経常利益が数倍大きいという同社特有の損益構造は、この合弁形態から来ている[9][10]

合弁で出るという型の反復

北米で通用した形は、その後の海外展開の定型となった。1992年4月にタイでザ・サイアム・セメント、三井物産、住友商事などとの合弁によりサイアム・ヤマト・スチールカンパニーリミテッドを設立し、2002年11月には韓国、2009年2月にバーレーン、2011年6月にサウジアラビア、2020年3月にベトナム、2024年5月にインドネシアへと拠点を置いた。いずれも現地企業や商社と組む合弁で、大和工業はみずからを「JV first」と説明している。単独で工場を建てて市場を取りにいく進出とは異なる進み方であった[11][12]

もっとも、合弁は持分の増減によって関係が動く。タイのサイアム・ヤマト・スチールは2007年6月に株式を追加取得して連結子会社となり、現在の出資比率は70%にあたる。反対に韓国では、2002年11月に韓宝釜山製鉄所の営業を譲り受けて始めた事業を2020年9月に大韓製鋼へ譲渡して持分法適用関連会社とし、2021年3月期に特別損失98億円を計上している。北米の合弁だけは設立時と同じ49%のまま38年を数え、連結利益の柱であり続けている[13][14][15]

出典・参考

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