ドイツの石油会社が3本掘って不発に終わらせた鉱区を、販売シェア8%の元売り6位が取りに行き、メジャーの参加申し出を断って自らオペレーターの席に座った。可能にした条件は四つ重なる。基盤岩の亀裂に油がたまるという地質解釈、バクホー油田と同じ構造だという読み、通産省の慎重論を押し切った1991年の訪越、1,700億円のエクイティ調達が生んだ100億円の余力。開発技術者15人の現場が試掘費用の試算をトップへ直に上げる小ささも効いた。どれか一つが欠けても、この鉱区は掘れなかった。
ただ、成功はまず財務に効いた。事業損益ではない。油が出たという報せで株価が上がり、転換社債とワラント債の権利行使が約800億円進んで、自己資本比率は19.6%から30%超へ改善する見通しとなった。投じた資金は30億円程度で、金利負担の軽減が試掘費用を上回る計算になる。上流で稼ぐ会社になれたかどうかは、2号井の不調が示すとおり1994年の時点では判定できない。製油所という下流の構想も、輪郭が示されたにとどまった。