この組み替えは、事業の売買をともなわない。工場も人も社内に残ったまま、法人の輪郭だけを引き直した判断であった。それでも意味は小さくないと推察される。海外の合弁は出資比率が過半に届かず、口を出せる範囲も限られる。その出資を、姫路の工場を回す組織と同じ帳簿のなかで抱えていれば、国内の操業と海外への投資が同じ物差しで語られにくい。事業会社を分けて本体を管理に専念させたことで、二つを別々に見て別々に判断する下地ができたと思われる。
一方で、持株会社が管理するものの中身は年を追って変わった。分割の当初に本体が握っていたのは国内2社と米国・タイの合弁であったが、いまでは中東や東南アジアの拠点が加わり、経常利益の多くは持分法投資利益として海外から届く。作る会社と持つ会社を分けた2003年の判断は、結果として"持つ会社"の比重が増していく道筋を用意した。工場を持たない本体が、他社と共同で運営する海外の工場をどう統括するのか——大和工業の構造は、その問いを20年以上にわたって実地で試している例といえる。