スターツコーポレーション会社分割による持株会社への移行と、建設・仲介・分譲・法人の事業別分社

1社に束ねた事業を18年ぶりに分けるとき、本体に何を残すか

時期 2005年10月
意思決定者(推定) 村石久二(会長兼グループCEO)・大槻三雄 社長
論点 グループ経営体制と事業別の収益責任
概要
2005年10月、スターツ株式会社が会社分割を実施し、建設・不動産仲介・分譲・法人の4事業をスターツCAM、スターツピタットハウス、スターツデベロップメント、スターツコーポレートサービスへ承継させ、本体はスターツコーポレーション株式会社へ商号を変更して持株会社となった経営判断。
背景
1989年の店頭登録以降、商事・インターネット・研究所・証券・投信・ホテル・福祉と周辺事業の会社が増え、2003年8月からは主要都市での分社も始まっていた。2004年12月のジャスダック上場で、事業別の損益と責任を外部に示す必要も増した。
内容
4事業を新設分割で子会社へ移し、本体には方針決定と資源配分の機能を残した。同じ2005年11月には自社運用のスターツプロシード投資法人がジャスダック証券取引所へ上場している。
含意
1987年の商号統一で1社に集約した事業を、18年後に事業別の法人へ戻した形にあたる。翌2006年8月の総合ビル管理事業の取得、2009年9月のスターツ信託設立と、子会社を単位とする事業の追加が続いた。
筆者の見解

束ねる名と、分ける責任

1987年の商号統一と2005年の分社は、方向としては逆に見える。ただ、統一したのは対外的な名であり、分けたのは事業ごとの収益責任であった。地主や入居者から見た窓口は「スターツ」のまま、社内では建設・仲介・分譲・法人がそれぞれの損益を持つ——2005年の設計が狙ったのは、この二つを両立させることであったとみることができる。すでに2003年から地域別の分社が動いていた点を踏まえれば、持株会社化は突然の転換というより、進んでいた分社の整理にあたる。

持株会社の体制がそのまま成果を生んだと言い切ることは難しい。2006年3月期から2025年3月期にかけて連結売上高は約2.6倍になったが、その大半は賃貸住宅の施工と管理という創業以来の事業が担っており、体制の変更と業績の伸びを直接結ぶ材料は乏しい。むしろ問われるのは、事業の数が増え続けるグループで、どの単位に責任を置くかを繰り返し決め直せるかどうかであろう。名を一つに保ちながら中身を組み替えるやり方が、次の再編でどこまで通用するかは、なお開かれた問いとして残る。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

三事業の周りに増えた会社

1989年5月の店頭登録から、スターツは仲介・建設・管理の三事業の周囲へ新しい会社を並べた。1995年5月にスターツ商事を設けて建設資材の卸を内製化し、1996年3月には株式会社ウィーブでインターネット事業へ入り、同年9月のスターツ総合研究所で不動産コンサルティングの受託を加えた。1999年11月にはスターツ証券を設立し、不動産の証券化商品の販売と資産運用の助言を担わせている[1]

2000年代に入っても新会社の設立は続いた。2001年10月にスターツアセットマネジメント投信を設けてREITの組成と運用の機能を加え、2003年3月のスターツホテル開発でホテル、同年7月のスターツケアサービスで高齢者支援と保育へ入った。出版子会社のスターツ出版は2001年8月に日本証券業協会へ株式を店頭登録し、グループから2社目の公開企業が出ている。不動産の仲介から金融・ホテル・福祉まで、事業の性質は一つの法人と一つの指揮系統で見るには幅が広くなった[2]

分社の先行と、取引所への上場

組織の側では、持株会社への移行に先立って分社が始まっていた。有価証券報告書の沿革によれば、主要都市での分社化の開始は2003年8月で、同月に九州スターツが設立された。地域ごとに会社を分け、その土地の顧客と長く付き合う体制を作る動きであり、2009年7月には札幌スターツ・仙台スターツ・中部スターツ・関西スターツの各社が続く。地域と事業の両方向で、単一法人のままでは扱いにくい規模に達しつつあった[3][4]

資本市場での位置づけも変わった。2004年12月、スターツ株式会社はジャスダック証券取引所へ上場した。1989年の店頭登録から15年を経ての取引所上場で、開示の頻度も投資家の視線も一段上がる。事業別・地域別に増えた会社の損益をどこで束ね、誰が責任を負うのかを外部へ説明する必要が、組織の形を決める要因として重くなった[5]

決断

4社への新設分割と持株会社への商号変更

2005年10月、スターツ株式会社は会社分割を実施した。建設事業をスターツCAM、不動産仲介事業をスターツピタットハウス、分譲事業をスターツデベロップメント、法人事業をスターツコーポレートサービスへそれぞれ承継させ、本体はスターツコーポレーション株式会社へ商号を変更して持株会社となった。1987年に1社へ集約した機能を、18年を経て事業ごとの法人へ戻す再編にあたる[6][7]

分割で生まれた4社の名は、いずれも「スターツ」を頭に置いた。仲介の受け皿となったスターツピタットハウスは、1988年10月に始めた店頭の屋号をそのまま社名に採っている。建設を継いだスターツCAMの「CAM」は Construction and Asset Management の略で、建物を建てる機能と資産運用の助言を一つの会社へ収めた。1987年に統一した名は保ったまま、その下で事業の単位だけを分ける組み替えであった[8][9]

本体に残したものと、同時に走った金融の一手

事業を担う会社が個別に損益の責任を負い、持株会社が全体の方針と資源配分を見る——これが分割後の設計であった。子会社を単位とすれば、創業以来の仲介・建設・管理に加え、出版・証券・ホテル・福祉のように性質の違う事業も同じ枠組みで扱える。地域別に設けてきた会社との重なりも整理しやすくなる。事業の数が増え続ける会社にとって、単位を決め直す作業であったとみることができる[10]

分割の翌月、金融の側でも一手が打たれた。2005年11月、スターツプロシード投資法人がジャスダック証券取引所へ投資口を上場し、2001年10月に設けたスターツアセットマネジメント投信が資産運用を担う仕組みが動き出した。地主から預かって建て、完成後を管理する事業の先に、投資家の資金で物件を保有する受け皿が加わる。組織の分割と資金の受け皿づくりが同じ年に並んだ点に、この再編の狙いが表れている[11]

結果

買収と新規事業を子会社単位で積む

持株会社へ移った翌年の2006年8月、スターツはブリッジポイント・ジャパン等を取得して総合ビル管理事業へ進出し、株式会社ビルコム(後のスターツファシリティーサービス)、千代田管財、アーバンコントロールズを傘下に収めた。賃貸住宅の管理に、オフィスビルの管理が加わった。2009年9月にはスターツ信託を設立し、地主や富裕層の資産承継まで扱う。取得した会社をどの事業の下に置くかがあらかじめ決まっている点で、分社後の枠組みは買収を扱いやすくした面がある[12]

数字の面では、持株会社へ移行した年度にあたる2006年3月期の連結売上高は879億円、営業利益64億円、経常利益64億円、当期純利益23億円であった。以後、連結売上高は2012年3月期に1,178億円、2025年3月期には2,330億円へ伸び、2015年3月期には不動産管理事業が連結売上の約39%、建設事業が約31%を占める構成に落ち着いた。子会社の自律も進み、2001年に上場した出版子会社では、菊地修一社長が買収による見せかけの企業価値を追わず社員の育成に主眼を置くと述べている[13][14][15]

出典・参考

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