大東建託 の歴史

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創業 1974年
創業者 多田勝美
創業地 愛知県名古屋市
創業
1974年6月、多田勝美氏が名古屋市千種区で資本金100万円の大東産業株式会社を設立し、土地所有者向けに工場・倉庫など事業用賃貸建物の建築を主業に据えた。顧客は市街化区域内に農地を持つ農家で、後継者不足と宅地並み課税から所有地の有効利用を迫られながら、賃貸事業への不安から決断できずにいた。農協や銀行の情報網を通すルート営業では地主が複数の業者を競わせて価格交渉に及ぶため、多田氏は飛び込み営業に徹して建築工事を定価で売った。1978年9月に商号を大東建設へ改め、分散して受注されていた地主の建築需要を、直販の物量で開拓した。
決断
建てて終わる請負を、空室の損失ごと引き受ける契約へ替えた。1988年4月、商号を「建託」へ改め、完成した建物を一括で借り上げて入居者募集・管理・家賃徴収まで代行する事業へ移った。請負の一回限りの収入は賃貸管理の継続収入に変わり、地主には空室が出ても家賃が入る条件がついた。続けて1993年に大東ファイナンス、1994年にハウスコム、1999年に大東建物管理、2001年にガスパルを設立し、融資・仲介・管理・ガスをグループ内へ移した。2011年6月には子会社ハウスコムを単独上場させ、賃貸仲介へ独立した資本を与えたのち、2025年2月に全株式を取得して親子上場を解消した。地主の代わりに賃貸経営を回す機能をすべて社内へ置いた結果、建てた棟数がそのまま毎月の収入へ変わった。
現況
売上の6割は、自社が地主から借り上げた部屋の又貸しである。2026年3月期の連結売上高は1兆9,847億円、営業利益1,352億円、当期純利益990億円である。不動産賃貸事業の売上1兆2,031億円が全体の60.6%を占めるが、地主へ支払う借上げ賃料が原価に立つため利益は856億円、利益率は7.1%にとどまる。建設事業は5,443億円の売上で利益451億円、利益率8.3%と賃貸を上回る。利益率が最も高いのは金融事業で、128億円の売上に対し利益64億円である。2022年以降はインヴァランス、ライジング・フォース、米国のSTASIA CAPITAL MANAGEMENTを取得し、一括借上げの外へ収入源を加えた。
競合
同じ賃貸住宅でも、空室の損失を誰が負うかで各社の立場が分かれる。積水ハウスや大和ハウス工業も賃貸住宅を手がけるが、両社は請負と自社開発が中心で、完成後の空室は地主か投資家が負う。大東建託は建てた建物をほぼ全量自社で借り上げるため、入居率が下がっても地主への支払いは続き、差額は自社に残る。地主が決断できずにいた理由をそのまま引き受けたことが、1988年以降の受注の量を作った。同時にそれは、賃貸市場の需給が緩む局面で最初に損失を受ける位置でもある。2022年以降に投資用不動産販売や米国不動産運用の会社を取得し、再生可能エネルギーと介護へも広げているのは、この一方向の負担から収益を分けるためである。
大東建託:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 倉庫と工場の請負から始め、空室保証を武器に「建託」へ改めるまで (1974年〜)

名古屋の分社体制で始めた事業用賃貸建物の請負

1974年6月20日、多田勝美氏が名古屋市千種区に大東産業株式会社を資本金100万円で設立した[1][2]。目的は土地所有者を対象とした工場・倉庫など事業用賃貸建物の建築[3]で、賃貸住宅ではなかった。翌1975年6月には建築した賃貸建物への入居者募集・斡旋を担う大東興産株式会社を設立[4]し、1976年6月には一級建築士事務所として大東設計株式会社を設立した[5]。設立当初はこの3社の分社体制で、主に名古屋近郊の農家を対象に受注を積んだ[6]。1978年9月に商号を大東建設へ改め[7]、同年10月には大阪府に本社を置く大東建設株式会社と大東設計株式会社を、11月には大東興産株式会社を設立して関西へ営業を広げた[8]

    • [1]1974年6月20日 多田勝美が名古屋市千種区に大東産業を資本金100万円で設立
    • [3]設立目的は土地所有者を対象とした工場・倉庫など事業用賃貸建物の建築
    • [4]1975年6月 入居者募集・斡旋のため大東興産を設立
    • [5]1976年6月 一級建築士事務所として大東設計を設立
    • [6]設立当初は3社の分社体制で主に名古屋近郊の農家が対象
    • [8]1978年10月 大阪府に本社を置く大東建設・大東設計を、同年11月に大東興産を設立し関西へ進出
  • 大東建託 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1974年6月 大東産業を設立(資本金100万円)
    • [7]1978年9月 商号を大東建設へ変更

顧客は市街化区域内農地を持つ農家[9]であった。後継者不足や農地の宅地並み課税から所有農地の有効利用を迫られながら、賃貸事業への不安から決断できない層[10]で、市街化区域内農地は当時、毎年7,000ha程度が転用されていた[11]。大東建設はこの転用農地を受注の対象に定め、支店開設と営業員の拡充で潜在顧客の掘り起こしを進めた[12]。関東への足掛かりとして1982年10月に横浜支店を、翌1983年7月には仙台支店を開設して東北へも進んだ[13]。1985年4月には名古屋と大阪の6社が合併比率1対1で合併し、1社へ統[14]合した。

    • [9]主要顧客は市街化区域内農地を所有する農家
    • [10]農家は後継者不足や農地の宅地並み課税で有効利用を迫られつつ賃貸事業への不安から決断できずにいた
    • [11]市街化区域内農地の転用は毎年7,000ha程度
    • [12]転用農地を対象に支店開設と営業員拡充で潜在顧客を掘り起こした
    • [13]1982年10月 横浜支店開設(関東進出の足掛かり)、1983年7月 仙台支店開設
    • [14]1985年4月 6社が合併比率1対1で合併し1社に統合

取扱物件は設立当初から倉庫・工場など事業用建物に限られていたが、品ぞろえの観点から1984年に住居用建物の取扱いを始めた[15]。建物は規格標準化され、資材の種類と規格が絞られたことで仕入コストの低減と外注先の施工効率の向上につ[16]ながった。資材調達と施工は約5,000社の外注先へ材料・施工の一括発注[17]で回した。入居者の募集は全国4,000程度の不動産業者からの情報提供を中心に行い、管理する賃貸建物の空家率は1%台で推移した[18]。1982年3月期の売上高は22億3,900万円、経常利益1億5,200万円で、期末従業員は98名、事業所は7か所[19]であった。

    • [15]設立当初は倉庫・工場など事業用建物のみで1984年から住居用建物の取扱いを開始
    • [16]建物の規格標準化により仕入コスト低減と外注先の施工効率向上を図った
    • [17]資材調達と施工は約5,000社の外注先へ材料・施工一括発注
    • [18]入居者募集は全国4,000程度の不動産業者からの情報提供が中心で管理建物の空家率は1%台
    • [19]1982年3月期 売上高22億3,900万円・経常利益1億5,200万円・期末従業員98名・事業所7か所
    • [1]1974年6月20日 多田勝美が名古屋市千種区に大東産業を資本金100万円で設立
    • [3]設立目的は土地所有者を対象とした工場・倉庫など事業用賃貸建物の建築
    • [4]1975年6月 入居者募集・斡旋のため大東興産を設立
    • [5]1976年6月 一級建築士事務所として大東設計を設立
    • [6]設立当初は3社の分社体制で主に名古屋近郊の農家が対象
    • [8]1978年10月 大阪府に本社を置く大東建設・大東設計を、同年11月に大東興産を設立し関西へ進出
    • [9]主要顧客は市街化区域内農地を所有する農家
    • [10]農家は後継者不足や農地の宅地並み課税で有効利用を迫られつつ賃貸事業への不安から決断できずにいた
    • [11]市街化区域内農地の転用は毎年7,000ha程度
    • [12]転用農地を対象に支店開設と営業員拡充で潜在顧客を掘り起こした
    • [13]1982年10月 横浜支店開設(関東進出の足掛かり)、1983年7月 仙台支店開設
    • [14]1985年4月 6社が合併比率1対1で合併し1社に統合
    • [15]設立当初は倉庫・工場など事業用建物のみで1984年から住居用建物の取扱いを開始
    • [16]建物の規格標準化により仕入コスト低減と外注先の施工効率向上を図った
    • [17]資材調達と施工は約5,000社の外注先へ材料・施工一括発注
    • [18]入居者募集は全国4,000程度の不動産業者からの情報提供が中心で管理建物の空家率は1%台
    • [19]1982年3月期 売上高22億3,900万円・経常利益1億5,200万円・期末従業員98名・事業所7か所
  • 大東建託 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1974年6月 大東産業を設立(資本金100万円)
    • [7]1978年9月 商号を大東建設へ変更

空室の不安を引き受けた大東共済会と、飛び込み営業の定価販売

賃貸事業への不安のうち最大のものは入居者が退去した後に部屋が埋まるかどうかで、顧客からの要望を受け、空家時の家賃保証制度を導入するため1980年3月に大東共済会株式会社を設立した[20][21]。加入した家主は月額家賃の4%を会費として払い込み、中途で空家が生じた場合には家賃の90%の保証を受けられる[22]仕組みとした。新築完成引渡しの時点での空家保証は本体が引き受け、事業用物件では建築請負金額に対する金利相当額を、居住用物件では家賃の90%を保証した[23]。共済会への加入率は1990年3月期92.0%、1991年3月期92.3%、1992年3月期91.8%で、汎用性の高い標準物件のテナントはほぼ全数が加入していた[24]

受注は地主への飛び込み営業で取り、農協や銀行の情報網を通すルート営業を排した[25]のは、そこに乗ってくる地主が複数の業者を競わせて価格交渉に及び、農協へフィーを支払う必要も生じるため[26]であった。飛び込み営業では建築工事を定価で売ることができ、建築営業部隊には受注高の2%を歩合給として個人の収入とする仕組みを与えた[27]。入居需要の高い地域を中心に支店を置き、営業員が戸別訪問で潜在顧客を掘り起こす体制[28]をとった。積水ハウスが強い駅周辺と大和ハウスが強いロードサイドを避け、郊外の農地を対象に定めた[29]差異化でもあった。

  • 日経ビジネス 1994年3月21日号
    • [25]農協や銀行を通したルート営業を排し飛び込み営業に徹していた
    • [26]ルート営業では地主が複数業者を競わせて価格交渉し農協にもフィーが要るため利益率が悪くなる
    • [27]建築工事の定価販売と、建築営業部隊への受注高2%の歩合給
    • [29]積水ハウスが強い駅周辺と大和ハウスが強いロードサイドを避け郊外の農地を対象にした
    • [28]入居需要の高い地域を中心に支店を置き営業員の戸別訪問で潜在顧客を掘り起こした

業績は1982年3月期の売上高22億3,900万円から1991年3月期の1,511億5,000万円へ67.5倍に伸び、経常利益は1億5,200万円から268億600万円へ176.4倍となった[30]。期末従業員数は98名から2,828名へ、事業所数は7か所から65か所[31]へ増えた。販売費・一般管理費も営業員の拡充に伴う人件費の急増で5億7,300万円から273億4,100万円へ47.7倍に増えたが、売上高比率は25.6%から18.1%へ低下した[32]。売上総利益率は建設業界では高率の30%台で安定して推移し、経常利益率は1988年3月期の13.4%から1991年3月期の17.7%へ上がった[33]

    • [30]売上高は1982年3月期22億3,900万円から1991年3月期1,511億5,000万円へ67.5倍、経常利益は1億5,200万円から268億600万円へ176.4倍
    • [31]期末従業員数98名→2,828名、事業所数7か所→65か所
    • [32]販管費は5億7,300万円から273億4,100万円へ47.7倍、売上高比率は25.6%から18.1%へ低下
    • [33]売上総利益率は建設業界では高率の30%台で安定推移、経常利益率は1988年3月期13.4%から1991年3月期17.7%
    • [20]1980年3月 大東共済会を設立(空家時の家賃保証制度の導入が目的)
    • [22]共済会は月額家賃4%の会費で中途空家時に家賃の90%を保証
    • [23]新築完成引渡時の空家保証は本体が負担し、事業用は建築請負金額に対する金利相当額、居住用は家賃の90%
    • [28]入居需要の高い地域を中心に支店を置き営業員の戸別訪問で潜在顧客を掘り起こした
    • [30]売上高は1982年3月期22億3,900万円から1991年3月期1,511億5,000万円へ67.5倍、経常利益は1億5,200万円から268億600万円へ176.4倍
    • [31]期末従業員数98名→2,828名、事業所数7か所→65か所
    • [32]販管費は5億7,300万円から273億4,100万円へ47.7倍、売上高比率は25.6%から18.1%へ低下
    • [33]売上総利益率は建設業界では高率の30%台で安定推移、経常利益率は1988年3月期13.4%から1991年3月期17.7%
  • 大東建託 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1980年3月 大東共済会を設立
    • [24]共済会加入率は1990年3月期92.0%・1991年3月期92.3%・1992年3月期91.8%で標準物件はほぼ全数加入
  • 日経ビジネス 1994年3月21日号
    • [25]農協や銀行を通したルート営業を排し飛び込み営業に徹していた
    • [26]ルート営業では地主が複数業者を競わせて価格交渉し農協にもフィーが要るため利益率が悪くなる
    • [27]建築工事の定価販売と、建築営業部隊への受注高2%の歩合給
    • [29]積水ハウスが強い駅周辺と大和ハウスが強いロードサイドを避け郊外の農地を対象にした

1988年の「建託」改称と、一回限りの請負収入を継続収入へ組み替えた設計

1988年4月の社名変更で、商号は大東建設から大東建託株式会社[34]へ改まった。土地建託事業は、地主に土地の有効活用を働きかけ、マンションや店舗などその立地にあった建築物を提案し、それらの建設を請け負うもの[35]であった。完成後の入居者募集、家賃回収の代行、建物管理、中途空家時の家賃保証までを一貫して引き受ける賃貸事業の総合支援システム[36]として組み立てられ、建築請負と管理受託と空室保証を同じ営業の場で一括して契約する形へ移った。建設を請け負って終わる一回限りの収入は、管理費と共済会費という継続収入に組み替え[37]られた。

  • 大東建託 有価証券報告書【沿革】
    • [34]1988年4月 商号を大東建設から大東建託へ変更
  • 日経ビジネス 1994年3月21日号
    • [35]土地建託事業は地主への土地有効活用の働きかけから建築物の提案・建設請負までを担うもの
    • [36]設計・施工・管理に加え入居者募集・家賃回収代行・中途空家時の家賃保証までを一貫して行う賃貸事業の総合支援システム
    • [37]一回限りの請負収入を管理費と共済会費の継続収入へ組み替えた

地主から見ると、入居者やテナントが全部埋まっている状態でも月々の支払いは共済会へ4%、大東建託へ管理費として家賃の5%で、手取りは家賃の91%[38]であった。空室が生じても90%が保証されるため、入居者の有無で手取りはほとんど変わ[39]らない。竣工後3か月を過ぎても入居者が決まらない場合は、大東建託本体が販売経費として同じく家賃の90%を保[40]証した。地主が抱えるほかなかった空室の不安を、会社側の費用として引き受ける設計[41]であった。大東共済会に加入した物件の空家率は1992年9月末で1.9%にとど[42]まった。

  • 日経ビジネス 1994年3月21日号
    • [38]満室でも共済会4%・管理費5%で地主の手取りは家賃の91%
    • [39]空室時も90%が保証されるため地主の収入は入居者の有無でほとんど変わらない
    • [40]竣工後3か月を過ぎても入居が決まらない場合は本体が販売経費として家賃の90%を保証
    • [41]空室の損失を会社側が引き受ける関係を抱え込んだ
    • [42]1992年9月末の大東共済会加入物件の空家率は1.9%

強力な営業体制と建築工事の定価販売、徹底したコスト削減により、粗利益率は約30%[43]に達した。客付けを社内の体制で行う理念のもとテナント営業部門を社内に抱え、1992年時点で全社員の1割強にあたる約500人がこの部門[44]に属した。単体売上高は1988年3月期の447億円から1989年3月期737億円、1990年3月期1,052億円へ伸び、期末従業員数も1,156名から2,220名へ増えた[45]。1989年1月には大東共済会株式会社を全額出資子会社とし、同年3月には名古屋証券取引所市場第二部へ株式を上場した[46]

  • 大東建託 有価証券報告書【沿革】
    • [34]1988年4月 商号を大東建設から大東建託へ変更
    • [46]1989年3月 名古屋証券取引所市場第二部へ上場
  • 日経ビジネス 1994年3月21日号
    • [35]土地建託事業は地主への土地有効活用の働きかけから建築物の提案・建設請負までを担うもの
    • [38]満室でも共済会4%・管理費5%で地主の手取りは家賃の91%
    • [39]空室時も90%が保証されるため地主の収入は入居者の有無でほとんど変わらない
    • [40]竣工後3か月を過ぎても入居が決まらない場合は本体が販売経費として家賃の90%を保証
    • [41]空室の損失を会社側が引き受ける関係を抱え込んだ
    • [43]営業体制・定価販売・コスト削減により粗利益率は約30%
    • [36]設計・施工・管理に加え入居者募集・家賃回収代行・中途空家時の家賃保証までを一貫して行う賃貸事業の総合支援システム
    • [37]一回限りの請負収入を管理費と共済会費の継続収入へ組み替えた
    • [45]単体売上高は1988年3月期447億円→1989年3月期737億円→1990年3月期1,052億円、期末従業員は1,156名→2,220名
    • [42]1992年9月末の大東共済会加入物件の空家率は1.9%
    • [44]1992年時点で全社員の1割強にあたる約500人がテナント営業部門に所属

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大東建託の沿革1974〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1974〜1988年倉庫と工場の請負から始め、空室保証を武器に「建託」へ改めるまで多田勝美大東産業を設立
多田勝美商号を大東建設に変更
多田勝美大東共済会を設立
多田勝美「建託」への社名変更と土地建託システムの確立

1988年4月、大東建設は商号を大東建託へ改めた。地主から賃貸住宅の建設を請け負うだけでなく、完成後の入居者募集・管理・空室保証までをひとまとめに引き受ける『土地建託』システムを、社名に掲げた経営判断。

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★★★
1989〜2002年株式上場と生産緑地法改正、空室の急増を経て周辺機能を内製化するまで多田勝美名古屋証券取引所市場第二部に上場
多田勝美東京証券取引所市場第一部に上場
多田勝美ハウスコムを設立
多田勝美賃貸経営の周辺機能をグループ内に抱え込む

1993年の大東ファイナンス設立から2001年のガスパル設立まで、大東建託は賃貸経営に必要な機能を次々と子会社として自前で持った。1996年5月には5カ年の中長期経営計画で、多角化とグループで補完しあう体制づくりを掲げている。

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★★★
多田勝美在宅介護事業に参入
多田勝美賃貸建物管理業務を開始★★
多田勝美「タクセルホーム」のブランドで戸建て住宅事業へ参入
多田勝美プロパンガス供給事業に参入
2003〜2017年品川への本社移転から創業者の退場を経て、連結売上高1兆円を超えるまで多田勝美品川イーストワンタワー竣工
麻田守孝ホテル開業
多田勝美連帯保証人不要サービスを開始
三鍋伊佐雄子会社ハウスコムの単独上場と、14年後の親子上場解消

2011年6月、大東建託の連結子会社ハウスコムが大阪証券取引所JASDAQ(スタンダード)へ上場した。連結子会社が単独で上場する初の例で、ここから14年続く親子上場の関係が始まった経営判断。

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★★★
熊切直美不動産開発事業に参入
熊切直美ソラストと資本業務提携
熊切直美グループ主要3社体制を始動
熊切直美ヒルトン・クアラルンプール所有会社を取得
2018〜2025年家賃保証をめぐる規制と労務の問題を抱えつつ、複合不動産事業体へ移るまで小林克満インヴァランス全株式取得
竹内啓STASIA CAPITAL MANAGEMENT を取得
竹内啓ハウスコム完全子会社化
竹内啓アスコット96.03%取得★★
出典・参考

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