大東建託子会社ハウスコムの単独上場と、14年後の親子上場解消

賃貸仲介をグループの一機能として抱えるか、独立した上場会社として伸ばすか

時期 2011年6月
意思決定者(推定) 三鍋伊佐雄 社長
論点 グループ再編と資本政策
概要
2011年6月、大東建託の連結子会社ハウスコムが大阪証券取引所JASDAQ(スタンダード)へ上場した。連結子会社が単独で上場する初の例で、ここから14年続く親子上場の関係が始まった経営判断。
背景
ハウスコムは1994年に賃貸仲介の子会社として設立された。設立当初から他社物件も扱って自ら黒字を確保する設計で、駅前に店舗を構える仲介業は、地主を訪ねる建築請負とは事業の性格も必要な資金も異なっていた。
内容
上場と同じ2011年6月、創業者の多田勝美氏が取締役を退任し、資産管理会社が保有していた大東建託株3,678万株は公開買い付けを経て消却された。外部株主に開かれた親会社が、子会社に独立した資本と看板を与えた。
含意
ハウスコムは2019年に東証一部へ移り、自ら買収も重ねた。だが親会社が不動産機能の買収を進めるなかで上場子会社を挟む構造は保ちにくくなり、2025年2月の株式交換で親子上場は解消された。
筆者の見解

開くことと束ねること

2011年の上場と2025年の非公開化は、逆向きの判断に見えて、同じ一つの問いへの答えであったとみることができる。賃貸仲介という機能を、グループの内側で育てるか、外の市場に評価させながら育てるか。上場を決めた時期の大東建託は、創業者の持ち株を消し、外国人投資家と機関投資家を中心とする株主構成へ移っていた。子会社に独立した資本と看板を与えることは、この開き方と揃っていたといえる。

14年のあいだに前提は変わった。親会社が買収で不動産機能を集め、建てる・管理する・仲介するを束ねる体制を強めるほど、上場子会社を挟む形の説明は難しくなる。市場の側も、親子上場に対して以前より厳しい目を向けている。ひとつの機能をどこまで独立させ、どの時点で束ね直すか——大東建託が2011年と2025年に出した二つの答えは、その時々の株主構成と事業構成に沿ったものであったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

半分だけ外を向いた仲介子会社

ハウスコムは1994年、賃貸物件の入居者募集と仲介を担う全額出資子会社として設立された。設立の狙いは、本体のテナント営業部の拡大が限界に近づくなかで、他社物件も扱って自ら黒字を確保しつつ、本体の客付けを支えることにあった。当初から、大東建託の物件だけを扱う内部部署ではなく、外の市場でも稼ぐ会社として設計されている。1998年9月には関西ハウスコムが設けられ、2004年1月の再編を経て大阪・東京・愛知を中心とする全国の仲介網が整った[1][2]

賃貸仲介は、建築請負とは事業の質が異なる。駅前に店舗を構え、来店した入居希望者に部屋を紹介する小売業に近い仕事で、支店の立地が駅周辺ではなかった大東建託本体の弱みを埋める役回りであった。店舗網の広げ方、必要な人材、出店にかかる資金の性格も本体とは違う。グループの一機能として抱え続けるか、独立した会社として資本市場から資金と人を集めさせるか——選択が生じる素地は、事業の性質そのものにあった[3]

連結1兆円に届いた親会社の側の事情

上場を決めたころの大東建託は、規模の節目にあった。2011年3月期の連結売上高は1兆12億円で初めて1兆円を超え、営業利益738億円、経常利益780億円、親会社株主に帰属する当期純利益432億円を計上している。賃貸建設を軸に、管理・仲介・金融・ガスを子会社で抱える体制はすでにできあがっており、次に問われるのは、その一つひとつをどのような資本の形で持つかという段階へ移っていた[4]

経営体制の面でも過渡期にあった。2007年から2013年まで社長を務めたのは生え抜きの三鍋伊佐雄氏で、創業者の多田勝美氏が会長として関与を続ける時期を経て、内部昇格の社長が実務を担う形が定着しつつあった。創業者が持ち株と役職を手放す段取りと、子会社を市場へ出す段取りが同じ2011年に重なったのは、この移行と無縁ではない[5]

決断

創業者が退いた月に、子会社を上場させる

2011年6月、ハウスコムは大阪証券取引所JASDAQ(スタンダード)へ上場した。大東建託の連結子会社が単独で上場する初めての例で、ここから親子上場の関係が始まった。同じ2011年6月、大東建託の株主総会では創業者の多田勝美氏が取締役を退任している。株主総会の決議により多田氏には30億円の退職慰労金が支払われ、多田氏が筆頭株主である資産管理会社が保有していた大東建託株3,678万株は、会社の公開買い付けを経てすべて売却され、消却された[6][7]

この時期の大東建託は、創業者の持ち株と経営への影響力を手放し、外部の株主に開かれた会社へ移りつつあった。2015年の取材で経営企画課の赤羽厚課長は、株主は外国人投資家と機関投資家で合わせて8割を超え、2005年に社外取締役を導入するなど早くからガバナンスに取り組んできたと語っている。同社はコーポレートガバナンス・コード施行後の報告書を最初に提出した3社の一つでもあった。創業家の持ち株が消えた会社が、子会社に別の資本を与える——2011年の判断は、この移行の途中に置かれていた[8]

独立した会社として伸ばす

上場後のハウスコムは、自らの判断で市場区分と事業領域を広げた。2019年6月に東京証券取引所市場第二部へ、わずか2カ月後の同年8月には市場第一部へ移っている。同年7月にはエスケイビル建材の全株式を取得し、賃貸仲介の周辺業務を取り込んだ。親会社の子会社という位置にありながら、自らの看板で市場の評価を受け、資本を使う会社になった[9][10]

買収の主体としても動いた。2021年3月には関西で賃貸仲介を営む宅都(現・大阪ハウスコム)の全株式を取得し、関西圏の店舗網を厚くした。2023年6月にはシーアールエヌの株式を90%取得し、同年11月に追加取得して完全子会社としている。親会社の大東建託自身も2022年4月に東証プライム市場・名証プレミア市場へ移り、グループ内に上場会社が二つ並ぶ状態が続いた[11][12]

結果

14年で閉じた親子上場

2024年10月29日、大東建託とハウスコムは株式交換契約を締結した。ハウスコム株1株に対し大東建託株0.08株を割り当てる簡易株式交換で、当時の大東建託の持ち株比率は52.36%であった。目的として掲げられたのは親子上場の解消である。ハウスコム株は2025年1月30日に東京証券取引所スタンダード市場で上場廃止となり(最終売買日は同年1月29日)、2025年2月1日に効力が発生した。ハウスコム側では2024年12月20日の臨時株主総会の決議を要し、株主優待も廃止され配当予想は無配へ修正された[13][14][15]

完全子会社化は、大東建託が不動産関連の機能を買い集めた時期と重なる。2020年11月に投資用マンション販売のインヴァランス、2022年9月にライジング・フォース(現・大東建託アセットソリューション)、2024年1月には米国のSTASIA CAPITAL MANAGEMENTを取得し、2025年3月にはアスコットの株式96.03%を取得した。買収で機能を内側へ集める流れのなかで、賃貸仲介という中核機能だけが外部の株主を抱え続ける構造は、説明しにくくなっていた。現金を使わない株式交換という手法を選んだ点も、資金ではなく構造の整理が主眼であったことを示している[16][17][18]

出典・参考

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