ホリプロ創業家の資産管理会社によるMBOと、東京証券取引所市場第一部の上場廃止

上場を保ったまま海外へ出るか、市場を降りて創業家が賭けるか——公開から23年目のホリプロが選んだ側

時期 2011年12月
意思決定者(推定) 堀義貴堀威夫 ホリプロ 社長・ホリプロ ファウンダー最高顧問、青春社 代表
論点 上場維持の是非と非公開化
概要
2011年12月16日、ホリプロは創業者の堀威夫氏が代表を務める資産管理会社の青春社によるMBOで非公開化すると公表した。青春社は1株1050円で公開買付けを実施し、2012年2月7日に626万7055株の応募を集めて成立させた。ホリプロは同年5月に東京証券取引所市場第一部の上場を廃止し、1989年2月の業界初の株式公開から23年で株式市場を離れた。
背景
創業者の堀威夫氏は、芸能界を虚業ではなく一般企業として社会に認めさせることを目標に掲げ、1989年2月に株式を店頭登録した。買付けまでの数年間、営業利益は10億円台から20億円台で推移して経営は安定していたが、音楽市場の縮小とテレビ番組制作本数の減少が続き、コンテンツへ支払われる金額は若い世代を中心に細っていた。
内容
買付価格1株1050円は、公表前営業日の終値645円を63%上回った。買付予定株数は723万5620株、下限は361万7811株、買付総額は約75億円で、期間は2011年12月19日から2012年2月6日までとした。堀義貴社長は、国内市場に依存する会社が国際会計基準を導入すれば上場を保つ費用が上がるだけであり、知名度が上がった今は上場のメリットがほとんどないと述べた。
含意
上場を保ったまま海外へ出る道は選ばれなかった。堀義貴社長は、株主の目があると萎縮する部分があるとし、創業家がリスクをとって大胆に挑む必要を挙げ、外国語を話せるタレントの育成とネット事業の拡大を掲げた。買付価格には米投資ファンドが少数株主の利益に反すると異議を唱えたが、応募は下限を大きく上回った。
筆者の見解

上場を道具として使い切った23年

1989年の株式公開に託されていたのは、資金でも規模でもなく、業界の見られ方であった。芸能プロが芸者の置屋と同じだと評された時代から、マネジメントフィーをかすりと呼ばれなくなるまでが、堀威夫氏の23年にあたる。営業利益が10億円台から20億円台で回り、大河ドラマの主役を2年続けて出せる状態で降りたのは、追い詰められたからではなく、公開の役目が終わったと判断したからだとみられる。上場は目的ではなく道具であった。

ただ、市場を降りて得た裁量には値札が付く。1株1050円という値付けには米投資ファンドが少数株主の利益に反すると異議を唱え、議決権の45.30%をすでに持つ創業家が残りを買い取る構図は、価格の妥当性を外から検証しにくくしていた。掲げた海外展開とネット事業も、市場を離れただけで自動的に進むわけではなかった。堀義貴社長が挙げた萎縮の解消が実を結んだかどうかを測るのは、公開していた23年ではなく、その後の非公開の年月であろう。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

一般企業として認めさせるための株式公開

堀威夫氏が株式会社ホリプロダクションを設立したのは1963年1月で、資本金は250千円であった。それから26年後の1989年2月、同社は株式を日本証券業協会東京地区協会へ店頭銘柄として登録した。芸能プロダクションの株式公開は業界で初めてで、堀威夫氏は芸能界を虚業ではなく一般企業として社会に認めさせることを目標に据えた。1997年3月に東証二部へ上場し、2002年9月には一部へ指定替となった[1][2]

その目標が届いたかどうかは、決算の数字ではなく業界の呼ばれ方に表れた。MBO公表の4か月前にあたる2011年8月、ファウンダー最高顧問の堀威夫氏は、芸能プロとタレントの和を100と置いたときの100からタレントを引いた残りがマネジメント価値だと語っている。かつてある評論家は芸能プロを芸者の置屋と同じだと評し世間もそう見がちだったが、近ごろはマネジメントフィーをかすりと呼ばれなくなったとも述べた[3]

安定した収益と、縮んでいく市場

非公開化に踏み切る直前のホリプロの数字は、危機を示していなかった。買付けまでの数年間、営業利益は10億円台から20億円台で推移していた。2011年3月期の連結売上高は210億円、営業利益は22億円、当期純利益は9億円であった。所属する松山ケンイチ氏は2012年のNHK大河ドラマで主役を務め、翌年は綾瀬はるか氏に決まっていた。和田アキ子氏ら知名度の高いタレントを多く抱え、経営は安定して見えた[4][5]

収益の源になる市場のほうは、逆を向いた。音楽市場は縮小が続き、テレビ番組の制作本数も減少に傾き、ネットで音楽や映像を無料で楽しめるようになって、若い世代を中心にコンテンツへ支払う金額が減り続けた。広告主が広告宣伝費を絞ったことでコマーシャル制作などの需要も低迷しており、ホリプロはMBOの理由として、経営の意思決定を速められる体制を築くことを挙げた[6][7]

決断

2年前に見送った検討を実行へ移す

ホリプロがMBOを検討したのは、このときが初めてではなかった。2年前にも同じ選択肢を検討し、そのときは見送った。見送りを実行へ変えたのは、上場を保つ費用の見通しであった。堀義貴社長は、ホリプロのように国内市場に依存する会社が国際会計基準を導入すれば上場維持コストが跳ね上がるだけであり、知名度が上がった今となっては上場の利点はほとんどないと述べ、今回の決断に至ったと説明した[8]

退けられたのは、上場を保ったまま海外へ出る道であった。堀義貴社長は、テレビ局や演劇制作会社からの発注を待つだけでは立ち行かないとし、遅いかもしれないが海外展開を強化するとして、外国語を話せるタレントの育成とネット事業の拡大を挙げた。上場していると株主の目があって萎縮する部分があり、創業家がリスクをとって大胆に挑む必要があるとも語った。経営陣はタレントマネジメント事業の見直しやアジア進出を抜本的な手として挙げた[9][10]

1株1050円という値付け

2011年12月16日、ホリプロはMBOによる非公開化を公表した。買付者は創業者の堀威夫氏が代表を務める資産管理会社の青春社で、すでに議決権の45.30%を握る筆頭株主であり、堀義貴社長も取締役を兼ねていた。買付価格は1株1050円と定め、公表前営業日の終値645円に63%を上乗せした。公表時のホリプロの時価総額は約89億円であった[11][12]

買付予定株数は723万5620株、下限は361万7811株に置かれ、買付総額は約75億円に上った。買付期間は2011年12月19日から2012年2月6日までとし、決済の開始は2月13日と定めた。青春社は残る株式についても2012年5月上旬までに全部取得の手続きを終える予定を示しており、ホリプロ株の上場廃止は公表の時点ですでに日程へ組み込まれていた[13][14]

結果

価格への異議と、公開買付けの成立

買付期間の終盤に、値付けそのものへ異議が出た。2012年2月3日、発行済株式の約1%を持つ米投資ファンドのコグヒル・キャピタル・マネジメントが、1株1050円は企業価値に比べて低く少数株主の利益に反するとして、ホリプロの取締役会に買付価格の引き上げなどを求めた。ホリプロ側は、手続きは適切に行われており買取価格も妥当であると反論した[15]

応募は下限を大きく上回った。2012年2月7日、青春社は買付予定の723万5620株に対して626万7055株の応募を集め、その全株を買い付けたと発表した。青春社はもともとホリプロの筆頭株主であり、この買付けで創業家側の持分は完全支配へ近づいた。ホリプロ株は同年5月に東京証券取引所市場第一部の上場を廃止し、公開から23年で株式市場から姿を消した[16][17]

暴排条例をめぐる憶測と、その否定

非公開化の理由をめぐっては、会社の説明とは別の見方がインターネット上などで流れた。暴力団排除条例が影響したのではないかという憶測で、ある証券アナリストも、暴排条例はエンターテインメント業界にボディブローのように効いているとの見方を示した。同じアナリストは、契約書で排除したうえは完璧に隠すしか対策がなく、これは広告などすべての業界に共通するとも語った[18]

堀義貴社長はこれを完全に否定した。50年前の創業時から手は切れており、芸能界全体が悪いと思われるのは心外であるとし、暴力団が関わることがあるといわれる地方公演では、会場を借りる際に契約書へ明記するなど徹底した対策をとっていると述べた。憶測は裏づけを持たないまま残ったが、会社が公表した理由は、上場を保つ費用と創業家の裁量の二点にある[19]

出典・参考

この決断を下した社長 堀義貴

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