ワークスアプリケーションズワークスアプリケーションズの経営陣による買収と株式非公開化
黒字のまま市場を降りたのはなぜか
- 概要
- 2011年1月31日、経営陣が参加するWPKホールディングスが1株5万5,000円で公開買付けを実施し、ワークスアプリケーションズを非公開化した経営判断。買付代金は最大255億円で、同年6月に上場を廃止した。
- 背景
- 上場後の7年から8年にわたり売上高と利益の成長を求められ、牧野正幸氏は採用と開発費を抑えざるを得ない状態に置かれていた。標準機能を厚くし続けるという製品戦略と、四半期ごとの利益要求が同じ資源を奪い合っていた。
- 内容
- 買付価格は前営業日終値に34.15%のプレミアムを乗せた水準で、新株予約権は1個1円。買付期間は2月1日から3月15日までの30営業日。牧野氏 正幸氏ら経営陣はWPKホールディングスの株主となったうえで、取締役会として買付に賛同した。
- 含意
- 業績の悪化に追われた撤退ではない。直前期の連結売上高は209億円台で黒字を保っており、製品の評価も高かった。得た自由は製品の作り直しと採用の拡大へ投じられ、その規模が後年の危機を招いた。
非公開化そのものより、その後の使い道が結果を分けた
この判断を後知恵で誤りと断じるのは公平でない。上場を続けたまま年間売上高に迫る額を製品の作り直しへ投じるのは難しく、実際に上場末期の3年間は経常利益が伸びていない。日本企業の例外処理を標準機能として抱え込む設計は、基盤技術が変われば作り直しを避けられず、先送りすれば製品ごと陳腐化する。非公開化は、その作り直しに必要な時間を買う手段として理にかなっていた。
誤算があったとすれば、作り直しと人員の3.4倍化を同時に走らせた点にあるとみられる。設計と実装を分けず、新卒を育ててから前線へ置くという同社の作り方は、教育に時間を要することを前提としていた。年に千人規模で人が増える速度は、その前提と両立しない。市場の監視から離れたことで、投資の規模を外から問われる機会も減った。上場が課していた制約は開発の重荷であると同時に、規模の歯止めでもあったと考えられる。
MBOを検討する企業にとって、この事例が示すのは価格や手続きの問題ではない。市場を降りて得られるのは時間と自由であって、その時間を何に使うかは別の判断として残る。同社は使い道を製品と人の両方に置き、どちらも当時の売上規模に対して大きすぎた。降りる判断と、降りたあとの規律は、切り離して設計する必要がある。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
利益の頂点と、その翌期の反転
上場後の同社は、人事から会計・調達・顧客管理へ製品を広げながら規模を伸ばした。連結売上高は2004年6月期の70億1,300万円から2010年6月期の209億8,800万円へ、連結従業員は539名から2,216名へ増えた[2]。しかし利益の勢いは2008年6月期で止まった。同期の連結経常利益34億3,700万円・当期純利益19億9,700万円を頂点として、翌2009年6月期は経常利益10億3,100万円・当期純利益2億2,900万円へ落ちた[1]。売上高は微増しており、減益の主因は費用の側にあった。
同期の営業活動によるキャッシュ・フローは16億7,600万円の流出に転じ、前期の29億4,600万円の流入から反転した[3]。人員が1,398名から1,758名へ増えた期でもある。設計と実装を分けない開発体制を採る同社にとって、人を増やすことは売上を作る手段であると同時に、費用が先に立つ投資でもあった。教育に時間を要する新卒中心の採用では、費用と収益の間に数年の隔たりが生じる。
上場を続けることの費用
株主構成は、創業者が持ち分を握ったまま機関投資家が積み上がる形だった。2010年6月末の大株主は石川芳郎氏が11.49%で筆頭に立ち、日本トラスティ・サービス信託銀行9.82%、日本マスタートラスト信託銀行9.77%と続く[4]。牧野氏 正幸氏は6.11%、阿部孝司氏は5.75%を保有していた。事業会社の親会社を持たず、創業三人の合計が23%台にとどまる構成では、四半期ごとの説明責任が経営の自由度を直接に削る。
牧野氏 正幸氏は後年、上場してからの7年から8年は売上高も利益も伸ばし続ける必要があり、利益を求める投資家に応えるためには「人員の採用を抑え、開発費も抑えざるを得ません」という状態に置かれたと述懐した[5]。同社の製品は、日本企業の例外処理を標準機能として抱え込むほど厚くなる設計であり、その厚みを作るのは新卒から育てた人員だった。人を減らせば製品が薄くなり、製品が薄くなれば海外製パッケージとの差が消える。上場の維持と製品戦略が同じ資源を奪い合う構造は、事業が大きくなるほど強まった。
決断
最大255億円の公開買付け
2011年1月31日、経営陣による買収が公表された。公開買付者はWPKホールディングス、買付価格は普通株式1株5万5,000円で、前営業日の終値に34.15%のプレミアムを乗せた水準にあたる[6]。新株予約権は1個1円、買付代金は最大255億円、買付期間は2月1日から3月15日までの30営業日と定められた[7]。牧野氏 正幸氏ら経営陣はWPKホールディングスの株主となったうえで、取締役会として買付に賛同し、株主への応募推奨を決議した。買付は成立し、同社株式は2011年6月に大阪証券取引所JASDAQ市場での上場を廃止した。
掲げられた狙いは、人材の獲得と研究開発への長期投資だった。企業買収や事業分割、本社と子会社の海外移転までを視野に入れ、意思決定を速めることも理由に挙げた[8]。牧野氏 正幸氏の頭にあったのは限界という二文字で、これ以上の上場維持は無理だという判断があったと後に語られた[9]。四半期ごとに利益を示す義務から離れることで、費用が先に立つ採用と開発を再開できる、という筋書きにあたる。
結果
降りた直後が、評価の頂点だった
市場を降りた時点の同社は追い込まれてはいない。2011年6月期の連結売上高は231億円、当期純利益は12億6,000万円の黒字だった[10]。翌2012年5月に阿部氏が誌上で語った売上高も約240億円である。同じ対談で楠木建氏は「ワークスのパッケージは日本の大企業の3割が導入するほど好評」と評しており[11]、製品の評価はこの時期に最も高かった。非公開化は、危機からの退避ではなく、投資を再開するための資本構成の組み替えだった。
得た自由は宣言どおりに使われた。2014年4月に次世代型の大手企業向けERP「HUE」のコンセプトを公表し、報じられた開発費は300億円規模に達した[12]。採用も並行して膨らみ、連結従業員は2010年6月期の2,216名から2017年6月期の7,559名へ7年で3.4倍になった[13]。売上高も2011年6月期の231億円から2017年6月期の446億円へ伸びた。ただし利益は付いてこず、2012年6月期から2017年6月期までの6期のうち5期が当期純損失だった。
- M&A Online「ワークスアプリケーションズ、MBOにより非公開化へ」(2011年1月31日)
- NIKKEIリスキリング「ワークス創業以来の危機 上場廃止を選ばせた『初心』」
- IT Leaders「ワークスアプリがMBO実施、M&Aや海外展開を積極化」
- IT Leaders「ワークスAP『HUE』の開発費は300億円、100ミリ秒のレスポンスにこだわる」
- 週刊東洋経済 2012年5月2日号「楠木建の戦略ストーリー対談 楠木建×阿部孝司・ワークスアプリケーションズCOO」
- 有価証券報告書 第10期・第14期(株式会社ワークスアプリケーションズ)