ワークスアプリケーションズワークスアプリケーションズの問題解決能力発掘インターンシップ導入

カスタマイズしないパッケージを作るために、なぜ学生の選抜と教育まで自前で抱えたのか

時期 2002年8月
意思決定者(推定) 牧野正幸・阿部孝司 ワークスアプリケーションズ 代表取締役最高経営責任者・ワークスアプリケーションズ 代表取締役最高執行責任者
論点 人材採用と製品開発体制
概要
2002年8月、ワークスアプリケーションズが「問題解決能力発掘インターンシップ」を始めた経営判断。学生に実務に近い課題を解かせ、成績上位者へ入社資格を与える方式を採り、2008年には年間1,800人の学生を受け入れる規模に達した。
背景
同社は代理店も下請け開発も使わず、顧客と要件を詰める工程から実装までを同じ社員に担当させていた。この作り方は分業に慣れた中途採用者と相性が悪く、必要な人材を新卒から育てるほかなかった。
内容
1999年に始めたプロフェッショナル養成特待生制度を発展させ、選考の場を社外の学生へ広げた。日本企業のインターンシップが会社見学の域を出なかった時代に、実務課題の成績で入社資格を配る方式を採った。
含意
採用施策というより、製品設計から逆算した生産要素の確保にあたる。標準機能を厚くし続けるという製品戦略と、育成に時間を要する人員構成は表裏の関係にあり、後年に人員が急増した時期には同じ関係が制約として働いた。
筆者の見解

強みの条件が、そのまま制約の条件になった

この判断の核心は、採用の工夫ではなく、製品設計から人材要件を逆算した点にある。カスタマイズをなくすには標準機能を厚くするしかなく、厚くするには設計と実装を分けない社員が要り、その社員は新卒から育てるほかない。三つは一本の線でつながっており、どれか一つだけを真似ても機能しない。競合が追随できなかったのは、機能表を写すことはできても、この線を丸ごと引き直す必要があったからだと考えられる。

もっとも、同じ線は制約としても働いた。育成に時間を要することを前提に組まれた仕組みは、人員が年に千人単位で増える速度と両立しない。同社の連結従業員は2010年6月期の2,216名から2017年6月期の7,559名へ7年で3.4倍になり、その間に製品の作り直しも並行して走った。強みを支えていた条件が、規模と速度の変化によって重荷へ転じた。人を先に採るという判断は、採った人を育て切れる速度の内側でのみ成立するものであった。

なお、この仕組みを人材理念の表明として読むのは正確ではない。同社が新卒に賭けたのは、労働市場に必要な人材が存在しなかったからであり、理念が先にあったわけではないであろう。産業の側に分業の慣行がある限り、その慣行を採らない企業は自前で人を作るしかない。同じ構造は、独自の作り方を選んだ製造業にも繰り返し現れる。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

分業しないという製品設計上の制約

ワークスアプリケーションズが掲げた製品の条件は、日本独自の業務と文化を網羅すること、個別のソフトウエアカスタマイズが不要であること、高い投資利益率を実現することの三つだった[1]。海外製のパッケージが日本企業固有の手続きを例外処理として切り捨て、その処理を各社ごとのカスタマイズで埋めていたのに対し、同社は例外の側を標準機能へ引き取ると決めた。標準機能を厚くし続けることが、そのまま競争力の中身になる設計であった。

この設計は、開発の進め方まで規定した。同社は販売代理店も下請けの開発部隊も置かず、顧客と要件を詰める工程から実際の開発までを同じ社員に担当させた[2]。阿部孝司氏はその理由を分業の副作用に求めた。「お客様に接する最も優秀な人間が、『こうしたらすばらしい』というデザインを描いたとしますよね。しかし、それを作る人間が自分ほど優秀ではない場合、『現実的には無理かな』と作り込みの部分で妥協してしまうのです[3]」。業界の通例では、要望を聞く工程に優秀な人材を充て、作り込みは単価の安い技術者に任せる。その通例を採らないと決めた時点で、必要な人材の要件が跳ね上がった。

中途採用では埋まらなかった要件

求める人材は、顧客の業務を理解して仕様を描き、そのうえで自分で作れる社員だった。ところが業界の主流である分業に慣れた技術者は、この働き方へ移りにくい。阿部氏は「一度分業に慣れてしまうと、設計の段階で妥協する癖が付いてしまいます。転職者にワークスの仕事に慣れてもらうのは一苦労です。そのために新卒採用者を徹底的に教育しています[4]」と述べた。労働市場に完成品が存在しない以上、供給は自前で作るほかなかった。1999年4月に始めたプロフェッショナル養成特待生制度、後のテクノロジスト養成特待生制度と、港区芝の研修室の新設が、その最初の形にあたる[5]

決断

選考の場を社外の学生へ開く

2002年8月、同社は「問題解決能力発掘インターンシップ」を始めた[6]。学生に実務へ近い課題を解かせ、その成績で上位者を選び、入社資格を与える方式である。当時の日本企業のインターンシップは職場見学と業務説明が中心で、選考と切り離して運用するのが通例だった。同社はその区別を取り払い、インターンシップそのものを選抜の場に据えた。名称に「発掘」の語を入れた点にも、学歴や志望動機ではなく課題を解く力で選ぶという意図が表れていた。

規模は年を追って膨らんだ。2008年の時点で、同社は毎年1,800人の学生を受け入れた[7]。同じ年度の連結従業員は1,398人であり、受け入れた学生の数が社員の数を上回っていた[8]。採用の窓口というより、社外に開いた選抜と教育の装置として動いていたと見るのが自然である。牧野正幸氏は2004年の誌上で、この仕組みを高校生まで広げる構想も語った[9]

結果

採用の名物化と、模倣されなかった理由

この仕組みは同社の知名度を押し上げた。就職活動を扱う特集で同社のインターンシップ風景が繰り返し取り上げられ、2010年の働きがいのある会社調査では第1位に挙げられた[10]。人員は2004年6月期の連結539名から2010年6月期の2,216名へ増え、同じ期間に連結売上高も70億1,300万円から209億8,800万円へ伸びた[11]。売上の伸びが3.0倍に対して人員は4.1倍で、人を増やすことが、そのまま売上を作る手段になっていた。

競合が同じ方式を採らなかった理由を、阿部氏は労力に求めた。顧客の要望ではなく欲求の本質を自分の頭で考える社員を育てるのは容易ではなく、そこを担える人間の教育が難しい、という説明だった[12]。模倣を防いでいたのは製品の機能そのものではなく、その機能を作り続ける人の供給網のほうだった。同社が新卒採用と教育に固執したのは、そこが競争優位の在処だったからである。

出典・参考
  • 有価証券報告書 第10期・第14期(株式会社ワークスアプリケーションズ)
  • 週刊東洋経済 2012年5月2日号「楠木建の戦略ストーリー対談 楠木建×阿部孝司・ワークスアプリケーションズCOO」
  • 週刊東洋経済 2008年3月8日号「特集 『地頭力』はこう鍛える」
  • 週刊東洋経済 2004年11月20日号「The Talk 牧野正幸」
  • 週刊東洋経済 2010年12月21日号「特集 2011年大予測」

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