日亜化学工業 青色LED特許の囲い込み ライセンス供与の拒否、2001年の方針転換と発明対価訴訟の和解
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何をなぜ決めたか
- 概要
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日亜化学工業は青色LEDに関する特許を100件以上取得し、ライセンス供与を拒んで市場を1社で占める方針をとった。2001年に相次いだ敗訴と特許無効の判断を受け、優れた特許を持つ企業にはライセンスを出す方針へ改めた。並行して、発明者である中村修二氏との職務発明対価訴訟が2005年1月の和解まで続いた経営判断である。
- 背景
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1993年に青色LEDを実用化した後、日亜化学工業は特許を武器に豊田合成と十数件の訴訟を続け、ローム・松下電器産業・三洋電機など十数社のライセンス要請を断った。競合が現れない分だけ単価が落ちず、2000年12月期は売上高営業利益率27%超に達した。
- 内容
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2001年5月と12月の住友商事訴訟での敗訴、6月の層構造特許の無効判断を経て、三菱化学出身の田崎登常務を半導体事業の第二部門長に据え、優れた特許を持つ企業へのライセンス供与に道を開いた。発明者の中村修二氏は同年8月、20億円の一部請求と第2628404号特許の権利譲渡を求めて東京地裁へ提訴した。
- 含意
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東京地裁は2004年1月に利益1,200億円・貢献度50%と認定して200億円の支払いを命じたが、2005年1月11日の東京高裁での和解は利益120億円・貢献度5%とし、遅延損害金を含め約8億4,000万円で決着した。算定根拠が不明確だという批判は、日亜化学工業側と中村修二氏側の双方から出た。
いつ何が起きたか 11件
筆者の見解
守る道具として使い始めたとき
ライセンスを出せば田舎の小さな会社は一気につぶされる——十数社に繰り返されたこの説明は、日亜化学工業が2000年に世界のLED市場で首位に立った時点で、自らの成功によって成り立たなくなった。100件を超える特許は市場を守るために設計されたものではなく、中村修二氏が個々に出願した結果の集まりで、守る道具として使い始めたときに偏りが露呈した。
ただ、囲い込みを誤りと片づけるのは後知恵に近い。競合が現れない分だけ単価は落ちず、売上高営業利益率27%超という収益はそこから生まれている。窒化ガリウムの研究では自社が先行していたと豊田合成が主張し、法廷でも勝ち始めた経緯を踏まえれば、早くにライセンスを開いていれば単独首位を保てたとも言い切れない。むしろ重いのは、発光効率で20%台にとどまり他社から特許を借りかねない位置まで来て、ようやく方針が動いた点にあるといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
概況
同じ問いに直面した会社
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参考文献
- 日経ビジネス 2001年5月28日号
- 日経ビジネス 2001年8月27日号
- 日経ビジネス 2001年9月3日号
- 日経ビジネス 2002年1月14日号
- 日経ビジネス 2002年9月30日号