大正製薬ホールディングス創業家による総額7,100億円のMBOと上場廃止
非公開下での事業転換か、少数株主への公正な対価か——国内最大のMBOをめぐる攻防
- 概要
- 2023年11月、大正製薬ホールディングスが創業家によるMBOを発表し、上原茂副社長が代表を務める大手門株式会社が1株8,620円・総額約7,100億円のTOBを実施した。国内のMBOでは当時過去最大で、2024年1月に成立し、同年4月9日に上場廃止となった。
- 背景
- 連結の経常利益は2002年3月期の675億円から2022年3月期の184億円へ縮み、医薬事業は2期連続の赤字に沈んでいた。2022年の東証再編ではプライムを選ばずスタンダード市場へ移り、2023年9月末のPBRは0.60倍であった。
- 内容
- 約4割の株式を持つ創業家一族が応募契約を結び、大手門は議決権の73.12%を取得した。会社は、ネット販売への対応と海外事業の拡大に速く投資するための非公開化であると説明した。
- 含意
- 5割超のプレミアムを乗せてもPBRは0.85倍にとどまり、カタリスト投資顧問やオアシス・マネジメントが少数株主の扱いを問題視した。上場廃止後も対価の妥当性が争われ、MBOの価格に向けられる目が厳しくなったことを示している。
手続きは通っても、対価の問いは残った
2002年3月期に675億円あった連結経常利益は、2022年3月期には184億円まで減っていた。20年で3分の1以下になった会社を、創業家は株価がピークから6割下がった時期に、総額約7,100億円で買い取った。立て直しを担う側にとって不振は重荷であり、株式を買い集める側にとっては安く買える条件でもある。その二つの立場が上原茂副社長という一人に重なったことが、価格への異議の根にあったとみられる。1株8,620円は発表前日の終値を5割上回りながら、なお1株当たり純資産を下回っていた。
非公開化そのものの理屈には、反証しにくいところがある。医薬事業は2期連続の赤字で、市販薬の利益も2018年度までの300億円超から4〜5割減っていた。ネット販売や海外への転換を四半期ごとの評価にさらしたまま進める難しさは、上場企業に共通する。ただ、その理屈は価格の妥当性までは説明しない。臨時株主総会の議案がすべて可決されたあとも、オアシス・マネジメントやキュリRMBは争う構えを崩さなかった。手続きの適法性と対価の公正さは、別の問いとして残ったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
20年かけて縮んだ利益
大正製薬ホールディングスは「リポビタンD」や「パブロン」を擁する市販薬の国内最大手でありながら、利益は20年にわたって縮んでいた。連結の経常利益は2002年3月期の675億円を頂点に減り、2022年3月期には184億円まで落ちた。2018年の時点でも、利益のピークは18年前であるのに従業員は増え続け、従業員1人当たりの利益が半分以下になったと指摘されていた。少子高齢化と人口減で、柱である国内の大衆薬市場に伸びは見込みにくかった[1][2]。
2018年5月、同社は早期退職優遇制度の実施を発表した。1912年の創業以来、退職の呼びかけは初めてであった。8月末に公表された応募は943名で、勤続10年以上・40歳以上の対象者約3,000名のおよそ3割にあたる。割り増し退職金と再就職支援費用として特別損失122億円を計上したが、1人当たりでは約1,290万円と、2,000万円以上が珍しくない製薬業界では薄い部類であった。2018年3月期の営業利益は前期比16%増の369億円で、業績が崩れたための削減ではなかった[3][4]。
医薬事業の不振と、市場との距離
不振の中心にあったのは、医師が処方する医療用医薬品を扱う医薬事業であった。ジェネリック医薬品の参入と薬価引き下げを受け、MBO発表の直前には2期連続の赤字に沈んでいた。2000年代から重ねたM&Aと提携も実を結ばず、2018年7月末には保有する富山化学工業株34%を富士フイルムホールディングスへ売却した。市販薬も国内市場の縮小と競争激化、コロナ禍の外出自粛が重なり、2018年度以前は300億円以上あった利益が2019年度からの3年間は4〜5割減に落ち込んだ[5][6]。
株式市場との向き合い方も、上場企業のなかでは独特であった。2022年の東証の市場再編で、東証1部にいた大正製薬はプライム市場の上場条件を満たしながら、あえてスタンダード市場を選んだ。国内中心の事業で海外投資家の保有が少ないことを理由に挙げている。株価は1.4万円近くを付けた2018年をピークに下がり、2023年は5,000〜6,000円台で推移し、9月末のPBRは0.60倍であった。東証の要請を受けて増配や自己株取得に動く企業が増えるなかでも、配当と自社株買いの方針は据え置かれた[7][8]。
決断
1株8,620円のTOB
2023年11月24日、大正製薬ホールディングスはMBOの実施を発表した。創業家出身の上原茂副社長(47)が代表を務める大手門株式会社が、11月27日から翌2024年1月15日までTOBを行う。買付価格は発表前日の終値を約5割上回る1株8,620円で、買収総額は約7,100億円に達する見込みであった。11月上旬に発表されたベネッセホールディングスの総額最大2,079億円を上回り、国内のMBOでは過去最大とみられた。同社株の約4割を持つ創業家一族は、応募契約を結んでいる[9]。
創業家の保有は、個人と財団に分かれていた。2023年3月末の大株主には、公益財団法人上原記念生命科学財団が18.28%で首位に立ち、上原昭二氏が9.36%、公益財団法人上原美術館が4.75%、上原明社長が2.61%と並ぶ。これに三井住友銀行と三菱UFJ銀行が各3.66%、鹿島建設が2.01%と、取引先の持ち合い株が続いた。TOBの成立条件である買付予定数の下限は66.57%に置かれたが、この株主構成であれば、越えるのが難しい水準ではなかった[10][11]。
非公開化に託した事業転換
非公開化の理由として、会社は事業構造の転換を挙げた。中長期の成長にはネット販売への対応と海外事業の拡大が要り、その投資を速く進めるために上場をやめる、という説明であった。TOB成立後に示された方針には、セルフメディケーション事業の営業体制の抜本的な見直しと自社ECサイトの拡大、医薬事業でのオープンイノベーション、採用方針や報酬制度を含む人事制度の見直しが並ぶ。非公開化後は、上原明社長の息子である茂副社長が社長に就く予定であった[12][13]。
一方で、買い手にとっての条件も揃っていた。株価はピークから6割下がり、株主還元を強める動きにも同社は加わってこなかった。5割超のプレミアムを乗せた1株8,620円でも、PBRは0.85倍にとどまる。上場企業に求められる経営のあり方と同社の方針とのずれが目立つなかで、株価が6割下落したこの時期は経営陣にとって買い時でもあったと評された。事業転換の必要と、買い取り価格の安さが、同じ時点で重なっていた[14]。
結果
成立と、価格への異議
TOBは予定どおり成立した。応募株券等の総数は6,003万4,194株で、買付予定数の下限5,465万900株を上回り、2024年1月15日をもって成立した。買い手の大手門は議決権の73.12%を握り、普通株の買付総額は約7,100億円と、日本企業では最大のMBOとなった。会社は2024年2月13日、3月の臨時株主総会を経て4月9日に上場廃止になる見通しだと発表している。2023年4〜12月期の純利益は前年同期比51%減の103億円であった[15][16]。
価格への異議は発表の直後から出ていた。公表後に株価はTOB価格を上回る水準へ上がり、12月1日にはマネックスグループのカタリスト投資顧問が、少数株主を軽視した判断であるとの意見を表明した。同社の松本大会長は「PBR1倍は達成すべき最低基準ということが社会通念となっている中、少数株主に純資産価格以下でのエグジットを半ば強制するようなことは合理的とは考えていない」と述べている。IBコンサルティングの鈴木賢一郎社長も、買い付け価格の引き上げを求めるアクティビストが現れる可能性を指摘した[17][18]。
上場廃止後も残った争い
2024年3月18日、東京都豊島区の本社で臨時株主総会が開かれた。株式非公開化に向けた株式併合などの議案はすべて可決されたものの、出席した株主からは不満が漏れた。上場廃止で創業家の圧力が一層強まり、より閉鎖的になるのではないか、という声である。同社株を持つオアシス・マネジメントのセス・フィッシャー最高投資責任者は「価格を議論した特別委員会に独立性の低い人物が選ばれていることなど、プロセスに大きな問題がある」と主張した[19][20]。
会社側は、多くの株主がTOBに応募し臨時株主総会でも多数の賛同を得ているとして、MBOは適正であると答えている。しかし4月9日の上場廃止を前に、複数のファンド株主が法的手段の検討に入り、米投資ファンドのキュリRMBはすでに準備を進めていた。念頭にあったのは、2020年の伊藤忠商事によるファミリーマートへのTOBである。価格決定の申し立てを受けた東京地方裁判所はTOB価格に300円を加えた2,600円が適正だと判断し、伊藤忠側の抗告により東京高等裁判所で議論が続いていた[21][22]。
- 週刊東洋経済 2023年12月16日号「ニュース最前線 02 大正製薬が過去最大MBO 買収価格が不興を買う必然」
- 週刊東洋経済 2024年3月30日号「ニュース最前線 02 大正製薬にローランドDG MBOに横やりが相次ぐ」
- 週刊東洋経済 2018年9月15日号「ニュース深掘り 早期退職に3割応募 大正製薬で人員大削減の波紋」
- 大正製薬ホールディングス 有価証券報告書(連結・日本基準)
- 日本経済新聞(2024年2月13日)「大正製薬HD、4月に上場廃止へ オーナー家TOB成立」
- ミクスOnline(2024年1月17日)「大正製薬HD 創業家主導の「MBO」成立 3月の臨時株主総会など手続き経て上場廃止へ 事業変革に対応」