上原小枝

大正製薬ホールディングス・元代表取締役社長

(敬称略)

Uehara Koeda

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生年月日
学歴
出自
出自
1909年4月13日、静岡県加茂郡稲梓村(現・下田市)に建築請負業を営む土屋仁作氏の長女として生まれた。父は大正製薬所が1922年に払下げの材木で建てた40戸の住宅群和光園に住んでおり、そこで上原正吉氏と結ばれている。会社の役員に就いたのは1955年7月で、1962年9月に取締役副社長へ進んだ。1965年時点の持株は100万株、上原正吉氏の1,020万株と上原昭二氏の340万株と合わせ、一族3名で全株式の73%以上を占めた。
抜擢
1965年6月3日、上原正吉氏が科学技術庁長官へ就くのにともなって社長を辞し、取締役副社長だった上原小枝氏が第4代社長に就いた。日本企業要覧の役員欄も1965年6月の代表取締役社長就任と1966年9月の社長辞任を記す。上原正吉氏が大臣を辞めた1966年9月に社長を退き、代表取締役副社長に戻っている。社外から後任を立てず妻に社長を預けたのは、株式の7割超を一族3名が握っていたためと思われる。
施策
在任は1965年6月から1966年9月までの1年3か月である。就任の直前にはアンプル入りの風邪薬を飲んだ人が急性薬物中毒で死亡する事例が続いて社会問題となり、メーカーの損失総額62億8,228万円、薬局の売上げ平均3割減が報じられていた。在任中の1966年8月には東京証券取引所市場第一部への指定替えが決まった。上原正吉氏の国務大臣辞任を受け、同年9月に社長を退いた。
評価
執筆予定
就任前(FY64)192億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1968年版 経歴・出身地・生年
  • 大正製薬80年史(大正製薬、1993年) 創業の時代 生年・出身地・出自
  • 大正製薬80年史(大正製薬、1993年) 大衆薬の覇者に 経歴・出自

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