上原正吉
大正製薬ホールディングス・元代表取締役社長
(敬称略) 生年月日 —
学歴 錦城商業学校
出自 —
- 出自
- 1897年12月26日に埼玉県北葛飾郡田宮村の農家に生まれ、錦城商業学校を卒業した。1916年春、大正製薬所が縁故採用をやめて初めて行った一般公募で入社し、初任給15円の経理担当として帳簿を付けたのち、1年後には外回りの営業を志願して認められた。1923年9月の関東大震災の後に地方を回り、卸商と問屋が販路を握って商売が成り立たない実態に突き当たっている。1928年3月に取締役、1943年6月に専務取締役へ進んだ。
- 抜擢
- 1946年6月、石井輝司氏の社長辞任にともない第3代社長に選ばれた。同年3月31日現在の株主名簿では株主総数4,005名に対し、筆頭株主の持株は1,787株で全2万3,800株の1割にも満たない。一方で50株未満の特約株主は3,953名を数え、その持株合計1万1,654株は株式総数の5割に近かった。特約株主制度を作った本人へ小売店が寄せた期待が、社長就任の原動力になっている。日本企業要覧の役員欄も1946年6月の代表取締役社長就任を記す。
- 施策
- 就任後は戦時中に止まっていた共成会を協同組合主義で建て直し、1946年9月18日の創立総会で自ら理事長に就いた。1950年6月の参議院議員選挙に埼玉地方区から当選し、以後三選して社長と議員を兼ねている。1962年3月に発売したリポビタンDは20ml入りのアンプル剤を100ml入りのドリンク剤に改めたもので、発想は本人によるものだった。1965年6月に科学技術庁長官へ就任して社長を辞し、1966年7月に大臣を辞めたのち同年9月に社長へ復帰した。
- 評価
- 執筆予定
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 日本企業要覧 1968年版 経歴・学歴・出身地・生年
- 大正製薬80年史(大正製薬、1993年) 創業の時代 生年・出身地・学歴・経歴・出自
- 大正製薬80年史(大正製薬、1993年) 戦後の新スタート 経歴・出自