決断
敗戦の10日後、採れる人材の側から次の事業を決めた。1945年8月25日、興服産業社長の川崎音三氏と三輪常次郎氏は名古屋の本店で、陸軍衛生材料廠から人を得て製薬を、豊川海軍工廠から人を得て光学ガラス製品を始めることを小一時間で決めた。同年12月に旧豊川海軍工廠光学部の9名が、翌1946年1月には山内忠重氏と勅使河原巍氏が入社している。医薬は公定書品では先発に劣位となり、新薬へ転じて1948年11月に日本初の抗ヒスタミン剤レスタミンコーワ注、1949年12月に風邪薬コルゲンコーワを発売した。光学では1962年末に出した眼底カメラが手持式で世界の90%超を占める。商事部門に占める非繊維売上の比率は、1961年度の6.7%から1970年度の33.4%へ上がった。