この再編は、事業の数がまだ増えている途中に行われた点に特徴がある。四つに分かれた法人を1社へ寄せた判断は、地主との取引を長期の関係として扱う会社にとって、窓口と責任の所在を一つにする実務であったとみられる。創業者が自分の郷里の名を外して社員の側に名の根拠を移したという説明は情緒的にも読めるが、名が個人に紐づいたままでは、規模が増えるほど社外にも社内にも説明が要る。改称の動機と組織の要請が、たまたま同じ方向を向いていたともいえる。
もっとも、1社に統合した体制はそのまま続かなかった。18年後の2005年、スターツは会社分割で建設・仲介・分譲・法人の各事業を子会社へ移し、本体は持株会社となる。1987年に集めたものを2005年に分けたとみれば逆向きだが、1987年に統一したのは対外的な名であり、2005年に分けたのは事業ごとの収益責任であった。名は一つに保ったまま、責任の単位だけを組み替えられるか——同じ会社が二度にわたって問うたのは、その一点であったと推察される。