決断
利益を決めてきたのは設計の技術ではなく、契約の形と資材の調達先である。1972年ごろ、約250億円で受注したアルジェリアの製油所建設で約50億円の赤字を計上し、減配と賞与カットに至った。工期中に現地の賃金が3倍へ上がっても価格を動かせない一括請負が損失を確定させ、篠田治男社長は実費に報酬を加えるコスト・プラス・フィー方式へ契約を組み替えた。1985年のプラザ合意後は資材の調達が国内に偏ったまま円高が進み、1986年3月期から4期連続の営業赤字となった。1988年6月に就任した渡辺英二社長は海外調達比率を10〜20%から50%へ引き上げ、1990年3月期の受注高を前期の約3倍にあたる6,010億円へ押し上げた。原価の出どころを国内から現地へ移したことが、円高でも採算の残る海外案件の受け方を作った。
1989年4月 海外調達50%へ転換
1976年10月 日揮へ商号変更
日揮へ商号変更名実の一致した社名への転換と、実績と信用づくりによるリスク回避を軸に、海外プラント事業を成長の主軸に据えた戦略的な経営判断同じ経営論点に直面した企業 | 経営計画・中期戦略業績の推移1975 1976 1981 売上高(億円) 1,287 996 1,957 純利益率(%) 1.2 1.2 2.4 1972年 アルジェリアで巨額損失
アルジェリアで巨額損失海外プラントで一括請負のランプサム契約が生んだ大赤字を教訓に、実費精算のコスト・プラス・フィー方式とカントリーリスクの分散へ、契約とリスク配分の型を組み替えた判断同じ経営論点に直面した企業 | ガバナンス業績の推移1971 1972 1977 売上高(億円) 530 738 804 純利益率(%) 3.9 3.2 2.5