岡林次男

クラレ・元取締役社長

(敬称略)

Okabayashi Tsuguo

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生年月日
学歴 大阪帝国大学工学部
出自
出自
1935年に大阪帝国大学工学部を卒業し、同年3月に倉敷レイヨンへ入社した。1959年11月に取締役へ上がり、1962年時点では中条工場の建設部長を務めている。1962年5月に出資先の協和ガス化学工業の専務、1963年5月に本体の常務取締役、1968年8月に専務取締役、1971年5月に取締役副社長へ進んだ。入社から社長就任まで40年を数える技術畑の役員だった。出身は高知県である。
抜擢
1975年5月、仙石襄氏の後任として社長に就き、仙石氏は取締役会長へ移った。第一次石油危機の直後で、就任年度にあたる1975年3月期の経常利益は前期の116億円から10億円へ落ちていた。副社長として4年、鹿島工場のポリイソプレンゴムやクラレイソプレンの立ち上げに関わった技術者を、収益が急落したところで据えた人事だったとみられる。
施策
就任後の3期は経常赤字が続き、1978年3月期は経常損失52億円・当期損失32億円まで沈んだ。人員は1975年3月からの2年で約2000人減り、1977年6月時点でさらに2000人程度の減員を目標に掲げていた。並行して1976年からイソプレン誘導品の生産でファインケミカルへ入り、1978年には歯科用の接着性充填材と人工腎臓を出してメディカル分野へ広げた。1982年3月期は売上高1954億円・経常利益35億円まで戻している。
評価
執筆予定
就任前(FY74)1,786億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1976年版 経歴・学歴・出身地
  • 日本企業要覧 1978年版 経歴
  • 日本企業要覧 1962年版 経歴

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