大原總一郎
クラレ・元取締役社長
社長就任 1939年5月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学経済学部
出自 —
社長就任までの出自
出自
1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年11月に倉敷絹織へ入社した。1938年12月に常務取締役、1939年5月に取締役社長へ就任しており、入社から6年半である。創業者の大原孫三郎氏が社長を退任したことに伴う交代だった。1947年8月にいったん社長を辞して物価庁次長に転じ、1948年4月に同職を辞任、同年6月に社長へ戻っている。出身は岡山県で、創業地の倉敷と重なる。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1939年5月、創業者から社長を承継した。当時の倉敷絹織はレーヨン専業で、1936年までに倉敷・西条・岡山を含む4工場を整えたところだった。戦中の軍需転換と社名変更を経て、1949年4月に倉敷レイヨンへ商号を戻し、同年5月に取引所の再開で上場も戻している。物価庁次長を務めた1947年から1948年の空白を挟んで社長へ復帰しており、創業家が経営を握り続ける形が保たれた。
在任中の主な施策
施策
石灰石と石炭と水を原料とするビニロンの企業化を進め、1950年11月に岡山工場で生産を開始した。1954年に高強力タイプが出て漁網やセメント補強材へ用途が広がり、1962年5月には新潟県中条町で天然ガス法のポバール工場を動かした。1963年には国交のない中華人民共和国とビニロン一貫製造プラントの輸出契約を締結し、反対の強いなか政府の承認を得て1966年に引き渡した。1964年11月には人工皮革クラリーノの生産に入っている。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1932〜1953年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件
- 日本企業要覧 1962年版
- 日本企業要覧 1968年版
- 『会社銀行八十年史』