2期連続減益
ピアノ普及の一巡と為替環境の反転
1974年度を境に国内ピアノ販売台数は伸び悩み、高度成長期に急速に進んだ普及の一巡が顕在化した。音楽教室モデルによって「一億総中流」の家庭にピアノが行き渡った結果、新規需要は限定的となり、市場は量的成長の限界に直面した。
輸出面では為替環境の変化が重なった。1971年のニクソンショック以降、円高が進行し、国内生産を前提とした価格競争力が低下した。1960年代には円安を背景に海外市場で優位に立っていたが、為替条件の反転により収益構造が圧迫された。主力製品であるピアノの国内・海外双方で成長の前提条件が崩れていた。
量産体制の見直しと新市場の模索
ピアノ事業では、大量生産を前提とした拡大路線の見直しが課題となった。国内市場で新規需要が限定的となる中、生産能力と需要の均衡が崩れ始め、設備投資の回収期間も長期化した。量産モデルの前提が揺らぐ中、事業構造の再検討が迫られた。
一方、成長分野として期待された電子楽器でも競争が激化した。半導体技術の進展によりエレクトーンの製造が容易となり、カシオやローランドなどが参入した。ヤマハが楽器店と音楽教室を基盤とする販売モデルで優位を保っていたピアノとは異なり、電子楽器は量販店での販売が可能であり、従来の販路優位が通用しにくい市場環境であった。
祖業と成長分野の同時停滞
1980年代後半から1990年にかけて、ピアノと電子楽器の双方で収益環境が悪化し、2期連続の減益を記録した。祖業であるピアノは需要一巡と為替影響に直面し、成長分野と位置づけた電子楽器では競争優位を確立できなかった。主力二事業の同時停滞は、経営の前提条件を揺るがす局面であった。
この時期は、国内市場依存と量産志向を基軸とするヤマハの経営モデルの限界が明確になった転換点であった。音楽教室による需要創出という仕組みは普及の完了とともに量的拡張力を失い、収益源の再設計が不可避となっていた。