重要な意思決定
19677月

レクリエーション事業に新規参入

背景

資金余力と企業イメージ向上への志向

1960年代を通じてヤマハはピアノの製造販売で国内首位を確立し、輸出拡大と量産体制の確立により財務基盤を強化していた。楽器事業は安定収益を生み、設備投資と海外展開を同時に進められる体制が整っていた。こうした資金余力を背景に、川上源一社長は次なる事業領域の開拓を志向した。

川上は単なる事業拡大ではなく「企業イメージの向上」を重視した。音楽メーカーとしての枠を超え、文化や余暇の創造を担う企業像を構築することが狙いであった。レクリエーション事業は収益最大化を第一の目的とせず、企業の社会的存在感を高める象徴的投資として位置づけられた。

高度経済成長期に入り、国民所得の上昇とともに余暇需要は拡大していた。しかし欧米型の滞在型リゾートという概念は日本ではまだ定着しておらず、ヤマハはこの未成熟な市場において新しいレジャーの形を提示することを構想した。

決断

合歓の郷・つま恋・キロロと大型リゾートへ累計投資

1964年に鳥羽国際ホテルを開業し観光事業へ参入したが、本格的な転換点は1967年に三重県賢島で開業した「合歓の郷」であった。推定投資額約30億円を投じ、宿泊機能に加えて多様なレクリエーション施設を備えた滞在型リゾートを構築した。

1974年にはヤマハ発動機と共同で静岡県掛川に「つま恋」を開業し、推定約120億円を投資した。コンサート会場を併設し大規模イベントを開催できる施設としたことで、音楽企業としてのブランドとも連動する構造を形成した。1988年には北海道赤井川村で「キロロリゾート」開発を開始し、推定投資額約200億円を投じた。

合歓の郷、つま恋、キロロだけで累計約350億円の投資となった。楽器メーカーがホテルやスキー場を建設する判断は資本効率の観点からは説明しにくいが、楽器事業のキャッシュフローと社内留保がこれを可能にした。川上源一自身が「企業のアクセサリー」と表現した通り、収益事業としての位置づけは限定的であった。

結果

バブル崩壊で巨額減損、段階的に撤退

1991年前後のバブル崩壊により会員権ビジネスは急速に失速した。キロロリゾート関連では1995年に約150億円規模の損失を計上し、投資回収計画は大きく修正を迫られた。固定資産比率の高いリゾート事業は景気変動への耐性が低く、稼働率が低下すると固定費負担が収益を圧迫する構造であった。

1990年代以降、各施設では十分な再投資が行えず、設備の老朽化と集客力低下が進行した。収益性の改善は限定的であり、楽器事業のキャッシュフローに依存する状況が常態化した。レジャー部門は成長エンジンではなく、財務負担要因として認識されるようになった。

2005年3月期には主要4施設で減損処理を実施し、特別損失319億円を計上した。その後、合歓の郷やキロロなどは外部企業へ譲渡され、ヤマハはレジャー事業を大幅に縮小した。企業イメージ向上を目的とした投資は、結果として長期的な財務毀損を残すこととなった。