ピアノ製造を開始
嗜好品市場の構造的脆弱性
1890年代後半、日本における西洋楽器市場は依然として限定的であり、ピアノやオルガンは学校や一部富裕層向けの高額品にとどまっていた。日本楽器製造はオルガンの国産化で一定の地位を築いたものの、市場規模は小さく需要の拡大余地は不透明であった。加えて、楽器は生活必需品ではなく景気動向の影響を受けやすい商材であり、単一製品への依存は経営上のリスクとなる構造を内包していた。
好況期には需要が伸びる一方、不況期には真っ先に支出が削減される嗜好品の特性は、安定的な収益基盤の構築を困難にしていた。こうした需要の振れ幅を前提とすると、製品領域の拡張によるリスク分散が経営課題として浮上していた。
ピアノ・ハーモニカへの製品拡張
1899年、日本楽器製造はピアノ製造に参入した。オルガンに続く鍵盤楽器への展開であり、より高価格帯の製品を自社技術で手掛ける体制を整えた。さらに1915年にはハーモニカ製造にも参入し、高価格帯から大衆向けまで幅広い価格帯の楽器を揃えることで、総合楽器メーカーとしての基盤構築を目指した。
製造面では約600名規模の工場体制を整備し、北海道釧路に森林を確保するなど原材料調達の上流にまで踏み込んだ。製品多角化と生産基盤の拡充を同時に進めることで、市場拡大への備えを整えた。
景気変動と労使対立の顕在化
しかし、楽器市場の構造的な脆弱性は解消されなかった。ピアノは高額品であり一般家庭への普及は限定的であった。ハーモニカは大衆向け商材として一定の広がりを見せたが、ドイツ製輸入品との価格競争にさらされ、収益の安定化には至らなかった。製品ラインを拡張しても、市場そのものの厚みが伴わなければ収益は安定しない。
第一次世界大戦後の景気後退期には需要が縮小し、業績は悪化した。1926年には大規模ストライキが発生し、約105日にわたり工場操業が停止した。財務状況は逼迫し、経営体制の再建が課題となった。嗜好品依存の事業構造が景気変動に対して脆弱であることが、労使対立という形で顕在化した。