持株会社ANAホールディングスへの移行とマルチブランド体制の構築

フルサービスとLCCを一つの会社で抱えるか、ブランドごとに分けて束ねるか——マルチブランド体制への移行

更新:

時期 2012年2月
意思決定者 伊東信一郎 全日本空輸 社長
論点 グループ経営体制とマルチブランド戦略
概要
2013年4月1日、ANAが持株会社ANAホールディングスへ移行し、全日本空輸とLCC2社(エアアジア・ジャパンとピーチ・アビエーション)を傘下に並べるマルチブランド体制へ転換した経営判断。伊東信一郎社長が主導した。
背景
格安航空会社が日本に広がるなか、ANAはフルサービスの全日本空輸ブランドと切り離してLCCへ参入した。シングルブランドを守る日本航空と異なり、複数ブランドを併存させる経営の器を必要としていた。
内容
2012年2月の中期経営計画で発表。持株会社の下に事業会社の全日本空輸、連結子会社のエアアジア・ジャパン、持分法のピーチ・アビエーションを並べる。伊東信一郎社長が持株会社社長へ移り、事業会社の全日本空輸社長には篠辺修副社長が就いた。
含意
現在のANAグループ体制の骨格を定めた組織再編にあたる。ただし発足直後にエアアジアとの合弁が解消し、二つのLCCは後にピーチへ集約された。
筆者の見解

器を用意することと、育てること

この判断の核心は、性格の異なる事業を一つの会社で抱え込むのではなく、持株会社の下に別会社として並べ、ブランドごとに経営を分ける器を用意した点にある。フルサービスとLCCは費用の構造も客層も異なり、同じ看板と同じ意思決定で回すには無理があった。JALがシングルブランドを守ったのに対し、ANAが複数ブランドを束ねる道を選んだ違いは、その後の両社のLCC戦略の分かれ目にもつながっているとみることができる。

もっとも、器を用意することと、そこに何を入れて育てるかは別の問題であった。船出の直後に合弁が壊れ、二つあったLCCは最後にピーチへ一本化された。多ブランドを掲げた構想は、十年をかけて実際にはブランドを絞り込む方向へ落ち着いていった。持株会社という枠組みは、スカイマークの再建やピーチの子会社化といった後の一手を収める容れ物として働いた一方で、そこに並べるブランドの数と顔ぶれは、競争の推移に応じてなお書き換えられているとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

LCC時代の到来と別ブランドの必要

2010年前後、日本の空にも格安航空会社(LCC)の波が押し寄せた。ANAはこの流れに正面から向き合い、関西国際空港を拠点とするピーチ・アビエーションと、マレーシアのエアアジアと組んだエアアジア・ジャパンという二つのLCCを、全日本空輸の本体とは切り離して立ち上げていた。フルサービスの全日本空輸ブランドの隣に、価格を武器とする別ブランドを並べる構えは、シングルブランドを守る日本航空(JAL)とは対照的であった[1]

全日本空輸のようなフルサービス航空会社とLCCでは、費用の構造も現場の運び方も異なる。乗り継ぎ利便を優先して自社便を一つの時間帯に集める大手に対し、LCCは二地点間の往復輸送に徹して座席あたりの費用を抑える。伊東信一郎社長は、LCCが急速に伸びるならそちらへ資源を振り向ける機敏な経営判断が要る時代になったと語り、二つのLCCを抱えたグループをどう束ねるかが課題となっていた[2]

JAL破綻後の国際線拡大と成長の器

持株会社への移行は、LCCへの対応だけを見据えたものではなかった。2010年に経営破綻した日本航空が路線を縮小するなか、ANAは国際線を成長の柱に据えた。2012年2月に公表した中期経営計画では、2013年度の国際線供給量を2011年度比で29%増やす計画を掲げ、羽田の国際化と成田の発着枠拡大を取り込もうとしていた。事業の裾野が広がるほど、それらを統べる経営の器が要る[3]

移行を発表した前後のANAの体力も、この判断を支えていた。2013年3月期の連結売上高は1兆4,835億円、営業利益は1,038億円と、2010年3月期の営業赤字から立ち直っていた。フルサービスの国際線を伸ばしつつ、価格帯の異なるLCCを別に育てる。性格の違う事業を一つの会社の内側で走らせるより、持株会社の下に別会社として並べるほうが、それぞれの采配を明快にできるとみていた[4]

決断

持株会社ANAホールディングスの設立

2012年2月、ANAは新たな中期経営計画で、翌2013年4月に持株会社を設立すると発表した。持株会社の傘下に、事業会社の全日本空輸、連結子会社のエアアジア・ジャパン、持分法適用会社のピーチ・アビエーションを並べ、フルサービスと二つのLCCを別ブランドのまま束ねるマルチブランド体制へ移る構想であった。ブランドごとに費用や運賃の考え方を分け、それぞれに合う経営を敷く狙いがあった[5]

同じLCC時代を前にしても、JALの構えは違った。JALはジェットスター・ジャパンを非連結の持分法会社という投資先の一つに置き、JALブランドのまま押し通す道を選んだ。破綻後の再建で得た高収益体質を守るJALと、LCC事業へ前のめりに進むANA。両社は成長戦略の柱である国際線拡大では一致しながら、ブランドの束ね方では対照的な選択をした[6]

経営体制の切り分け

2013年4月1日、持株会社ANAホールディングスが発足した。全日本空輸の社長であった伊東信一郎氏が持株会社の社長へ移り、事業会社となった全日本空輸の社長には、副社長の篠辺修氏が就いた。グループ全体の戦略と資源配分を持株会社が担い、航空輸送そのものの運営は事業会社が受け持つ。意思決定の層を分ける体制が整えられた[7]

層を分ける利点は、性格の異なる事業をそれぞれの論理で回せる点にあった。フルサービスの全日本空輸は乗り継ぎ網と快適性を売りに国際線を伸ばし、LCC各社は低い費用で近距離を高頻度に飛ばす。持株会社はその上に立ち、需要の変化に応じてどのブランドへ資源を振り向けるかを決める。伊東氏が求めた機敏さは、この構造のなかで働くはずであった[8]

結果

船出直後の合弁解消

新体制の船出は、穏やかではなかった。持株会社の発足から二カ月余りの2013年6月、合弁相手のエアアジアが、エアアジア・ジャパンの合弁解消に踏み込んだ。エアアジアが持つ49%の株式はANAが買い取る方向で調整に入った。世界共通の販売・運営システムの採用や初年度からの黒字化をめぐって、エアアジア側とANAから送り込んだ経営陣の考えが繰り返しぶつかったためであった[9]

買い取りを終えたANAは、この会社をバニラ・エアと名を改めて2013年12月に再出発させた。フルサービスとLCCを別ブランドで束ねるという構想は、掲げてまもなく足元のブランドの一つを組み替える結果となった。マルチブランドの器そのものは残ったものの、そこに何を入れるかは、当初の想定どおりには進まなかった[10]

LCCのピーチへの集約

合弁解消の後も、ANAはLCCをグループの内側へ取り込む道を進めた。2017年、ANAホールディングスは304億円を投じてピーチ・アビエーションへの出資比率を38.7%から67%へ引き上げ、独立系として成功していたこのLCCを子会社に組み入れた。国の投資制限が外れる日本航空への備えという事情も背景にあり、LCC事業の意思決定をグループの手元へ引き寄せる判断であった[11]

2018年3月、ANAホールディングスはピーチとバニラ・エアを2019年度末までに統合し、ブランドをピーチへ一本化すると発表した。中距離LCCの台頭で競争が激しくなるなか、規模を確保して効率を高める狙いがあった。二つのLCCを別々に育てるという当初の絵は薄れ、フルサービスの全日本空輸と、ピーチに集約したLCCという、持株会社の下でブランドを整理した現在のANAグループの形が定まった[12]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2012年4月2日号「覚悟を決めたANA・JALの挑戦 脱『内需依存』でアジアに舵」
  • 週刊東洋経済 2013年3月22日号「新社長INTERVIEW 全日本空輸 篠辺修 787の最悪シナリオは避けられた」
  • 週刊東洋経済 2013年6月14日号「ANAのLCC子会社 就航1年でケンカ別れ」
  • 週刊東洋経済 2014年2月28日号「この人に聞く バニラ・エア社長 石井知祥 再出発の出足は上々」
  • 週刊東洋経済 2017年3月11日号「LCCピーチを子会社化 ANAの“JAL包囲網”」
  • 週刊東洋経済 2018年3月31日号「アジアLCC競争が激化 ピーチとバニラ、統合の必然」
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2013年3月期・連結)