分社は、売ることも閉じることもできない資産に責任を持たせるための工夫であった。川崎と大江山はどちらも本業の中核で、外へ出す選択肢はない。それならせめて損益を切り分けて、製造所ごとに社長を置き、原価も投資も自分の会社の話として考えてもらう。1999年に人員も工場も削り終えた後で残された手が、この線引きであった。実際、YAKIN大江山の経営陣は分社後の文章で、業務内容は製造所時代と変わらないと明記している。変えたのは仕事ではなく、誰の勘定かという括りにとどまった。
括り直しの効き目は、リーマンショック後の急落で測られた。原料と製品の値動きが同時に激しくなると、鉱山・製錬・圧延・販売の判断を別会社に分けて持たせる構造は、決定の速さで不利に働く。2010年3月期の純損失126億円という数字を前にして、会社は組織図を7年前へ戻した。株主総会も新株発行も交付金も要らない簡易合併という、最も静かな手続きで済ませている。分けて戻したこの7年を経て、川崎と大江山は同じ会社の製造所という1943年以来の呼び名に落ち着いた。