1943年の合併そのものは、書類の上では地味な手続きにみえる。すでに自ら開いた鉱山と製錬所を、法人格ごと本体へ寄せただけの整理であった。判断の重さは、その前の数年に積まれている。品位の低い珪酸質の鉱石を前にして、輸入に戻るのではなく、ドイツで生まれた直接製鉄法を製鉄以外へ持ち込み、他社が使わない炉を自前で回すと決めたところに賭けがあった。合併は、その賭けを会社の恒常的な設備として引き受ける宣言にあたる。
引き受けた側の負担も小さくはない。ロータリーキルンだけで製錬する方式は世界に類例がなく、技術も人も社内で継ぐほかない。相場が下がれば上流から採算が痛む。それでも、1945年の中断と1952年の原料転換、1975年の分離と1983年の再合併、2003年の分社と2010年の再統合を経て、鉱石から製品までという範囲だけは一度も縮まなかった。加悦鉄道で鉱石を運んだ1934年の坑口は閉じ、いま大江山製造所へ入る鉱石はニューカレドニアから宮津湾へ着く。