オルガノ米ローム・アンド・ハース社との提携とイオン交換樹脂アンバーライトの日本総代理店化

樹脂を他社から買い続けるか、供給元と直接組むか——装置専業の小さな会社が選んだ道

時期 1951年1月
意思決定者(推定) 丸山正武 社長
論点 基幹材料の調達と技術基盤の確保
概要
1951年1月、日本オルガノ商会(現オルガノ)は米国のローム・アンド・ハース社と提携した。同社はイオン交換樹脂アンバーライトの製造元であり、オルガノは後にその日本総代理店となる。三菱化成工業のダイヤイオンを買って装置に詰めていた会社が、樹脂の供給元と直接結びついた提携であった。
背景
1946年に長野県諏訪市で創業した日本オルガノ商会は、イオン交換樹脂を筒に詰めて脱塩・純水の装置に仕立てる業態で、中核となる樹脂は他社から買う立場にあった。1950年ごろから大型装置の受注活動が始まり、装置が大型化するほど充填する樹脂の量と性能が受注の成否を左右した。
内容
米ローム・アンド・ハース社と提携し、アンバーライトを扱う立場を得た。1951年4月には東京・本郷に研究所を設け、同年8月には昭和電工大川工場へ日量600トンのモノベッド式純水製造装置を納入した。オルガノの公式沿革は提携を1952年とし、あわせて日本総代理店になったと記す。
含意
1952年から53年にかけて葡萄糖や抗生物質の抽出精製装置へ応用が広がり、1957年にはアンバーライトの国産を始めた。樹脂・薬品を扱う機能商品事業は現在も残り、2026年3月期に売上高256億円・営業利益33億円を計上している。
筆者の見解

借りた技術で何を身につけたか

この提携を技術導入の一語で片づけると、判断の芯を取り逃がす。日本オルガノ商会が押さえに行ったのは製造の技術ではなく、自社が売る装置の中身そのものであった。樹脂を筒に詰めて売る業態にとって、樹脂の性能と供給量が事業の上限を決める。丸山正武社長は陸軍軍医学校でイオン交換樹脂を研究した技術者であり、装置の出来が材料に縛られることを誰よりも承知していたとみられる。三菱化成工業から買う立場を、自ら選んだ相手との取引へ組み替えた判断であった。

もっとも、この提携は当面の技術格差を認めた選択でもあった。自前で樹脂を作る道を先に採らず、輸入品を扱うところから入り、国産にこぎつけるまで6年を要している。契約の中身も、公式沿革に残る「日本総代理店」の一語のほかは辿れず、対価も条件も分からない。ただ、その6年のあいだに純水の装置は昭和電工の大川工場から日本電気の電子工業用高純度純水へ届いていた。他社の技術を借りる決断は、借りているあいだに何を身につけたかで後から意味が決まるといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

樹脂を他社から買う装置メーカー

日本オルガノ商会は、イオン交換樹脂そのものを作る会社ではなかった。陸軍軍医学校薬剤部で主任研究者を務めた丸山正武氏は、終戦後の1945年10月、三菱化成工業黒崎工場にあったイオン交換樹脂ダイヤイオンA・Kを買い取って研究を再開した。翌1946年2月に毎時40リットルの脱塩水製造装置を完成させ、同年5月、資本金5万円で会社を設けた。樹脂を筒に詰めて装置に仕立てる業態であり、中核の材料は他社から買う立場にあった[1][2]

需要は急速に立ち上がった。1946年に121万円だった売上高は、1951年11月期に4,847万円と40倍に伸びた。1950年ごろから大型装置の受注活動が始まり、東京に本社を置く大企業との商談が増えると、営業の主体も東京へ移っていった。1951年4月には本郷の菊富士ホテル戦災跡地を整地して東京研究所を設け、初代所長に清水博氏が就いた。装置が大型になるほど、充填する樹脂の量と性能が受注の成否を左右した[3][4]

決断

アンバーライトの製造元と結ぶ

1951年1月、日本オルガノ商会は米国のローム・アンド・ハース社と提携した。同社はイオン交換樹脂アンバーライトの製造元で、この分野の世界的な大手であった。1949年1月に東京都千代田区へ営業所を開いて営業を強化した直後の動きであり、同年5月には日本最初の大型純水装置を完成させている。オルガノの公式沿革は提携を1952年とし、あわせてアンバーライトの日本総代理店になったと記しており、交渉と契約の締結が年をまたいだものとみられる[5][6]

提携の成果はその年のうちに現れた。昭和電工から水解用水の純水製造装置を求められた東京研究所は、現地実験・樹脂量の算定・輸入・装置設計・計測器の考案まで全社で取り組み、1951年8月、大川工場に日量600トンのモノベッド式装置を据えた。試運転では不具合が続き、昼夜兼行で改良を重ねている。それまで蒸溜水は1トンあたり500円を要したが、この装置による純水は30円で得られ、18人を要した運転も1人の巡回で足りた[7]

結果

総代理店から国産化へ

樹脂を扱う立場を得たことで、応用の幅が広がった。1952年から53年にかけて葡萄糖・甘蔗糖・フォルマリンの抽出精製装置、ストレプトマイシンやペニシリン、アルカロイドなど医薬品の抽出精製装置を相次いで開発し、特殊液精製装置へ進んだ。売上高は1951年11月期の4,847万円から1953年11月期に2億8,100万円へ伸びている。1957年にはアンバーライトの国産を始め、輸入品の販売から国内生産へ移した[8][9][10]

装置の側でも技術は進んだ。1957年、日本電気の協力を得て日本初の電子工業用高純度純水装置を完成させ、東京芝浦電気のトランジスタ工場、旭化成工業富士工場へと納入を広げた。これが超純水製造装置の始まりとなり、東芝・日立・信越半導体など電子各社へ大型装置を納めていく。発電所や化学工場向けに立ち上がった純水の技術が、半導体産業の要求水準へ接続した[11]

樹脂事業として残ったもの

アンバーライトを扱う樹脂・薬品の事業は、装置事業と並ぶもう一方の柱として残った。2026年3月期のオルガノは、水処理エンジニアリング事業の売上高1,519億円に対し、機能商品事業で売上高256億円・営業利益33億円を計上している。全体に占める比率は6分の1ほどにとどまるが、装置の性能を決める材料を自社の商流に置く構造は、提携から75年を経ても変わっていない[12]

提携相手のローム・アンド・ハース社は2009年4月に米ダウ・ケミカルへ買収され、社名は残らなかった。それでもアンバーライトの商標と、それを日本で扱うオルガノの立場は続いている。丸山正武氏が三菱化成工業から樹脂を買っていた時期から数えると、材料の調達先は国内から米国へ、さらに自社生産へと組み替えられ、その後も供給元の資本が変わるなかで関係だけが引き継がれた[13]

出典・参考
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)所収「オルガノ」の項
  • オルガノ35年のあゆみ : 1946-1981(オルガノ, 1981)
  • オルガノ 公式サイト「沿革」(https://www.organo.co.jp/company/history/)
  • オルガノ 有価証券報告書(2026年3月期・連結)【セグメント情報】
  • 週刊東洋経済 2009年11月7日号「企業・産業「ハイテクニッポン」の最後の砦は今…無敵神話もついに崩壊!? ハイテク素材各社の模索」

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