栗田工業 の歴史

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創業 1949年
創業者 栗田春生
創業地 神戸市
創業
1949年7月、栗田春生氏が神戸市で資本金30万円の栗田工業を設立し、ボイラの水あかを防ぐ清缶剤の製造販売から始めた。1951年に兵庫県西宮市へ汽缶給水研究所を置いて水質を調べて薬剤を処方する体制を整え、1954年には水処理装置の製造販売へ参入して、薬品と装置の二つの事業を創業から5年で揃えている。1956年に本社を大阪市へ移し、1959年には化学洗浄工事の部門を鈴木商会として分離した。1961年10月に東京・大阪両証券取引所の第二部へ上場し、翌1962年8月に第一部へ指定替えとなる。ただし上場から間もない1960年代後半、出血受注の損失を工事進行基準で覆い隠した粉飾決算が露見し、倒産寸前に陥った。
決断
危機を商社の資本で越えた会社が、48年かけてその提携を解消した。1965年に伊藤忠商事と業務提携を結び、資材調達と輸出で総合商社の力を借りる関係を築く。1967年12月に粉飾決算が露見し、伊藤忠商事の増資引受と社長派遣を受けて再建へ入る。公害防止ブームで鹿島や大分のコンビナートから大型装置を受注し、発覚から6年ほどで累積赤字を消して復配した。2006年12月には入札談合の摘発を受けて官公庁発注の建設工事から全面撤退し、水処理薬品と民需の装置へ事業を絞っている。海外は長く現地子会社が自ら稼いだ範囲で投資する方式をとり、伸びは緩やかだった。2013年に伊藤忠商事との提携を解消したのち、2015年1月からは独BKギウリニの水処理薬品事業を取得して欧米での買収を重ねている。他人の資本で立ち直った会社が自前の資金で海外企業を取得する側に立ったことが、国内需要の頭打ちを海外の薬品事業で埋める構成を作った。
現況
減収の期に、営業利益はほぼ2倍になった。2026年3月期の連結売上高4,029億円は前期の4,089億円から縮んだが、営業利益は313億円から583億円へ増えている。前期に電子市場で計上した165億円の減損が消えたためで、市場別では一般水処理市場が売上2,311億円・営業利益296億円、電子市場が1,718億円・287億円と、売上で1.3倍の差がある両者がほぼ並ぶ利益を出した。一方で当期純利益は160億円と前期の203億円を下回っている。2022年に顧客の産業で事業を分ける二市場体制へ組み替え、2024年4月には国内の販売会社11社をクリタ東日本とクリタ西日本の2社へ再編した。薬品とメンテナンスを同じ窓口で売る形へ寄せたことが、装置の受注の波とは別の収入を国内に残した。
競合
国内では分け合う相手が2社しかなく、海外では追う側にいる。1981年時点の超純水装置では米ローム・アンド・ハースと提携して樹脂を確保したオルガノと市場を分け合い4割から4割5分を占め、2010年には国内の電子産業向けで約7割のシェアに達した。もう一方の膜の販売から超純水装置の建設へ売る単位を移した野村マイクロ・サイエンスは、半導体という1業種の工場に張り付いて伸びている。狭い国内市場で、栗田工業だけが薬品と装置の両方を同じ顧客へ売る位置にあった。海外は事情が異なり、水処理薬品では欧米の専業が先に世界の販路を押さえていたため、2015年以降は買収で入る形をとっている。2023年3月期には北米の水処理薬品事業ののれんへ76億円の減損を計上した。国内で組み上げた薬品と装置の売り方を海外へそのまま移せなかったことが、買収後の統合を現在まで続く課題として残した。
栗田工業:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 神戸で生まれた清缶剤から水処理専業メーカーへ (1949年〜)

水のドクターを掲げた創業と専業化

1949年7月、栗田春生氏が神戸で資本金30万円の栗田工業を設立し[1][2]、ボイラの水あかを防ぐ清缶剤の製造販売から事業を始めた[3]。水の将来性に着目した先覚者としての創業だったと、後年の経営陣は語っている。設立の2年後にあたる1951年には兵庫県西宮市に汽缶給水研究所を置き[4]、水質を調べて薬剤を処方する体制を早くから整えた。1954年には水処理装置の製造販売にも乗り出し[5]、水処理薬品と水処理装置という二本柱をこの時期に揃えている。水を汚さず効率よく使いこなす技術を売る発想は、のちに同社が掲げる『水のドクター』という自己規定へと結びついた。

  • 栗田工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1949年7月に神戸で栗田工業が設立された
    • [2]設立時の資本金は30万円である
    • [4]1951年に兵庫県西宮市に汽缶給水研究所を設置した
    • [5]1954年に水処理装置の製造販売を開始した
    • [3]創業者は栗田春生である

創業の地は神戸だったが、1956年に本社を大阪市へ移し[6]、成長に合わせて組織を整理した。1959年には化学洗浄工事の部門を分離して鈴木商会を設け[7]、専門ごとに会社を分ける形をとった。1961年10月には東京・大阪両証券取引所の第二部に株式を上場し[8]、翌1962年8月には第一部へ指定替えとなる[9]。1962年には横浜に総合研究所を新築移転し[10]、水処理を専門に研究する拠点を構えた。清缶剤の一品から始まった事業は、薬品・装置・化学洗浄を扱う水処理の専業メーカーへと十年あまりで姿を変えている。

  • 栗田工業 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1956年に本社を大阪市へ移転した
    • [7]1959年に化学洗浄工事部門を分離して鈴木商会を設立した
    • [8]1961年10月に東京・大阪両証券取引所の第二部に上場した
    • [9]1962年8月に東京・大阪両証券取引所の第一部に上場した
    • [10]1962年に横浜へ総合研究所を新築移転した

1965年、栗田工業は伊藤忠商事と業務提携を結び[11]、資材調達や輸出の面で総合商社の力を借りる関係を築いた。この提携は、のちの経営危機を乗り越える支えの一つにもなる。水処理装置では、上下水道やごみ焼却などの環境衛生施設にも手を広げ、し尿処理の分野では久保田鉄工・荏原インフィルコと並んで御三家と呼ばれる一角を占めた。[12]小さなクリーニング店から大規模な製鉄所まで、水を使うところはすべて客先になり得るという広い事業観が、この時期に形づくられている。水処理装置と水処理薬品の両輪で顧客の設備を長く支える営みは、のちの安定した収益基盤の土台になった。

  • 栗田工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1949年7月に神戸で栗田工業が設立された
    • [2]設立時の資本金は30万円である
    • [4]1951年に兵庫県西宮市に汽缶給水研究所を設置した
    • [5]1954年に水処理装置の製造販売を開始した
    • [6]1956年に本社を大阪市へ移転した
    • [7]1959年に化学洗浄工事部門を分離して鈴木商会を設立した
    • [8]1961年10月に東京・大阪両証券取引所の第二部に上場した
    • [9]1962年8月に東京・大阪両証券取引所の第一部に上場した
    • [10]1962年に横浜へ総合研究所を新築移転した
    • [11]1965年に伊藤忠商事と業務提携した
    • [3]創業者は栗田春生である
    • [12]し尿処理の分野で久保田鉄工・荏原インフィルコと並んで御三家と呼ばれた

粉飾決算の危機と6年をかけた再建

順調に見えた成長の途上で、栗田工業は1960年代後半に粉飾決算の発覚という危機に見舞われた[13]。当時を振り返った中村貞夫社長は[14]、この発表が会社を揺るがす事態だったと日本証券アナリスト協会の講演で述べている。株式を上場して間もない時期の不祥事であり、信用の回復と財務の立て直しが急務になった。ただし、創業以来の収益源である水処理薬品の事業は、この混乱のなかでも失われずに維持されていた。装置や化学洗浄と違い、薬品は客先の設備が動く限り継続して売れる商材であり、危機のさなかでも会社の底を支える役割を果たしている。

再建の時期は、公害防止ブームと高度経済成長の重なる好機と一致した。鹿島や大分の石油化学コンビナートなどから大型の水処理装置を相次いで受注し[15]、成長市場の追い風を受けている。加えて、伊藤忠商事や取引金融機関の援助を受け、全社員が結束して立て直しに当たった結果、栗田工業は発覚から6年ほどで再建を果たし、配当を復活させた。[16]危機を境に財務体質の強化を意識するようになった点は、のちに超純水供給事業へ多額の投資を振り向ける際の慎重な資金政策にも通じている。経営の危うさを一度味わった経験は、堅実な財務を重んじる社風として長く残った。

    • [13]1960年代後半に粉飾決算が発覚し経営危機となった
    • [14]中村貞夫は当時の社長として危機を回顧した
    • [15]鹿島や大分のコンビナートから大型水処理装置を相次いで受注した
    • [16]粉飾決算の発覚から6年ほどで再建し復配した

公害防止ブームと環境施設への広がり

1970年前後からの公害防止ブームは、水処理を専業とする栗田工業に大きな需要をもたらした。工場排水や煙を出す設備のあるところが客先になり、水処理装置の事業は一般産業向けのプラントに加え、官公庁向けの環境衛生施設へと広がった。し尿処理の分野では年間500億円規模の市場でその3分の1を確保できると見込[17]むまでになり、都市ごみの焼却設備も1963年ごろから手がけている[18]。大阪万博会場跡地に完成した焼却場のように、かつての汚い施設という印象を払拭する設計が求められるようになった。行政や地域住民との調整も、環境施設の受注を進めるうえで欠かせない要素になった。

事業の拡大に合わせて拠点も整えられた。1974年には東京・新宿に東京本社ビルを建て[19]、大阪と東京の両本社制のもとで資金調達などの機能を東京に集めた。研究面では、横浜の総合研究所を1985年に神奈川県厚木市森の里へ新築移転し、水の病理を調べる専門拠点を拡充している。[20]電力向けでは、石炭を燃やす火力発電所の排煙脱硫にともなう廃水処理装置に強みを持ち、廃水中の成分を合成吸着剤で除く技術で工業技術院院長賞を受けた。[21]水処理装置と水処理薬品を組み合わせる総合力が、この時期に磨かれている。原子力発電所の配管に付く腐食生成物を洗い落とす除染など、電力分野に固有の技術も蓄えた。

    • [17]し尿処理の市場は年間500億円規模でその3分の1の確保を見込んでいた
    • [18]都市ごみの焼却設備を1963年ごろから手がけた
    • [21]排煙脱硫の廃水処理技術で工業技術院院長賞を受けた
  • 栗田工業 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1974年に東京・新宿へ東京本社ビルを建設した
    • [20]1985年に総合研究所を神奈川県厚木市森の里へ新築移転した

半導体産業と歩む超純水装置の開発

半導体産業の成長は、栗田工業の技術を新しい段階へ押し上げた。同社は1970年代から半導体メーカー向けに超純水の製造装置を提供し始め、イオンや有機物、微粒子を極限まで取り除いた理論純水に近い水をつくる技術を築いた。かねて研究していた逆浸透膜を使うRO装置と純水装置を組み合わせ、従来のろ過方式の弱点を補ったことで、日本電気・東芝・ソニー・日立などから超純水装置の受注を重ねている。[22]1981年時点では、同業のオルガノと市場を分け合いながら4割から4割5分のシェアを握った[23]。客先の要求水準がそのまま開発目標になる半導体メーカーとの二人三脚が、この時期に始まっている。

1978年にはシンガポールに水処理薬品の製造販売子会社[24]を設け、海外にも足場を築いた。1981年、中村貞夫社長は1985年度に売上高1000億円、経常利益50億円をめざす中期計画を公表し[25]、薬品部門で全体の約3割を稼ぐ構想を描いている。もっとも、当時の海外子会社は自ら稼いだ資金の範囲で投資するのが伝統で、成長の速度はゆるやかだった。半導体の集積度が上がるにつれて超々純水への要求が強まり、水の純度を極める競争は、装置と薬品の両方を持つ同社にとって新しい主戦場になった。水処理薬品でも石油プロセス向けの薬剤などへ用途を広げ、産業の川上に近い分野へ入り込んだ。

    • [22]日本電気・東芝・ソニー・日立などから超純水装置を受注した
    • [23]1981年時点で超純水装置のシェアは4割から4割5分だった
    • [25]1981年に1985年度売上高1000億円・経常利益50億円をめざす中期計画を公表した
  • 栗田工業 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1978年にシンガポールへ水処理薬品の製造販売子会社を設立した

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栗田工業の沿革1949〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1949〜1970年神戸で生まれた清缶剤から水処理専業メーカーへ栗田春生栗田工業を設立
栗田春生汽缶給水研究所を新設
栗田春生水処理装置の製造販売を開始★★
栗田春生本社を移転
栗田春生化学洗浄工事部門を分離し鈴木商会を設立
栗田春生東京・大阪証券取引所市場第二部に上場
栗田春生メンテナンス部門を分離し関西栗田整備を設立
栗田春生総合研究所を新築移転
栗田春生伊藤忠商事と業務提携★★
栗田春生水処理薬品の製造部門を分離し栗田高槻製造所を設立
貝石眞三粉飾決算の露見と、伊藤忠商事の増資引受による経営再建

1967年12月、栗田工業の粉飾決算が露見した。隠されていた累積赤字は26億円で、当時の資本金の2.6倍にあたる。倒産寸前の同社を救ったのは最大の債権者である伊藤忠商事で、増資を引き受けたうえ、副社長の貝石眞三氏を副社長のまま社長に送り込んだ。再建には6年を要し、1973年9月期の復配で一区切りがついた。

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★★★
1971〜1996年公害対応と半導体向け超純水で装置と薬品の両輪を確立貝石眞三東京・新宿に東京本社ビルを建設
貝石眞三西日本向けに栗田水処理管理を設立
貝石眞三栗田製造所が移転
佐川明東日本向けに東京水処理管理を設立
佐川明クリタPte.Ltd.を設立
中村貞夫本社を移転
中村貞夫水処理薬品の販売会社クリタ空調薬品を設立
中村貞夫総合研究所を新築移転
1997〜2014年機械屋から「水売り」へ、超純水供給とサービス化竹歳一夫100%子会社の栗田テクニカルサービスを吸収合併
竹歳一夫クリタス東京がクリタス西日本など4社を吸収合併しクリタスに商号変更
竹歳一夫事業開発センターを建設
三東崇秀100%子会社の栗田製造所を吸収合併
三東崇秀分析部門を分離しクリタ分析センターを設立
藤野宏精密洗浄部門を分離しクリテックサービスを設立
藤野宏事業開発センターに総合研究所を統合しクリタ開発センターを開設
藤野宏入札談合の摘発を受けた官公需の建設工事事業からの全面撤退

2006年12月27日、栗田工業は国、地方公共団体等が発注するすべての建設工事事業から撤退すると発表した。汚泥再生処理(し尿処理)施設建設工事の入札談合で同年5月に公正取引委員会から刑事告発されたことを受け、摘発された分野にとどまらず、建設業法が定める28業種の官公需を返上した判断であった。藤野宏社長のもとで決めている。

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★★★
中井稔之伊藤忠商事との業務提携を解消★★
2015〜2026年欧米M&Aで世界へ、電子と一般水処理の二市場体制中井稔之独BKギウリニの水処理薬品事業の取得と、欧米での連続買収による海外事業の拡大

栗田工業は2015年1月、独BK Giulini GmbHおよびその関係会社から水処理薬品・紙プロセス薬品・アルミナ化合物の3事業を取得原価323億円で譲り受けた。以後、2017年1月に米フレモント・インダストリーズ、2019年3月に米U.S.ウォーター・サービスの持株会社を相次いで買収し、欧州と北米に水処理薬品の事業基盤を築いた。

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★★★
門田道也水処理薬品会社・韓水を子会社化
門田道也水道管劣化予測ソフトのフラクタ,Inc.に出資
門田道也U.S.ウォーター・サービス,Inc.他3社を買収★★
門田道也ペンタゴン・テクノロジーズ・グループ他2社を子会社化★★
門田道也Kurita Innovation Hubを開設
江尻裕彦水処理装置の製造・販売会社であるアルカデ・エンジニアリングGmbH他3社を買収
江尻裕彦国内販売事業会社など11社をクリタ東日本・クリタ西日本の2社に再編
出典・参考

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