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エンジニア採用の本格化と技術の内製化

2006年実施

営業の会社が技術を持つ会社へ——アメーバの急成長が迫った転換

時期 2006年5月
意思決定者 藤田晋(社長)
論点 技術の内製化
概要
2006年、急成長するアメーバのトラフィックを支えるため、サイバーエージェントがエンジニア採用を本格化し、技術の内製化に踏み切った経営判断。営業を中心とする組織から、自ら技術基盤をつくる事業会社への転換点となった。
背景
アメーバブログの利用が急拡大するなか、外注に頼る体制では規模の拡大に耐えられなくなっていた。広告代理を主力に成長した同社は技術者が乏しく、システムの作り直しが避けられない状況に置かれていた。
内容
2006年にエンジニア採用を本格化し、技術組織の構築に着手。同年4月に入社した佐藤真人氏が技術責任者として基盤を再設計し、記事やコメントはMySQL、ブログの管理情報はOracleと、用途で使い分ける大規模構成を組んだ。
含意
2006年のシステム改善を契機にアメブロは月間50億ページビューの日本一のブログへ成長し、2010年にAmeba事業は黒字化した。この内製化の経験が、後のゲームやアドテクの技術投資を支える土台となった。
筆者の見解

技術を持つことが次の事業を生んだ

この決断の意味は、目先のサーバー増強にとどまらない。広告代理という営業主体の会社が、エンジニアを自ら採り、技術責任者に基盤の設計と運用を委ねたことは、事業を支える能力の中心を営業から技術へと移す判断だった。用途に応じてMySQLとOracleを使い分ける設計に象徴されるように、内製化は単なる人手の確保ではなく、自社のサービスを自社の技術で最適化できる状態をつくることであった。メディアを持つと決めた以上、それを支える技術も自前で持たねばならない——2004年のアメーバの選択が、必然としてこの内製化を呼び込んだ。

そして、この時期に育った技術の力は、アメーバ一つにとどまらなかった。自社で大規模サービスを設計・運用できる組織は、のちにゲーム事業のCygamesや、広告の配信技術を担うアドテク部門といった、技術が競争力を左右する領域へ人材と知見を送り出す母体になった。営業の会社として始まったサイバーエージェントが、技術者にとって働く場として認知されていく出発点も、この2006年の転換にある。メディアへの参入が技術の内製化を促し、その技術がさらに次の事業を生む——この連鎖の最初の環が、ここで結ばれた。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

外注では支えきれない急成長

2005年にアメーバ事業本部を設けてメディアへ本格参入した同社は、ブログの利用者が急速に増えるという、うれしい悲鳴に直面していた。ページビューが桁違いに伸びるにつれ、システムにかかる負荷は増大し、外部の開発会社に頼る体制では規模の拡大に追随しきれなくなっていた。実際、外部の開発会社へ全面的に委託して構築したシステムはうまくいかず、内製化の必要が痛感された。もともと広告代理を主力に成長してきたサイバーエージェントは、社内に技術者が乏しく、営業の組織文化が色濃かった。急拡大するサービスを自前で支えるには、技術基盤そのものを作り直す必要に迫られていた[1][2]

決断

エンジニア採用の本格化と技術責任者の招聘

2006年、サイバーエージェントはエンジニアの採用を本格化し、技術組織の構築に着手した。営業を中心としてきた会社が、技術を自前で持つ体制づくりへ舵を切る重い転換であった。同年4月には佐藤真人氏が入社し、新規開発局の技術責任者としてアメーバの基盤づくりを担った。外注で急場をしのぐ段階から、自社のエンジニアが設計と運用に責任を持つ段階へと、開発の主体が社内へ移っていった。藤田晋社長は、ネットサービスの肝は開発にかける額の多寡ではなく内製化するかどうかにあるとして、外注に頼っていたシステムをすべて内製化する方針を掲げた[3][4]

用途で使い分ける大規模データベース

再構築された基盤は、扱うデータの性質に応じてデータベースを使い分ける設計だった。記事の所在情報やコメント、トラックバックといった大量に読み書きされるデータは約40台のMySQLサーバに分散して受け止め、記事本文や画像はファイルサーバに、ブログの属性やブログ同士のつながり、ランキングといった全体の管理情報は3台のOracleサーバに集約した。複雑なデータ管理はOracleが向いているとの技術判断のもと、規模と複雑さの双方に耐える構成を組んだ。この2006年のシステム改善が、その後のアメブロの飛躍を支える技術的な土台となった[5][6]

結果

日本一のブログを支えた基盤

内製化の成果は、サービスの規模となってあらわれた。2006年のシステム改善を契機に、アメブロは月間50億ページビューを集める日本一のブログへと成長した。2008年5月には管理系のOracleを3ノードのRAC構成へ増強し、月間44.5億ページビューの負荷を受けながら100億ページビューの実現を見据えるまでになった。急拡大するトラフィックを自前の基盤で支えられる体制が整い、メディア事業は拡大を続け、2009年にはAmeba事業が黒字化を果たした。外注に頼っていた会社が、自社のエンジニアで大規模サービスを運用できる会社へと変わった。営業を中心とする組織から、技術も自前で持つ事業会社への転換が、数字の面でも裏づけられた[7][8][9]

内製化で育った技術の力は、アメーバ一つにとどまらなかった。同社は2011年にゲーム開発子会社のCygamesを設立し、2013年10月にはアドテク本部を新設して新たに100名のエンジニアを採用するなど、技術を競争力の核に据えた事業拡大を続けた。藤田晋社長も2010年に、今後のネットビジネスは優秀なエンジニアを集めた会社が成功していくと公言し、技術者の採用を経営の前面に掲げた[10][11]

出典・参考