ABEMAによるサッカーW杯全64試合の無料生中継
2022年実施累積赤字を抱えるメディア事業に、藤田晋社長はなぜ史上最大の投資を重ねたか
- 概要
- 2022年、サイバーエージェントとテレビ朝日が共同運営する「ABEMA」が、FIFAワールドカップ カタール2022の全64試合を日本で初めて無料生中継すると決めた経営判断。放映権料は非公表ながらABEMA史上最大規模の投資であり、赤字を続けるメディア事業をさらに賭けにさらす選択だった。
- 背景
- ABEMAは2016年の開局以来、年間200億円規模の投資を続け累積赤字が膨らんでいた。藤田社長は黒字化の時期を意図的に明言せず長期投資を貫き、格闘技・麻雀・将棋など勝負事コンテンツで週間視聴者を積み上げていた。
- 内容
- 2022年3月、共同出資者テレビ朝日からの打診を受け、全64試合の放映権を取得して無料で生中継すると発表した。生中継・同時性・無料というテレビの本質価値でサービスをマス化する狙いで、藤田社長は無料化に迷いはなかったと語った。
- 含意
- 大会期間中に視聴者数は開局史上最高を更新し、「三笘の1ミリ」で話題を独占した。単年ではW杯費用で赤字が拡大したが、認知とWAUの底上げは黒字化への布石となり、2025年9月期にメディア事業は初の通年黒字へ到達した。
期限を切らない投資という経営スタイル
この決断の核心は、赤字事業への追加投資を「いつ回収するか」で測らなかった点にある。藤田社長は黒字化の期限を明言せず、代わりにゲームと広告という二つの黒字の柱でメディアの赤字を吸収し続ける構造をつくった。その体力を土台に、W杯という一度きりの大型コンテンツへ史上最大の投資を重ね、課金ではなく認知と利用者基盤を買った。2000年の上場で得た資金余力に始まり、アメーバやAbemaへと続いてきた「黒字事業が赤字事業を長期に支える」という同社の経営スタイルが、ここでも桁を変えて再現されている。
もっとも、無料生中継が視聴記録を塗り替えたことと、事業が黒字化したことは、直ちには結びつかない。W杯の年は赤字がむしろ拡大し、通年黒字化はそこから約3年を要した。それでも、無料化で獲得した認知とWAUの底上げが後年の黒字化を早めた面は否めない。回収時期を約束しない代わりに、勝負どころで一気に投資を集中させる——その判断が実を結ぶかどうかは、支える本業の高収益が続くことを前提にしている。W杯の賭けは、その前提が成り立つうちに打たれた一手だったとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
黒字化の時期を明言しないメディア投資
ABEMAは、サイバーエージェントとテレビ朝日が2016年に共同で立ち上げたインターネットテレビである。開局当初から巨額の先行投資を必要とし、藤田晋社長は2017年にABEMAへ年間200億円を投じ、その7割近くをコンテンツ制作にあてる計画を示していた。特徴的だったのは、黒字化の時期を経営者として意図的に語らなかったことである。藤田社長は「それだけは絶対言わない」と述べ、無理に黒字化させようとすると事業がおかしくなるとして、期限を切らずに長期投資を続けた[1]。
期限を設けない投資は、そのまま累積赤字の拡大を意味した。運営会社である株式会社AbemaTV単体は、後の2023年9月期末で1,278億円規模の債務超過を抱えるまでになる。それでもサイバーエージェントが投資を続けられたのは、ゲーム事業と広告事業という二つの高収益の柱があったからである。決断当時の2022年9月期でも、ゲームは605億円、インターネット広告は245億円のセグメント利益を稼ぎ、メディアの124億円の赤字を吸収していた。二つの黒字がひとつの赤字を支えるこの構造が、長期投資を可能にしていた[2]。
勝負事コンテンツと1,000万WAUの到達
ABEMAは、他社の動画サービスと同じ土俵で戦うのではなく、自ら立ち上げた独自コンテンツで視聴者を積み上げてきた。麻雀のプロリーグ「Mリーグ」、将棋、格闘技、大相撲、欧州サッカーやMLBといった勝負事・スポーツの中継を編成の軸に据え、藤田社長自身が「自分の好きなコンテンツを自ら立ち上げたサービスで楽しむ毎日」と語る領域を広げていった。こうした積み上げの結果、ABEMAはサービスとして成立に必要とされた週間アクティブユーザー1,000万に到達し、次の大型投資に踏み込む足場を得ていた[3]。
決断
全64試合を無料で生中継するという決定
2022年3月15日、ABEMAはFIFAワールドカップ カタール2022の全64試合の放映権を取得し、日本で初めて全試合を無料で生中継すると発表した。きっかけは、共同出資者であるテレビ朝日側からの打診だったと藤田社長は明かしている。放映権料は守秘義務を理由に公表されておらず、一部の報道では200億円規模との観測も伝えられたが、いずれも公式に確認された金額ではない。それでもこの投資は、社内でABEMA史上最大規模の投資とされた[4][5]。
「生中継・同時性・無料」というテレビの本質
有料でも成立しうる大型コンテンツを、あえて全試合無料にした狙いは、サービスのマス化にあった。藤田社長はテレビの価値を「生中継であること」「みんなが一緒になって見る同時性」「無料であること」の三つに整理し、この三つをABEMAで再現するために無料化には「1ミリたりとも迷わなかった」と語る。中継の責任者も、ABEMAをより多くの視聴者に届けて「一段上のフェーズ」へ引き上げる投資だと説明した。目先の課金収入ではなく、認知と利用者基盤そのものを買う判断だった[6][7]。
結果
開局史上最高を塗り替えた視聴記録
2022年11月20日から12月18日までの大会期間、ABEMAは開局以来最大のトラフィックを記録した。日本代表初戦が放送された11月23日には単日視聴者数が1,000万を突破して開局史上最高を更新し、開幕から日本第2戦を含む1週間の視聴者数は3,000万を超えた。日本代表が決勝トーナメント進出を決めた12月2日のスペイン戦では単日1,700万を突破し、記録をさらに塗り替えた。この試合で三笘薫選手が折り返した「三笘の1ミリ」は、大会を象徴する話題として世界的に広がった[8][9]。
大会を通じてアプリの累計ダウンロードは9,200万に達し、W杯期間中の週間アクティブユーザーは3,409万と過去最高を記録した。大会後もWAUは従前の約1.4倍で推移し、藤田社長は「ABEMAはワールドカップで大きな飛躍を遂げた」「広告主の関心も非常に高くなった」「ABEMAの潜在的な価値は大きく向上した」と総括した。無料生中継で買った認知は、単なる一過性の話題にとどまらず、視聴基盤の底上げとして残った[10]。
単年の赤字拡大と、その先の黒字化
一方で、投資はその年の損益を押し下げた。運営会社AbemaTV単体の営業損失は、前期の113億円から2023年9月期には161億円へと拡大し、W杯関連費用が赤字を膨らませた。もっとも、周辺事業を含む「メディア事業」としては黒字化が視野に入り、2023年7〜9月期の赤字幅は6,000万円まで縮小していた。そして開局からおよそ10年目の2025年9月期、メディア(メディア&IP)事業は営業利益72億円で初の通年黒字化を達成し、週間アクティブユーザーは2,847万に達した。W杯の大型投資は、単年で見れば赤字要因でありながら、黒字化への助走路でもあった[11][12]。
- サイバーエージェント 2022年11月24日「日本代表初戦が放送された11月23日(祝・水)の1日の『ABEMA』視聴者数が1,000万を突破し、開局史上最高を記録」
- サイバーエージェント 2022年12月3日「決勝トーナメント進出を決めた試合が放送された12月2日(金)の1日の『ABEMA』視聴者数が1,700万を突破」
- サイバーエージェント 2022年12月20日「数字で振り返る『ABEMA』の『FIFA ワールドカップ カタール 2022』」
- Number Web 2022年11月17日「ABEMAトップ・藤田晋社長を直撃インタビュー」
- DIAMOND online 2022年10月31日「史上最大額の投資で、ABEMAがW杯全64試合を無料中継する狙い──中継責任者に聞く」
- PRESIDENT Online 2022年12月8日「放映権料『200億円』の舞台裏」
- Impress Watch 2023年1月25日「ワールドカップがABEMAにもたらしたもの『価値は大きく向上』」
- gamebiz 2023年12月12日「AbemaTV、23年9月期決算はW杯関連費用で営業損失161億円」
- 渋谷ではたらく社長のアメブロ(藤田晋)2023年3月18日「25周年」