経営不振の食品メーカーを買い続けた国内自社工場網の構築
中国工場で作った安さを、なぜ日本の行き詰まった工場を引き受けて作り直したのか
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- 概要
- 2008年3月のターメルトフーズ・ウエボス(後のオースターエッグ)の子会社化を皮切りに、神戸物産が経営不振の中小食品メーカーを十数年にわたって買い集め、業務スーパーのPB商品を作る国内自社工場網を築いた経営判断。2025年時点で国内の自社食品工場は27に達している。
- 背景
- 神戸物産の安さは、1992年に建てた中国・大連工場で作った冷凍食品を輸入する仕組みに支えられていた。だが輸入は為替と国境の事情を丸ごと抱え込むうえ、店舗数が伸びるほど供給量が足りなくなる。2006年の上場で調達手段を得た同社は、国内に生産の土台を持つ必要に迫られていた。
- 内容
- 2008年から2009年にかけて卵・大豆食品・水産加工・精肉・製粉・製パンの各メーカーを相次いで傘下に収め、以後も断続的に買い増した。多くは経営が行き詰まった企業で、設備と人を引き受けたうえで品目を業務スーパー向けに絞り、商品開発や営業の機能を持たない専用工場へ組み替えた。
- 含意
- 他社への生産委託を避け、値上げもレシピ変更も自社の判断だけで動かせる体制が生まれた。沼田博和社長は自社工場なら早ければ翌週から着手できると述べている。一方で工場の採算は原料高が続いた時期に本体の業績を揺らす要因にもなり、内製化の負荷は表裏一体で残った。
買った工場が、価格の主導権になるまで
この判断の面白さは、買った対象が優良企業ではなかったところにある。行き詰まった中小メーカーの設備と人を引き受け、品目を絞り、商品開発も営業も本部が引き取って、作ることだけに専念させる——買収の巧拙を企業価値の評価で測る発想からすれば、これは投資というより仕入れ先の作り替えに近い。安く仕入れる交渉を重ねる代わりに、原価の内訳が見える場所まで自ら入っていく方法を選んだとみることができる。中国に工場を建てた1992年の判断と、発想の芯は変わっていない。
もっとも、内製化は万能の解ではなかった。工場を持てば稼働と採算の責任がそのまま自社に残り、原料や光熱費が跳ねた時期には工場の収支が本体の足を引っ張る。供給が追いつかず商品を休売するという事態も、委託であれば別の相手を探せた話であった。それでも同社が買い続けているのは、値段を自分の判断だけで動かせる状態を、コストの変動より重く見ているからであろう。安さを競争の軸に据えた会社が、その安さをどこまで自分の手の内に置けるか——十数年に及ぶ買収の連鎖は、その問いへの回答が積み重なった跡といえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
輸入で作った安さの限界
神戸物産の安さは、はじめから製造を自社で抱えることに由来していた。1992年、地方の食品スーパーには異例のことに中国・遼寧省へ大連福来休食品有限公司を建て、冷凍食品の現地生産から日本への輸入までを一社で担う形を作った。2000年に開いた業務スーパーは、この仕組みで作った自社商品をフランチャイズ加盟店へ卸すことで成り立っていた。ただしこの構造は、商品の原価が為替と相手国の事情に左右されることを意味してもいた[1]。
もう一つの制約は量にあった。業務スーパーは加盟店の資本で売り場を増やす仕組みを採っており、店舗数は本部の資金力とは切り離されて伸びていく。沼田博和社長は後年、大ロットで仕入れる前提のため在庫を抱えないよう売り場を多く持つ必要があり、自分たちの資金で広げるには限度があったのでフランチャイジーの資本で拡大を加速させた、と説明している。売り場が先に増えれば、そこへ流す商品を作る能力が追いかける側に回る[2]。
上場が開いた選択肢
2006年6月、神戸物産は大阪証券取引所市場第二部に上場した。2006年10月期の売上高は901億円で、加盟店網は関西を中心に広がっていた。上場によって資本市場からの直接調達が可能になり、それまで自社の稼ぎの範囲でしか動かせなかった投資の幅が変わった。上場直後の同年7月にはパスポート倶楽部の出資持分を全て取得し、10月にはエジプトに現地法人を設けるなど、調達と生産の拠点を広げる動きが続いた[3][4]。
一方で国内には、まとまった生産の受け皿がなかった。中国からの輸入は続いていたものの、日本国内で作るべき品目——日持ちのしない加工食品や、輸送に耐えない生鮮に近い商品——を任せられる自社の工場は持っていなかった。他社に生産を委託する道もあったが、それでは原価の内訳に手が届かず、値付けの主導権も戻ってこない。上場で得た手段をどこへ向けるかが、この時期の課題であった[5]。
決断
行き詰まった工場を引き受ける
2008年3月、神戸物産はターメルトフーズと有限会社ウエボス(後のオースターエッグ)を100%子会社とした。ここから買収の連鎖が始まる。同年11月にソイキューブ、2009年2月にマスゼン、3月に秦食品、5月に肉の太公と宮城製粉、10月に麦パン工房と、わずか2年ほどのあいだに卵・大豆食品・水産加工・精肉・製粉・製パンの各分野の工場が傘下に並んだ。品目はばらばらで、地域もそろっていない。共通していたのは、業務スーパーの棚に置く商品を作れることであった[6]。
選んだ相手には傾向があった。同社が買ったのは、多くが経営の行き詰まった中小メーカーであった。滋賀県竜王町で冷凍うどんやポテトサラダを作る秦食品もその一社で、2009年に傘下へ入っている。同社の秦利幸社長は後年、一度は潰してしまった会社でも信頼してもらい設備投資もしてもらった、と当時を振り返っている。再建の余地がある設備と技術を、価格ではなく供給能力として評価する買い方であったとみることができる[7][8]。
専用工場へ組み替える
買った工場は、そのままの姿では使わなかった。一般の食品工場は多くのメーカーから生産を請け負うため、製造ラインの切り替えや洗浄に時間がかかり、稼働の効率が落ちる。神戸物産の傘下に入った工場は生産品目が業務スーパー向けに絞られ、商品開発や営業の人員を置く必要もなくなった。原料の仕入れと輸入は本体が引き受け、大量に仕入れた原料を子会社の各工場へ納める。工場に残る仕事は、作ることだけに近づいた[9]。
この組み替えが効くのは、値段を動かすときであった。取引先の工場と資本関係がなければ、値上げも配合の変更も商品の入れ替えも交渉から始めなければならない。沼田博和社長は、一般のナショナルブランドのメーカーは値上げひとつでも全ての取引先に打診して同意を得る必要があるが、自社工場なら早ければ翌週から着手できる、と語っている。工場を買うという判断は、原価を握ることであると同時に、時間を握ることでもあった[10]。
結果
国内26工場と、追いつかない供給
買収は一度きりの動きに終わらなかった。2011年のグリーンポートリー、2012年の珈琲まめ工房とほくと食品、2013年の豊田乳業・富士麺業・関原酒造、2014年の菊川、2015年の朝びき若鶏と続き、2015年には雛の飼育から加工食品の出荷までを自社で抱える形にまで踏み込んだ。2025年2月時点で国内の自社工場は14社26工場に達し、同年4月に上原食品工業を加えて27工場となった。国内工場で作るPBの販売比率は全体の10.8%を占めている[11][12]。
数字の上では、この体制が業務スーパー事業を押し上げた。同事業の売上高は2008年10月期の1,055億円から2025年10月期には5,305億円へ伸び、営業利益は24億円から435億円になった。食品スーパー業界の売上高営業利益率が平均2〜3%にとどまるなか、業務スーパー事業は7.6%の水準にある。ただし工場を持つことは負担も伴った。沼田博和社長は2021年の時点で、PB商品の販売が想定を超えて伸びた結果、国内工場のほとんどで供給が間に合わず一時的に休売する商品も多い、と課題を認めている[13][14][15]。
- 神戸物産 有価証券報告書【沿革】
- 神戸物産 有価証券報告書(2006年10月期・2008年10月期・2025年10月期/連結・セグメント情報)
- 週刊東洋経済 2025年2月22日号「【特集 もうけの仕組み 2025】 テーマ(3) 人口減少・高齢化 ディスカウント店 工場再生し製販一体追求 業務スーパーが安い理由」
- 週刊東洋経済 2025年2月22日号「【特集 もうけの仕組み 2025】 SCMの達人に聞く 神戸物産 社長 沼田博和 「自社で製造するからこそ迅速に価格へ反映できる」」
- 週刊東洋経済 2021年9月4日号「トップに直撃 神戸物産 社長 沼田博和 「業務スーパーの出店はまだ5〜6合目だ」」
- ダイヤモンド・チェーンストアオンライン(2025年)「「業務スーパー」を軸に中食・外食も注力し売上高1兆円へ!神戸物産沼田社長が語る成長戦略」