香港経由の直接調達による製造小売業(SPA)の原型づくり
1988年実施ロードサイドが求めた「安くて品質の良い普段着」を国内調達で作れなかったファーストリテイリングは、なぜ香港を窓口に中国の縫製工場へ直接発注したのか
- 概要
- ロードサイド郊外店のファミリー層が求めた「安くて品質の良い普段着」を、多段階の国内アパレル流通では作れなかったファーストリテイリングが、1980年代後半から香港を窓口に中国などアジアの縫製工場へ直接発注する調達構造に踏み込み、企画から販売までを自社で一貫させる製造小売業(SPA)の原型を築いた経営判断。1994年の有価証券報告書でその方針を明文化した。
- 背景
- 都心の繁華街でブランドイメージにより高単価を保つ事業モデルとは異なり、ロードサイドの顧客は価格と品質をシビアに求めた。メーカー→問屋→小売という当時の多段階流通のままでは、低価格と高品質は両立できなかった。
- 内容
- 香港の購買事務所を通じて中国やベトナムの縫製工場へ直接発注し、欧米一流小売のPBや高級ブランドを生産する工場の生産ラインを一定期間買い取り、生産管理者を日本から派遣して品質を管理した。アイテム数を色・サイズを除いて約400点に絞り、1アイテムを数万〜数十万点で完全買い取りすることで、一流工場との契約を有利に運んだ。
- 含意
- 商社やアパレルを間に挟まないこの調達構造が、同じ価格でもワンランク上の商品を可能にし、のちのフリースの大ヒットやグローバル展開の土台となった。「モノ作りまで踏み込まなければ本来の小売業とはいえない」という柳井正氏の考えを、仕入れの仕組みとして具現化した原型だった。
「作る」まで踏み込んだ小売業
この意思決定の核心は、安く仕入れる交渉術ではなく、小売業でありながら「作る」側まで踏み込んだ調達構造そのものを築いた点にある。ロードサイドの顧客が求めた「安くて品質の良い普段着」という命題は、国内の多段階流通のままでは解けず、企画から生産・販売までを自社で一貫させるほかに答えがなかった。香港を窓口に中国の縫製工場へ直接発注し、一流工場の生産ラインを完全買い取りで押さえるという構造は、その必然から生まれた。
記録に残る仕組みは1994年から1996年にかけて明文化されたが、その原型は1980年代後半の香港での模索にさかのぼる。商社を外し、アイテムを絞り、大量ロットで一流工場を確保するという設計は、返品できないリスクを毎週の売価変更で御する運営実務(1995年)と対になって、低価格と高品質の両立を支えた。派手な商品より先に、それを生み出す調達の骨格を作ったことが、この会社の後年の跳躍を用意した。
小売業が「作る」まで踏み込むという選択は、当時の日本ではまれだった。ファーストリテイリングが早い時期に製造小売業の原型を築き、その調達構造を競争優位の核心として磨き続けたことは、商品の当たり外れではなく、それを供給する仕組みの強さが企業の骨格を決めるという教訓として示唆に富む。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
国内の多段階流通では解けなかった「安くて品質の良い」命題
1985年に山口県下関市郊外の幹線道路沿いへユニクロを転換したファーストリテイリングは、自動車を持つファミリー層から「安くて品質の良い普段着」という要求を突きつけられた。都心の繁華街でブランドイメージにより高単価を保つ事業モデルとは異なり、ロードサイドの顧客は価格と品質をシビアに求めた。当時の日本のアパレル流通はメーカー→問屋→小売という多段階で、この構造のまま国内メーカーから仕入れるだけでは、低価格と高品質を同時に満たせなかった[1]。
柳井正氏は、仕入れた商品を右から左へ流すだけの小売業では、この命題は解けないと見ていた。のちに「モノ作りまで踏み込まなければ本来の小売業とはいえない。日本の小売業から学ぶことは何もない」と語ったように、企画から生産までを自社で握り、流通の中間段階を省いて価格と品質を両立させる調達構造そのものを作る必要があった[2]。
決断
商社を挟まず、香港を窓口に中国の工場へ直接発注する
ファーストリテイリングは1980年代後半から、香港を窓口に中国などアジアの縫製工場と直接取引する道を探り始めた。企画や設計は日本のスタッフが担い、香港の購買事務所を通じて中国やベトナムの縫製工場へ直接発注した。日本からバイヤーが現地に足を運び、欧米の一流小売のPB商品や「ポロ・ラルフローレン」など高級ブランドを生産する工場と、一定期間の生産ラインを買い取る契約を交わし、生産中は生産管理者を日本から派遣して品質を管理した。アパレルや商社を間に挟まないため、競合と同じ価格でもワンランク上の商品を作れた[3]。
一流工場は世界のアパレルや小売の間で奪い合いになり、契約は難しい。そこでアイテム数を色・サイズを除いて約400点に絞り込み、1アイテムを数万〜数十万点で大量発注して完全買い取りとすることで、生産ロットを増やして契約交渉を有利に運んだ。1991年には行動指針を表すため商号を小郡商事から株式会社ファーストリテイリングへ変更し、1994年8月期の有価証券報告書に「商品の企画開発から販売まで一貫した商品政策の確立により流通経路の短縮をはかる」と明記して、企画から販売までを自社で一貫させる製造小売業を経営の根幹に据えた[4]。
結果
上場・中国本格契約・上海事務所──数年越しに完成した仕組み
香港を足がかりにした直接調達は、規模の裏づけを得てはじめて本格化した。1994年7月の広島証券取引所への上場で約130億円を得て店舗拡大の見通しが立ち、翌1995年に中国沿海部の縫製メーカーと本格的な委託生産契約を結んだ。柳井正社長は1996年に「デザイナーはニューヨークで、生産はアジア、市場は日本、というグローバルな製造小売業の仕組みができたのを機に、出店ペースを毎年50店舗に増やしました」と語り、調達の仕組みが整ったことを出店加速の条件に挙げた[5]。
1999年4月には生産管理業務のさらなる充実のため中国上海市に上海事務所を開き、現地での生産管理を厚くした。香港経由で始めた直接調達は、上場による規模、中国メーカーとの本格契約、現地事務所という段階を経て、企画から生産・販売までを一貫させる製造小売業として固まった。この調達構造が、2000年前後のフリースの大ヒットや、その後のグローバル展開を可能にする土台となった[6]。
- 日経ビジネス 1995年4月17日号「ファーストリテイリング PB衣料8割で急成長 毎週売価変更、売り切る」(日経BP)
- 日経ビジネス 1996年11月15日号「経営に感性はあまり必要ない」(日経BP)
- 日経ビジネス 1998年12月21日号「ファーストリテイリング 集中管理やめ個店対応へ 失速『ユニクロ』挽回なるか」(日経BP)
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)(https://www.fastretailing.com/jp/ir/library/pdf/yuho1994_08.pdf)
- ファーストリテイリング 有価証券報告書【沿革】