米高級百貨店バーニーズ・ニューヨーク買収の提示と断念
「ブランド丸ごとよりプラットホームを」と常々語ってきた柳井正会長は、なぜ高級百貨店の争奪に加わり、そして価格を追わずに退いたのか
更新:
- 概要
- 2007年、ファーストリテイリングが米高級百貨店バーニーズ・ニューヨークの買収に名乗りを上げ、いったんドバイ政府系投資会社イスティスマールとの間で成立していた売却合意に、より高い価格を提示して割って入った経営判断。柳井正会長兼社長の主導であったが、9月には争奪から退き、買収は成立しなかった。
- 背景
- 同社は2003年以降、国内マス市場に偏った事業構成を組み替えるべく、米セオリーや仏コントワー・デ・コトニエなど衣料品会社の買収を重ねていた。国内ユニクロのファッション性強化が不発で2007年8月期が減益見通しとなるなか、高級ゾーンのノウハウと世界的な知名度を持つバーニーズは、事業領域を広げる対象と映った。
- 内容
- バーニーズは6月下旬、親会社の米ジョーンズ・アパレル・グループからイスティスマールへ約1000億円で売却されることで合意していた。ファーストリテイリングはこれに約100億円を上乗せした価格を提示し、いったんは買収に手を掛けた。だが最終的にはイスティスマールが取得し、同社は価格を追わずに争奪から降りた。
- 含意
- 「M&Aはブランド丸ごとよりユニクロのプラットホームとなる欧米企業を対象に」と語ってきた柳井会長にとって、単独ブランドの高級百貨店は本来の方針の外にあった。買収は成らなかったが、会長はラグジュアリー市場への関与が知られた点を今後のM&Aの糧とし、逃した案件を惜しむそぶりを見せなかった。
買わなかったことの意味
この一件で目を引くのは、買収に名乗りを上げた大胆さよりも、価格を際限なく追わずに退いた引き際のほうである。1000億円の合意に100億円を上乗せして割って入りながら、最後は競り勝つことに固執しなかった。ブランドを丸ごと買うより自社の基盤になる企業を、という日ごろの言葉に照らせば、高級百貨店の争奪は方針の外への踏み込みであり、そこで無理をしなかったことに、拡大を急ぐなかの規律がうかがえる。逃した案件を惜しまず「認知度が上がった」と語った姿は、負け惜しみとも、割り切りともみることができる。
買わなかったことが正しかったのかは、その後の高級百貨店業界の苦境まで含めて、なお評価の分かれるところである。ただ、この撤回が示したのは、M&Aを事業領域を広げる手段と割り切りつつ、値付けには一線を引くという構えであった。仕掛けて退くという判断は、成功や失敗という物差しだけでは測りにくい。何を買い、何を買わないかを決める規律そのものが問われる例として、ファーストリテイリングの世界展開の歩みのなかに残っているとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
M&Aで広げた事業領域と、足元の不安
ファーストリテイリングは2003年以降、ユニクロに次ぐ柱を育てようと、衣料品会社の買収を相次いで進めていた。米セオリー、仏コントワー・デ・コトニエを展開するネルソンフィナンス社、靴小売りのワンゾーン、婦人服のキャビンなど、傘下に収めた会社は8社に上った。柳井正会長兼社長は「国内マス市場に偏った事業ポートフォリオを再編したい」と繰り返し語り、事業領域を広げる手段としてM&Aを位置づけていた[1]。
もっとも、その足元は盤石ではなかった。前年に打ち出したユニクロのファッション性強化は結果が伴わず、2007年8月期は連結で減益の見通しとなり、既存店売上高も前年割れが続いていた。国内の主力が頭打ちの兆しを見せるなかで、高級ゾーンの品ぞろえとノウハウ、そして世界展開に効く知名度を持つバーニーズは、手薄な領域を一気に補う対象として映った。攻めの拡大と足元の不安が同居するなかでの判断であった[2]。
決断
バーニーズという対象と、6月の売却合意
狙いを定めたバーニーズは、単なる一小売企業ではなかった。マンハッタンの本店をはじめ全米に34店舗を構える著名な高級百貨店で、最先端の衣料を扱い、完全買い取りで培った購買力と在庫管理には定評があった。11年前に連邦破産法11条を申請して破綻したのち、再建を遂げていた。自社の企画力を生かした独自商品も手掛けており、高級ゾーンの品ぞろえとブランド運営の作法が丸ごと備わった相手であった[3]。
このバーニーズは2007年6月下旬、親会社である米衣料品メーカーのジョーンズ・アパレル・グループから、ドバイ政府系投資会社イスティスマールへ、約1000億円で売却されることで合意していた。オイルマネーを背景とする政府系ファンドが、米国の名門百貨店を手に入れる——いったん整った売却の枠組みが、ファーストリテイリングの参戦によって揺らぐことになる。柳井会長にとって、すでに合意した相手のいる案件へ後から割り込む形での買収であった[4]。
1000億円の合意に、100億円を上乗せする
ファーストリテイリングは、この合意に割って入った。イスティスマールの提示より約100億円高い価格をぶつけ、いったんは争奪の主導権を握りにいった。その後も価格の応酬は続き、同社はさらに買収価格を引き上げて対抗したと伝えられている。すでに売り先の決まっていた案件を、上乗せによって取りに行くという踏み込んだ一手であった[5][6]。
ただ、この踏み込みは、柳井会長が日ごろ語ってきたM&A観からは外れていた。会長は「M&Aはブランド丸ごとよりユニクロのプラットホームとなる欧米企業を対象に」と常々口にしており、単独の高級ブランドを丸ごと抱えることには元来慎重であった。それでも参戦に踏み切った背景には、高級ゾーンのノウハウと世界展開に効く知名度を、手早く取り込みたいという事業上の欲求があったとみられる。方針と実際の一手のあいだには、小さくない緊張があった[7]。
結果
価格を追わず、無形の果実を語る
決着はイスティスマールの側についた。バーニーズは同社が取得することとなり、ファーストリテイリングは価格を際限なく追うことをせずに争奪から退いた。9月4日の事業説明会で、柳井会長は撤退を悔やむ言葉を口にしなかった。むしろ、ラグジュアリー市場への関与が広く知られた点を成果として挙げ、逃した案件を惜しむそぶりを見せなかった。仕掛けた買収を自ら手放す形で、この一件は幕を引いた[8]。
断念のあと、柳井会長はこの経験を一貫して前向きに語った。傘下に入れた会社から一つひとつ学び取ってきた歩みの延長に、成らなかった買収も置き、「われわれの認知度が上がり、今後のM&Aには大きなプラスとなった」と述べた。一方で、国内ユニクロの既存店は前年割れが続き、ジーユーやワンゾーンなど傘下ブランドの再建も途上にあった。攻めの拡大と足元の弱点克服をどう両立させるかが、なお残された課題であった[9]。
- 週刊東洋経済 2007年7月21日号「衣料品バーニーズ買収に出たユニクロに足元の不安」
- 週刊東洋経済 2007年9月15日号「小売り買収断念も気にしない ユニクロ強気の攻勢」
- 週刊東洋経済 2007年9月29日号「世界展開狙うファーストリテイリングの足元 成果の出ないM&Aでユニクロが得た真の『果実』」
- ファッションスナップ(2007年8月7日)「ファストリ、買収価格引き上げ」
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(2007年8月期)