1980年、いせや(後のベイシア)の創業者・土屋嘉雄氏は[1]、関西で人気を集める作業着小売店の存在を有望な市場と判断し、いせやの1店舗として『ワークマン』業態を群馬県に開いた。職人・建設従事者向けの作業着というニッチ市場への参入で、競合チェーンがおらず職人の指名買いが多いという市場特性が、業態の経済性を成立させる条件だった。1982年8月、ワークマンをフランチャイズで本格展開するために株式会社ワークマンを設立した[2]。設立目的のもう片方はベイシアグループにおける経営者の育成で、子会社として独立させることで人材を育てる設計でもあった。設立翌月の1982年9月には流通センターを群馬県高崎市に開設[3]、創業直後から物流インフラに着手した。
実は法人格上の出発はやや複雑である。1979年11月設立の『株式会社蘭豆』(旧社名あっぷるでーと、1987年12月商号変更)が形式上の存続会社で[4]、群馬県伊勢崎市の同地で先行設立されていた。事業実体としてのワークマン創業は1982年8月で[5]、1994年4月に株式会社蘭豆を形式上の存続会社として合併し商号[6]を株式会社ワークマンへ変更することで、法人格を実質と一致させる組織再編を完了した。創業者・土屋嘉雄氏は初代代表取締役社長を山根定美氏に委ね[7]、自らは取締役会長としてグループ全体を統括する所有と経営の分離体制を最初期から敷いた点が特徴的である。
1988年3月、山形県酒田市に100号店『酒田バイパス店』を開店[8]した。創業6年で3桁店舗達成は、フランチャイズ専業の運営モデルがスケールメリットを発揮した結果で、加盟店募集にあたってラジオ・テレビCMで認知度向上を図った。本社直接運営でなくFC加盟店主に店舗運営を委ねる構造は、本社の少数精鋭で店舗網を拡大できる利点を持つ反面、商品供給とFC支援の本部機能の充実が要求される。同年1月の東京本部開設・新潟・長野・栃木の地区本部新設[9]、翌1989年の茨城・南東北地区本部新設で[10]、群馬ドミナントから東日本へ展開を本格化した。1996年6月の岐阜地区本部開設で東海地区に踏み込み[11]、2003年5月の大阪地区本部開設で西日本展開を本格化[12]、2011年5月の福岡地区本部開設で九州に達した[13]。創業から約20年を経て全国出店をほぼ完了する経緯である。
2000年11月には奈良県大和郡山市で500号店を開店[14]、西日本展開の節目を迎えた。1997年9月の日本証券業協会店頭登録[15](公開市場入り)時点で、ワークマンの体制はFC193店舗・直営103店舗(うち業務委託90店舗)、作業着の国内市場規模700億円に対して全国展開を行うのはワークマン1社のみだった。山根定美代表取締役社長は『今後の長期出店計画として、13年後の2010年までに全国に1,300店舗を展開しナショナルチェーンとしての体制確立を目指したいと考えている。』[引用元](証券アナリストジャーナル 1997/11)と方針を公表した。2004年12月のジャスダック証券取引所上場[16]、2010年4月の大阪証券取引所JASDAQ上場[17](JASDAQ証券取引所と大阪証券取引所の合併に伴う)、2011年7月の東京証券取引所JASDAQ上場[18](東京・大阪証券取引所統合に伴う)と、上場市場の変遷を経た。ただし上場後も筆頭株主はベイシア系の『ベイシア興業』で、上位株主はベイシアの創業家・土屋家が占め、資本面ではグループの祖業としての位置を維持したうえでの公開だった。
2011年7月、栗山清治代表取締役社長(2009年就任)のもとで竜王流通センターを新設(滋賀県蒲生郡竜王町)し[19]、西日本物流拠点を整備した。同月には東京・大阪証券取引所統合に伴う東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)上場も実施し[20]、JASDAQ市場の東京移管に対応した。同年5月には福岡地区本部を開設して九州での店舗展開を本格化[21]、ワークマンの業態開発から約20年を経て全国出店をほぼ完了させた。栗山清治社長在任中の中軸テーマは、西日本物流基盤の確立と上場市場対応で、山根定美社長時代の店舗網拡大を物流面で支える基盤整備が進行した期間である。
2012年、創業者・土屋嘉雄氏の甥である土屋哲雄氏がワークマンの最高情報責任者(CIO)に就いた。土屋哲雄氏は三井物産での経歴が長く、三井物産デジタル社長を歴任するなどシステム開発に通じていた。就任時点でのワークマンの経営課題は明確で、32年連続シェアNo.1を握りながら、九州まで進出を完了して国内の主要な地区での出店余地が薄く、1,000店舗・売上1,000億円のラインで業績が頭打ちになる見通しが立っていた。
土屋哲雄氏は売上拡大のために新商品開発の比重を引き上げる方針を掲げた。属人的な開発ではなく、データに基づいて議論したうえで商品を開発する仕組みを作る方向である。データ経営の中心に据えたのは高度な分析ツールではなくExcelだった。誰もが使えるExcelを共通言語にすることで開発時の議論を深め、外部ベンダーではなくSV(スーパーバイザー)が自前で分析を遂行できる教育体制を整えた。簡単な分析から始めて無理のない範囲でデータ駆動の新商品開発を根付かせる方法で、社内に浸透するまで約10年を要した地道な変革である。Excelの活用を評価対象にしたことで、コミュニケーションが苦手でもExcelが得意な社員の評価が上がるなど、人事評価制度にも波及した。
2018年から開始したWorkman Plusでは、データ分析が直接の競争力となって表れた。アパレル業界のうち『高機能かつ低価格』の市場が4,000億円規模で空白地帯と判断、職人向けで磨いた商品を一般消費者向けに販売した。データ分析で選んだ売れ筋商品を店舗展開し、3ヶ月目で利益面のKPIを達成した。2019年から2020年にかけてのカジュアル・スニーカーブームと『作業着のファッション化』が重なり、ワークマンの売上は急伸、2021年3月期全店売上1,466億円・純利益170億円に達した。一時的なファッショントレンドが売上急伸の要因となった局面ではあるものの、データ経営が新業態の収益基盤を支えた構図である。
栗山清治社長在任中には、後の代表取締役社長となる小濱英之氏(1969年生)が商事部長→商品部長→スーパーバイズ部長と[22]、商品開発・FC指導の両面で経験を積んだ。あわせて取締役・大内康二(商品本部長)、取締役・飯塚幸孝(財務部担当)、取締役・長谷川浩(監査等委員)も生え抜きで育成された。創業家2名(嘉雄・哲雄)に加え、生え抜き経営層を厚みのある形で育成する組織設計が、栗山清治社長体制9年間の重要な貢献である。
2019年3月31日に栗山清治代表取締役社長は退任[23]、生え抜きの小濱英之氏(当時49歳)が翌4月1日に代表取締役社長へ昇格した[24]。創業家経営から生え抜き経営への執行レベルの移行が、栗山清治社長在任中に準備され、小濱英之社長体制で完了した。所有面では創業家(ベイシア興業28.23%・カインズ9.67%・土屋裕雅[25]14.09%等)が支配的シェアを維持しつつ、執行は生え抜きに委ねる『所有と経営の分離』が機能する設計が固まった時期である。
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|---|---|---|---|---|
| 蘭豆設立 | ★ | |||
| 「職人の店 ワークマン」1号店を開店 | ★★ | |||
| 1982〜2010年ベイシア祖業としての作業服専門小売創業と全国網構築 | ワークマン設立 | ★ | ||
| 流通センターを開設 | ★ | |||
| 100号店を開店 | ★ | |||
| 営業店舗数200店舗を達成 | ★ | |||
| 蘭豆を形式上の存続会社として合併し商号をワークマンへ変更 | ★ | |||
| 山根定美 | 日本証券業協会に株式を店頭登録 | ★ | ||
| 山根定美 | 500号店を開店 | ★ | ||
| 山根定美 | 日本証券業協会への店頭登録を取消 | ★ | ||
| 山根定美 | ジャスダック証券取引所に上場 | ★ | ||
| 山根定美 | 営業店舗数600店舗を達成 | ★ | ||
| 栗山清治 | 大阪証券取引所JASDAQに上場 | ★ | ||
| 2011〜2018年西日本物流拠点確立と土屋哲雄氏の参画によるデータ経営の組み立て | 栗山清治 | 竜王流通センターを新設(竜王町) | ★ | |
| 栗山清治 | 土屋哲雄氏の参画による「データ経営」と「しない経営」への転換 作業服専業で堅実だが成長の伸びしろが限られていたワークマンが、2012年に三井物産出身の土屋哲雄氏を招き、勘と経験の商売を全社員がデータで動かす『データ経営』へ、そして無理な拡大や過度な数値目標に頼らない『しない経営』へと作り替えた経営判断。のちの新業態を生む土台になった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 栗山清治 | オンラインストア(公式EC)を開設 | ★ | ||
| 栗山清治 | WORKMAN Plusによる作業服から一般客・アウトドアへの客層転換 作業服専門で成長が頭打ちになりつつあったワークマンが、職人向けに磨いた高機能・低価格の商品を、ショッピングモールで一般客・アウトドア客に届く見せ方に変えて売る新業態『WORKMAN Plus』を立ち上げた経営判断。土屋哲雄氏のデータ分析が、高機能と低価格が交わる空白市場を見つけ出した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2019〜2025年小濱社長在任中の全国47都道府県達成と1,000店舗・新業態並走 | 小濱英之 | #ワークマン女子による一般女性・非職人客向け新業態への進出 2020年10月、ワークマンは作業着を置かず一般女性客に照準を合わせた新業態『#ワークマン女子』の1号店を横浜に開いた。職人向けの作業服店から始まり、WORKMAN Plusで一般客を取り込んだ同社が、女性とデザインを軸にした専用業態へ一段踏み込んだ経営判断。 詳細を読む | ★★★ | |
| 小濱英之 | 全国47都道府県へ出店達成 | ★ | ||
| 小濱英之 | 東京証券取引所スタンダード市場へ移行 | ★ | ||
| 小濱英之 | 営業店舗数1,000店舗達成かつワークマンカラーズ1号店を開店 | ★★ |
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事実根拠:出所(ワークマン)