ワークマン 「データ経営」への転換 土屋哲雄氏の参画と、あわせて掲げた「しない経営」への転換

更新:

時期 2014年3月
当時の社長 栗山清治
論点 経営手法と組織文化の転換
何をなぜ決めたか
概要

作業服専業で堅実だが成長の伸びしろが限られていたワークマンが、2012年に三井物産出身の土屋哲雄氏を招き、勘と経験の商売を全社員がデータで動かす"データ経営"へ、そして無理な拡大や過度な数値目標に頼らない"しない経営"へと作り替えた経営判断。のちの新業態を生む土台になった。

背景

ワークマンは職人向け作業服で全国網を築いたが、市場の伸びしろは限られていた。創業家の会長・土屋嘉雄氏は次の成長の担い手として、三井物産出身で当時60歳の甥・土屋哲雄氏を、最高情報責任者(CIO)として招いた。

内容

参画当時のワークマンにはデータがほとんどなかった。土屋哲雄氏は人材採用からデータの蓄積と分析を強化し、全社員がExcelでデータを扱う体制を構築した。同時に、社員に無理を強いない"しない経営"を掲げ、急拡大や過度なノルマで社風を壊さないことを両立させた。

含意

数字で市場を捉える力が、客層拡大の模索を経て2018年のWORKMAN Plus、2020年の#ワークマン女子という新業態を生んだ。単体売上高は2014年3月期の481億円から2025年3月期の997億円へ伸び、データ経営は作業服の外へ広がる推進力になった。

いつ何が起きたか 5件
筆者の見解
筆者の見解

「しない」ことと、データで「する」こと

この転換の核心は、相反する二つの原則を同時に置いた点にある。データ経営は、勘と経験を数字で置き換える徹底した"する"経営である。一方の"しない経営"は、急拡大やノルマで社員を追い立てない"しない"経営である。多くの企業変革は、数値目標を課して現場を締め上げる方向へ傾きがちだが、ワークマンは逆に、数字を徹底して使いながら、人には無理をさせなかった。土台をデータで固め、挑戦は無理のない速さで積む。この組み合わせが、専業企業の変革を長続きするものにした。

ワークマンの歩みは、変革に急がないことの効き目を示している。2012年に土屋哲雄氏が入ってから、WORKMAN Plusが跳ねる2018年まで、目立つ新業態は生まれていない。その数年は、データの土台を築く助走だった。すぐに成果を求めれば、この助走は削られていたかもしれない。安定した本業があるうちに、時間をかけて次の力を仕込む——"しない経営"とデータ経営の両輪は、成熟した専業企業がどう次の成長を用意するかという問いに、一つの答えを与えている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
同じ問いに直面した会社

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事業のデジタル化2018年オービックビジネスコンサルタント完全SaaS型への移行による、買い切り型から継続収益型への収益構造の入れ替え収益構造と販売チャネル
2021年富士通事業モデルの再定義と、DX企業への立ち位置の置き換えSI依存からの事業モデル転換と成長軸の再設定
1988年三洋証券資本金に匹敵する300億円を投じる、自社史上最大の設備投資証券業務の情報化への投資規模
1983年DCMホールディングス計算機と物流センターを組み合わせた、商いの土台づくり仕入構造と情報・物流投資
2014年日本テレビホールディングス持分の全部取得による定額動画配信への参入動画配信への参入とコンテンツの出口
プロ経営者の招聘2016年カルビー松本晃氏の主導による、数字で管理する経営への転換収益構造と経営手法の作り替え
2004年ベイカレント発案者が自ら事業を立ち上げる社内独立の風土の醸成と、事業構造の転換業態転換と人材モデル
2002年三菱自動車ダイムラー主導で進んだ、聖域を設けない再建計画の断行隠蔽体質と系列依存からの脱却による事業再建
1995年テルモテルモ・ビジネス・ユニットの導入を軸とした企業風土の立て直し縦割り・指示待ち体質からの脱却と自律的に動く組織への転換
1994年サンドラッグ20期連続の増収増益につながった低費用・高収益体質への転換経営モデルと収益性
参考文献
出典・参考
  • ワークマン 有価証券報告書(単体業績)

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