1953年5月、創業者の島村恒俊氏は[1]埼玉県比企郡小川町で家業の呉服販売の[2]個人商店を株式会社に組織変更し、㈱島村呉服店として設立した[3]。同時に取扱品目を呉服のみから既製服・生地・仕立てへ拡大し、当時消費が伸び始めた既製衣料への業態転換に踏み切った。当時の小売衣料は呉服店・洋品店・百貨店の三層構造で、地方の町には呉服店が一般衣料を扱う以外の選択肢が乏しく、大量仕入れ・低価格販売の小売モデルは未確立だった。商品を主任が選び、客が自ら値札を見て選ぶ仕組みは、対面接客が前提の呉服店業態とは正反対の発想だった。
1961年5月、東松山市材木町に2号店として東松山店を開店し[4]、営業の主体を本店から東松山店へ移した。仕入と販売を分離して商品を集中仕入制とし、ペガサスクラブの渥美俊一氏が提唱したチェーンストア理論を採用した。1970年には㈱東松山ショッピングセンターを設立して本社機能を東松山に移転[5]、1972年9月には商号を㈱島村呉服店から㈱しまむらへ変更[6]した。呉服店の屋号を残しつつ業態は総合衣料量販店へ全面転換し、店舗ごとの裁量で品揃えを決める呉服店モデルから、本部一括で全店の商品構成を決めるチェーンストアモデルへの移行が制度として確立した。創業期から20年弱で、商売の単位を『店』から『チェーン』へ組み替えた。
1975年5月、しまむらは商品管理を基本に社内の電算化を自社開発で開始した[7]。同年8月にはチャーター契約による専用便の運行を開始し[8]、外部物流業者への委託から自社主導の物流網構築へ転換した。1981年9月には商品管理をデータベース化し、全店舗をオンラインで結んでPOS[9]システム(マニュアルインプット)による7桁での単品管理を開始した。1980年代前半に全店オンライン単品管理を実現した小売チェーンは国内でもまだ少なく、1987年2月にはバーコード値札を導入してスキャニング[10]基本の管理体系に切り替えた。情報システムを内製で持つ意思決定が、後年の業態拡張時に既存システムを各業態へ転用できる土台となった。
1984年9月に川口市に物流センターを建設し[11]、店舗への夜間定時配送と仕入伝票の廃止を実施した。納品検収業務を簡素化し、店舗の作業負荷を削減する仕組みである。1986年9月には店舗業務の標準化と合理化により、店長を除き全て定時社員だけで運営するM社員制度を開始した。[12]正社員に依存しない店舗運営モデルは、人件費の変動費化と地方出店の機動性確保を同時に実現した。1989年に当時専務だった藤原秀次郎氏が代表取締役専務に就任し、1990年5月に2代目社長として創業者の島村恒俊氏から経営を引き継いだ。藤原秀次郎氏は後に『中興の祖』と称される経営手腕で、自前主義のローコスト経営を体系化した。
1988年12月、しまむらは東京証券取引所市場第二部に上場し[13]、1991年8月には市場第一部の銘柄に指定された[14]。上場で得た資金は店舗網拡大と物流拠点整備に投じられ、1991年11月には岡山県へ出店して中国・四国地方への進出を開始[15]した。1993年8月に東北エリアの福島商品センター[16]、1994年10月に中国・四国の岡山商品センター[17]、同12月に中部・近畿の犬山商品センターを順次稼働させ[18]、日本を6地区に分けて物流拠点を整える全国網構想を具体化した。本部一括仕入・専用便配送・全店オンライン単品管理の三層構造を、地理的に薄く広く展開する戦略である。1997年12月の熊本県山鹿店出店で店舗数は500[19]店に達した。
1996年4月にはヤングカジュアル業態のアベイルを子会社化[20]、1998年7月には台湾に思夢樂1号店を開設してアジア進出を開始した[21]。2000年7月に婦人ファッション雑貨のシャンブル[22]、同11月にベビー・子供用品のバースデイを相次いで立ち上げ[23]、1業態1チェーン体制から多業態グループへ移行する基盤を整えた。同年11月にはさいたま市に西大宮ファッションモールを開業し[24]、複数業態を組み合わせたオープンモール形式での出店モデルを開始した。狭い商圏に複数業態を寄せる出店手法は、立地一つあたりのグループ売上を引き上げる仕掛けである。
2002年10月、沖縄県名護市のしまむら名護店出店で47[25]全都道府県への出店を完了した。創業から49年、1972年の社名変更から30年で全国津々浦々への配荷網を完成させた。地方ロードサイドの小商圏(人口5万〜10万人圏)に集中出店する低家賃・薄利多売モデルは、藤原秀次郎社長時代に確立された自前主義の到達点である。第3代社長となる野中正人氏は後年[26]、20年ほど前から海外のファストファッション市場を観察していたと語っており、H&MやZARAなどグローバルSPAの台頭は当時すでに視野に入っていた。47都道府県制覇の完了直後から海外勢への対抗策が経営の中心テーマに浮上した。
2003年5月、しまむらは中部・近畿エリアの物流機能増強のため岐阜県垂井町に関ヶ原商品センターを稼働させ[27]、同年10月にはしまむらシャンピアポート店出店でしまむらグループとして1,000店舗を達成した[28]。創業以来50年で1,000店舗を達成した小売チェーンは国内では先行のニトリ・ユニクロ・サイゼリヤ等と並ぶ水準にあり、地方小商圏型出店モデルの量的展開力が数字で裏付けられた。2005年5月、創業者から経営を継いだ藤原秀次郎社長は会長に退き、3代目社長として野中正人氏が就任した[29]。野中正人社長は1971年入社の生え抜きで、しまむら事業本部長を経て社長に昇格した内部昇格人事である。藤原秀次郎会長は2009年5月に相談役へ退き、2011年5月には取締役相談役となって経営の第一線から距離を置いた。
2006年10月にしまむらビバモール加須店出店でファッションセンターしまむら事業単独で1,000店舗を達成し[30]、2008年7月にはしまむら直方店出店でグループ全体として1,500店舗を超えた[31]。多業態化と全国展開の両輪で店舗純増を続け、FY09(2010年2月期)の連結売上高は4,296億円・経常利益381億円、FY10(2011年2月期)は売上4,401億円・経常利益410億円へ拡大した。2011年5月には兵庫県神戸市に神戸商品センターを稼働[32]させ、同年7月には中国の上海市に子会社飾夢楽(上海)商貿有限公司を設立[33]、2012年4月に飾夢楽の1号店を上海に開業した[34]。台湾の思夢樂と合わせて中華圏2拠点でアジア展開を本格化させたが、中国事業は商習慣と顧客嗜好の差異を埋められず2020年に全店閉店となった[35]。
2016年2月期の連結売上高は5,461億円・営業利益399億円、2017年2月期は売上5,655億円・営業利益488億円・親会社株主に帰属する当期純利益329億円と過去最高を更新した。営業利益率は8.6%で、しまむらモデルが量と利益率の両立で1つの到達点に達したことが数字に表れた。野中正人社長はFY09時点で海外のファストファッション市場を意識し、ブランドの経営力が問われ今後は優劣がはっきりしてくるとの認識を示していたが、しまむらの対応は売場の見やすさを優先したアイテム数の絞り込みと『2016年型売場』の全店展開だった。FY15からFY17にかけて売場の整理整頓・少品種化を進め、見やすさを高める一方で品揃えの厚みを削った。
しかし2018年2月期から業績は反転した。2018年2月期の連結売上高は5,651億円とほぼ横ばいだが営業利益は428億円へ12.1%減、2019年2月期は売上5,459億円・営業利益254億円と前期比40.8%減、2020年2月期は売上5,219億円・営業利益229億円と3期連続の減収減益となった。FY16のピークと比較するとFY19の営業利益は52.9%減という落ち込みである。前任の野中正人会長は退任時の取材で前年の焼き直しになっていたと業績悪化を自己分析し、成功体験への固執が改革の遅れを招いたとの見方を示した。
北島常好社長の在任は2018年2月から2020[36]年2月までのわずか2年で、業績の本格回復には至らないまま2020年1月に鈴木誠氏への社長交代が発表された[37]。経営トップの短期交代という流通大手では異例の対応は、業績低迷の深刻さと取締役会の危機感を同時に示すものだった。2019年2月期は営業利益が前期比40.8%減、2020年2月期もさらに前期比9.8%減となり2期連続の大幅減益を記録したことで、47都道府県制覇から得たグループ1,500店超の規模が逆に固定費負担として収益を圧迫する構造が明らかになった。藤原秀次郎相談役は2020年5月に取締役相談役として復帰し、創業期の自前主義経営の知見を経営再建に活かす体制が整った。
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|---|---|---|---|---|
| 1953〜2002年呉服店からセルフサービス・チェーンへ ── 小商圏型衣料品店の原型完成 | 島村呉服店として設立 | ★ | ||
| セルフサービスシステムを導入 | ★★ | |||
| 東松山店を開店しチェーン化を開始 | ★★ | |||
| 東松山ショッピングセンターを設立 | ★ | |||
| しまむらに商号変更 | ★ | |||
| 商品管理の自社電算化を開始 | ★ | |||
| 専用配送便の運行を開始 | ★ | |||
| POSシステムによる全店オンライン・単品管理を開始 | ★★ | |||
| 物流センターを建設 | ★ | |||
| 定時社員だけで店舗運営するM社員制度を開始 | ★ | |||
| バーコード値札を導入しスキャニング管理体系に変更 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 出店し中国・四国地方への出店を開始 | ★ | |||
| 子会社アベイルを設立 | ★★ | |||
| 出店し九州地方への出店を開始 | ★ | |||
| 思夢樂の1号店を開設 | ★★ | |||
| 自前主義のローコスト経営——電算と物流を内製して築いた「しまむらモデル」 呉服店から総合衣料の量販へ転じたしまむらが、1975年からの電算化と専用物流を外注せず自社開発で積み上げ、藤原秀次郎社長のもとで『自前主義』のローコスト経営として体系化した一連の経営判断。駅前を避けた郊外小商圏で薄利多売を成立させるために、運営コストの圧縮を競争優位に変えた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| シャンブルの1号店を開設 | ★ | |||
| バースデイの1号店を開設 | ★ | |||
| ストアブランド立ち上げとWeb-EDI導入 | ★ | |||
| 47全都道府県への出店を完了 | ★ | |||
| 2003〜2018年多業態化と1500店超への量的拡大 ── 過去最高益の到達と「焼き直し」の代償 | しまむらグループ1000店舗を達成 | ★ | ||
| 野中正人 | 神戸商品センターを建設・稼働 | ★ | ||
| 野中正人 | 子会社飾夢楽(上海)商貿有限公司を設立 | ★ | ||
| 野中正人 | 飾夢楽の1号店を上海市に開設 | ★ | ||
| 野中正人 | 東松山商品センターを建設・稼働 | ★ | ||
| 2019〜2025年鈴木誠氏による「リ・ボーン」と過去最高益の更新 | 鈴木誠 | 直営ECサイト「しまむらオンラインストア」を開設 | ★★ | |
| 鈴木誠 | さいたま新都心に新本社ビルを竣工し移設 | ★ | ||
| 鈴木誠 | 中期経営計画「リ・ボーン」による原点回帰と3期連続減益からのV字回復 2021年4月、鈴木誠社長のもとでしまむらが中期経営計画2023『リ・ボーン』を策定し、過去最高益の直後に始まった3期連続の減益から原点回帰で立て直した経営判断。品揃えを絞り込んだ『2016年型売場』を元へ戻し、PB・EC・アプリを鍛え直して、2025年2月期に売上・利益とも過去最高を更新した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 鈴木誠 | 4ブランドでアプリ会員サービスを開始 | ★ |
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事実根拠:出所(しまむら)