← ファーストリテイリングの年表

本部集中管理から「個店対応」への転換

1998年実施

年50店の出店を支えた本部集中管理はなぜ失速を招き、フリースブーム前夜の柳井正氏は店舗へ何を戻したのか

時期 1998年11月
意思決定者 柳井正氏(社長)
論点 本部集中管理の限界と個店対応への転換
概要
1998年、ファーストリテイリングは、いつ・どこに・何を・どう並べるかを本部が全店一律に決める集中管理を改め、本部の指針のもとで各店舗が在庫量と陳列を決める「個店対応」へ切り替えた。既存店売上高が前年を割り込み、新業態「ファミクロ」「スポクロ」が1年で撤退した失速のなかでの転換であり、同年11月の原宿出店とフリースの浸透によって挽回へ向かう前夜にあたる。
背景
「優れた商品を持っているのに売り上げが伸びない」という壁の正体は、本部の画一的な店舗運営だった。色・サイズ別ではなく商品種類別に全店共通で商品を配分する仕組みは、店ごとの売れ行きの違いを吸収できず、売れる商品を欠品させ、売れない商品を残した。店長は「本部の言うことを忠実に実行するロボットのような存在」に置かれていた。
内容
柳井正社長は店長の創意工夫を認める方向へ転じ、ジーンズなどから色・サイズ別の補充へ切り替え、本部と店舗を橋渡しするスーパーバイザー部を新設し、店長の評価から「本部の指示通りか」を外して売上・人件費の業績連動へ改めた。「いつでも、どこでも、誰でも着られるベーシックなカジュアル衣料を市場最低価格で継続販売する」という原則は守った。
含意
1995年に確立した本部主導の運営実務は、店舗数が数百に膨らむと店ごとの需要差を取りこぼす弱さへ転じた。集中管理の限界を自ら認めて店舗へ権限を戻した1998年の判断は、直後の原宿出店とフリースの大ヒットによる急伸を下支えした。
筆者の見解

強みが裏返る前に、強みを畳んだ判断

この意思決定の核心は、不振の原因を商品や立地という「外側の箱」ではなく、本部集中管理という「内部の仕組み」に見定めた点にある。1995年に確立した本部主導の運営実務は、少ない人材で年50店を出すための合理的な仕組みだった。だが店舗数が数百に膨らむと、その強さは店ごとの需要差を取りこぼす弱さへ裏返る。柳井正氏が新業態の撤退から学んだのは、箱を増やしても内部の仕組みが古ければ売れない、という因果だった。

個店対応が全店で軌道に乗ったとは言いがたく、成果は気温差の大きい沖縄・北海道に偏り、本州では効果が出ず、物流コストと人材育成の課題も残った。それでも、成功を支えてきた集中管理を好調の記憶が濃いうちに自ら畳み、店舗へ権限を戻した判断は、直後の原宿出店とフリースの大ヒットによる急伸を下支えした。1995年の完全売り切り体制と1998年の個店対応は、対立する打ち手ではなく、同じ強みが規模の拡大とともに裏返っていく一続きの過程として読める。

強みが弱みへ転じる手前で、その強みを自ら組み替えられるか──成功した仕組みほど、それを捨てる判断は遅れる。ファーストリテイリングが1998年にこの組み替えへ踏み切れたことは、のちの世界展開やブランド再設計を含め、同社が繰り返す「好調のうちに前提を疑う」経営の一例として示唆に富む。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

「優れた商品なのに売れない」──既存店の失速と新業態の全面撤退

1990年代半ばに独り勝ちしたファーストリテイリングは、1998年に「優れた商品を持っているはずなのに、売り上げが伸びない」壁に直面した。同社の強みは商品調達にあり、取扱商品の大半を自ら企画して中国や東南アジアの工場へ生産を委託し、自社でリスクを負う分だけ仕入れ価格を安く抑えて独自性を出していた。「モノ作りまで踏み込まなければ本来の小売業とはいえない。日本の小売業から学ぶことは何もない」というのが柳井正社長の持論だった。柳井氏と副社長の澤田貴司氏は欧州を視察し、米ギャップやスペインのザラ、英マークス・アンド・スペンサーと比べても品質と価格のバランスで世界有数だと実感していた[1]

商品への自信とは裏腹に、既存店売上高は前年実績を割り込み、1店当たりの月間平均売上高も前年を下回って、個々の店舗の業績は悪化した。商品を豊富に投入すれば大量に売れ残って値下げ処分で粗利益率が落ち、投入量を抑えれば品切れで既存店売上が落ちる。「大量に売れ残るか、大量に品切れしてしまう」板挟みだった。打開のため家族向けの「ファミクロ」、スポーツカジュアルの「スポクロ」という2新業態を出したが、いずれも不振で1年もたたずに撤退し、ある幹部は「消費者が見えなくなった」と嘆いた[2]

店長を「ロボット」にした本部一律の集中管理

消費者ニーズとの乖離を生んだ最大の要因は、本部による画一的な店舗運営だった。いつ・店内のどこに・どの商品を・どう陳列するかを本部が全店一律に決め、店長の創意工夫はほとんど認められない。「店長といっても、本部の言うことを忠実に実行するロボットのような存在」と、ある店長は自嘲気味に語った。急病の子供を抱えた母親が「電話を貸してほしい」と駆け込んでも、店舗運営マニュアルに項目がないため店長が丁重に断った、という象徴的な逸話も残る[3]

商品の補充も本部が全店一律の在庫量を設定し、在庫が減ると配送センターから自動的に納品された。納品単位は色・サイズ別ではなく商品の種類別で、タートルネックのセーターなら全色・全サイズが全店共通の組み合わせで一括して届く。ある店で黒、別の店で赤がよく売れても、黒と赤の比率は両店とも同じだった。店ごとの違いを無視した画一的な売り場は、売れる商品を欠品させ、売れない商品を残し、客足を遠ざけた[4]

決断

「本部の言う通り」を評価から外す──個店対応への転換

1998年初め、柳井正社長は本部の命じるままに店舗が動く方式を改め、本部の指針をもとに店舗が在庫量と陳列を決める方式へ切り替えた。「何が売れて何が売れないのか。本部はわかったつもりでも、それは机上の空論でしかない」「商品が売れる理由、売れない理由は、消費者にじかに接している店舗が一番よくわかる。だからこそ店舗が考えて判断しなければならない」と柳井氏は語った。本部集中管理はこれまでの急成長を支えた仕組みであり、店長が大学卒業後1年半ほどで就くほど人材育成が追いつかないなかで、これを手放すのは勇気のいる判断だった[5]

具体策として、まず春からジーンズなどのズボンを色・サイズ別の補充へ切り替え、全取扱商品の半分程度を色・サイズ別に補充できるようにする方針を掲げた。組織ではスーパーバイザー部を新設し、1人で複数店を受け持つスーパーバイザーが「この商品は売れない」「こういう商品が欲しい」といった店舗の要望を商品部へ伝え、店頭での売り方を店長と一緒に考える橋渡し役を担った。店長の評価基準も、本部の指示通りに運営しているかを外し、売上予算の達成や人件費の管理といった業績連動へ改めた[6]

沖縄と北海道で先に出た「個店」の成果

気温差の大きい沖縄と北海道で、個店対応は先に成果を出した。沖縄では夏物から秋物への切り替えを本州より遅らせて半袖シャツを店舗の最前列に残し、秋の既存店売上高が前年同期を上回った。北海道では逆に秋物から冬物への切り替えを本州より早め、トレーナーを奥へ引っ込めてフリースを入り口脇の壁面で大々的に陳列し、セーターやダッフルコートの売り場を広げて、既存店売上高が前年同期を上回った。北海道地区のスーパーバイザーである山本直樹氏は「北海道は昨年の同時期、最悪の業績だった。そのため今年は冬物を早期に展開しようと最初から狙っていた」と振り返る[7]

東伏古店(札幌市)の三島裕善氏は「お客さんがどんな商品を欲しがっているのかを知るために会話をするよう心がけている」と話し、店舗入り口のマネキン人形に何を着せるかを自分で決め、「マネキン人形を見た客から『この商品どこにあるの』と言われた時は、やりがいを感じる」と語った。もっとも成果が出たのは気温差の大きい両地区に限られ、本州の店長は何をどう変えるべきか分からず効果が出ていない。人材育成、色・サイズ別補充にかかる物流コスト、補充スピードといった課題も残り、取引先工場を絞り込んで素材を先に手配し、販売データで即座に生産する体制づくりにも着手した[8]

結果

原宿と「フリース」が呼び込んだ挽回

個店対応と並行して、ファーストリテイリングは1998年11月、東京・原宿の明治通り沿いにユニクロ原宿店を開いた。郊外の幹線道路沿いに絞ってきた同社にとって初の東京都心出店で、通常は新店開業に立ち会わない柳井氏も山口市の本社から駆けつけた。「我々の力がどこまで通用するか、この東京で試してみたい」と柳井氏は語った。この原宿店を契機に「原宿発フリース」のイメージが広がり、軽量で保温性の高いフリースが低価格で幅広い層へ浸透した[9]

フリースは1998年末の失速を挽回する原動力となった。単体売上高は1998年8月期の831億円から1999年8月期に1110億円、2000年8月期に2289億円へ急伸し、フリースジャケットは2000年に年間850万枚が売れて過去最高益に達した。柳井氏が「カジュアルチェーンからカジュアル産業への変革」と呼んだ1998年の転換は、本部集中管理の限界を認めて店舗に権限を戻す一方、「いつでも、どこでも、誰でも着られるベーシックなカジュアル衣料を、市場最低価格で継続販売する」という原則は守り抜くものだった[10]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1998年12月21日号「ファーストリテイリング 集中管理やめ個店対応へ 失速『ユニクロ』挽回なるか」(日経BP)
  • 日経ビジネス 2002年3月25日号「ファーストリテイリングが11月、銀座に出店(有機野菜事業の全貌)」(日経BP)
  • 日経産業新聞 2000年10月11日「『ユニクロ』最高益」(日本経済新聞社)
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1998年8月期・1999年8月期・2000年8月期)