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柳井正氏の社長退任と玉塚元一氏の登用

2002年実施

フリースブームの反動で減益に沈むなか、53歳の創業者はなぜ39歳の実力者へ社長を譲り「脱カリスマ」に挑んだのか

時期 2002年11月
意思決定者 柳井正氏(社長)
論点 創業者への依存からの脱却と世代交代
概要
2002年11月、ファーストリテイリング創業者の柳井正社長が53歳で社長を退いて代表取締役会長兼CEOへ回り、39歳の玉塚元一氏を代表取締役社長兼COOへ登用した。フリースブームの反動で減益に沈むなかでの世代交代であり、副社長の澤田貴司氏が本命と見られた末の人事でもあった。カリスマ創業者への依存から脱する「脱カリスマ経営」への挑戦だった。
背景
フリースの大ヒットで2000年8月期に過去最高益を記録した後、ブームの反動で業績は減益へ転じた。柳井氏は「売れないのは価格やデフレの問題ではなく、ユニクロの商品が行き渡ったことが大きい」と診断し、成功が創業者の求心力に強く依存する体質そのものを問い直す必要に直面していた。
内容
柳井氏は好調の記憶が濃い時期ではなく減益のなかで、旭硝子を経て入社し常務としてユニクロの立て直しに当たっていた39歳の玉塚元一氏へ社長を譲り、自らは会長として経営者・幹部の育成に回った。玉塚氏は女性向け商品の強化や「ユニクロデザイン研究室」の設置など、原点に戻す立て直しを進めた。
含意
玉塚社長のもとで2003年後半から既存店売上高は回復したが、「脱カリスマ」は長続きしなかった。守成にメドがついた2005年、柳井氏が会長兼社長CEOとして経営に復帰し、持株会社体制へ移行して、結局は創業者が再び社長を兼ねる一頭体制へ戻った。
筆者の見解

好調な創業者が試した「自分がいなくても回る経営」

この意思決定の核心は、事業の失敗を若手に押しつける後始末の人事ではなく、成功した創業者が自らの求心力への依存を解こうとした点にある。柳井正氏は、ユニクロを一代で築いた強い創業者であるがゆえに、その強さが会社を創業者個人へ縛る弱さでもあると見ていた。減益という逆風のなかで39歳の玉塚元一氏へ社長を譲り、自らは会長として次代の経営者育成に回った選択は、日本電子の風戸健二氏が好調のさなかに合議制へ踏み込んだ判断と同じく、成功者があえて自己否定に踏み込む性格を帯びる。

もっとも、この「脱カリスマ」は制度として根づかなかった。玉塚社長の3年で既存店は回復し守成にメドはついたが、世界で戦う攻めの経営を前に、柳井氏は2005年に自ら社長へ復帰し、以後は会長兼社長の一頭体制が続いた。世代交代論を唱えた当人が、最も信頼できる経営者として再び前面へ立たざるを得なかった事実は、カリスマ創業者からの脱却がいかに難しいかを示す。

好調な企業ほど、創業者への依存という強さを弱さと自覚しにくい。柳井正氏が減益の時期にあえて世代交代へ踏み切り、失敗も含めて次に生かす経営を若い社長と試みた2002年の選択は、成功の絶頂ではなくつまずきの時こそ承継を動かせるという、事業承継の難しさと機微を映している。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

フリースブームの反動と「商品が行き渡った」減益

フリースの大ヒットで2000年8月期に単体売上高2289億円・過去最高益を記録したファーストリテイリングは、ブームの反動で失速へ転じた。2001年8月期に単体売上高4185億円・純利益591億円まで駆け上がった直後、2002年8月期は連結売上高3441億円・純利益511億円へ減益となった。世間はデフレに飲み込まれたと見たが、柳井正社長は2002年初めに「売れないのは価格やデフレの問題ではないといっているんです。ユニクロで言えば商品が行き渡ったことが大きい」と診断し、フリース以外にはまだ普及の余地が残ると語った[1]

カリスマ創業者への依存という構造課題

1984年に35歳で社長に就いた柳井正氏は、宇部の紳士服店をユニクロへ組み替え、香港経由のSPA、年50店の出店、フリースの大ヒットまでを一代で率いた強い創業者だった。しかしブームの反動によって、その求心力に強く依存した経営の弱さも表に出た。ファーストリテイリングは「いつでも、どこでも、誰でも着られるベーシックなカジュアル衣料」を掲げながら、ブーム時は欠品を恐れて毎シーズン似た商品を供給し、進化と革新を欠いていた、とのちに玉塚元一氏は振り返る。カリスマ創業者の下で急成長を遂げた会社が、創業者個人への依存をどう解くかという課題に直面していた[2]

決断

「本命」澤田貴司氏ではなく玉塚元一氏を選んだ世代交代

2002年3月、日経ビジネスは「ユニクロ次期社長は玉塚氏」と報じ、副社長として長く柳井氏を支えた澤田貴司氏が本命と見られながら、経営スタイルの違いが埋めきれずに玉塚元一氏が次期社長へ固まった経緯を伝えた。同年11月、柳井正氏は53歳で社長を退いて代表取締役会長兼CEOへ回り、39歳の玉塚氏を代表取締役社長兼COOへ登用した。玉塚氏は慶応義塾大学法学部でラグビー部に所属し、旭硝子を経て米国でMBAを取得したのちファーストリテイリングへ入社、常務としてユニクロの立て直しに当たっていた実力者で、東証1部上場企業の30代社長の誕生として話題を呼んだ[3][4]

この人事は「脱カリスマ経営」への挑戦だった。柳井氏は業績が悪化した時期にあえて若い社長へ道を譲り、自らは会長として経営者・役員・部長クラスの育成にエネルギーを割いた。玉塚氏は、創業者についていけば何とかなるという時代が終わったのか、という問いに対し、この会社は速いスピードで進化しており、毎日高い緊張感を保って自己否定と自己革新を繰り返すしかない、と答えた。玉塚氏と柳井会長は日々議論を交わし、「今までの路線を否定するのではなく、その都度ベストな問題解決をする」考えで臨んだ[5]

結果

「守成」の玉塚時代と、3年後の創業者復帰

玉塚社長のもとでファーストリテイリングは原点に戻る立て直しへ進み、2003年後半から既存店売上高が回復した。ブーム時のユニセックス一辺倒を改めて来店客の多数を占める女性向けの商品を強化し、「ユニクロデザイン研究室」を設けて商品企画のサイクルを増やし、店頭で売り切る力を高めた。玉塚氏は野菜直販のSKIP事業からの撤退も、路線の否定ではなくその都度の最善の問題解決として決め、「大きなビジネスチャンスがあると仮説を立てて実行したが失敗したので撤退し、次に生かす」と語った[6]

しかし「脱カリスマ」の試みは長くは続かなかった。玉塚社長の3年で守成にメドはついたものの、攻めへの転換を前に、2005年8月期には柳井正氏が代表取締役会長兼社長として経営に復帰し、同年11月にはユニクロ事業の再強化と新規事業の拡大を目的として持株会社体制へ移行した。世代交代論は柳井会長自身が唱えたものだったが、結局は創業者が再び社長を兼ねる一頭体制へ戻った[7][8]

出典・参考
  • 日経ビジネス 2002年3月25日号「ユニクロ次期社長は玉塚氏、本命沢田氏に何が起きたのか 経営スタイルの違い埋めきれず」(日経BP)
  • 日経ビジネス 2004年4月5日号「編集長インタビュー 玉塚元一氏(ファーストリテイリング社長兼COO)反転攻勢の機は熟した」(日経BP)
  • 日経MJ 2002年1月15日「減益ユニクロ社長の弁明」(日本経済新聞社)
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書【沿革】
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(2001年8月期・2002年8月期)