この判断の中心にあるのは、後発企業が規模の差をどう埋めるかという、きわめて素朴な問いである。買収は時間を買う代わりに、他人の作った設備と職場をそのまま引き受ける。新設は時間を要する代わりに、自社の水準どおりの工場を得られる。宮島清次郎氏はどちらかに寄せず、1919年に岡崎紡績の買収と名古屋11万錘の新設を同じ年に並べた。買った設備は機械の入れ替えで水準を合わせ、建てた工場で全体の原価を押し下げる——二つの手段を補い合わせた運び方であったのだろう。
もっとも、こうして積み上げた設備は戦時の供出と敗戦で約8割が消え、規模そのものは守りきれなかった。残ったのは設備の量ではなく、同業を買い、工場を建設し、機械を入れ替え続けるという事業の作り方のほうであった。戦後の非繊維部門への進出も、のちの自動車ブレーキや無線通信の取り込みも、稼働させられる事業を外から買って自社の水準に合わせるという同じ手つきで進んでいる。100年を隔てて繰り返される拡大の型が、この時期に固まっただろう。