セーレン の歴史

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創業 1889年
創業者
創業地 福井県福井市
創業
1923年5月、福井県の精練業者5社が合同して福井精練加工株式会社が発足した。輸出向け絹羽二重が過当競争で品質を落とし欧州市場での評判を損ねたため、外貨獲得を重んじる政府と福井県知事の中村純九郎が県内業者の統合を主導した経緯である。1911年設立の福井県精練と1916年発足の福井撚糸染工に、丸三染練・島崎織物加工部・福井県絹紬精練が加わり、資本金200万円・従業員622名・5工場で操業を始めた。扱いは1929年に絹からレーヨン織物向けへ移り、1956年には勝見工場を帝人向けのアセテート染色に特化させている。1962年12月の大阪証券取引所第2部上場時、筆頭株主は帝人、第2位は旭化成だった。
決断
加工賃を受け取る会社から、在庫を負う会社へ移った。1968年5月期には売上の36%を旭化成、24%を帝人が占め、上位5社で約78%に達した。国内シェア4.9%の業界2位だが、採算は発注元の生産計画が決める。1973年10月の第一次石油危機で合繊大手の生産調整が始まると、係長だった川田達男が1975年に社内の反対を押し切って自動車内装材へ参入した。委託加工が白生地を預かる無在庫の賃加工であるのに対し、内装材は原糸を仕入れて織り、在庫を負ってメーカーへ納める。1975年にトヨタ自動車、1976年に日産自動車、1988年に本田技研工業へ納入を始めた。1985年5月期には単体売上383億円の31%を自動車内装材が占めている。白生地を預かる立場から原糸を買う立場へ変わったことが、値決めを発注元から自社の側へ移した。
現況
利益率が最も高い事業は、車輌資材ではない。2026年3月期の連結売上高1,717億円のうち車輌資材が1,153億円で67%を占め、セグメント利益162億円も5事業で最大である。ただし売上高に対する利益の比では、134億円を売って31億円を稼ぐエレクトロニクスが23.0%と、車輌資材の14.1%を上回る。ハイファッションは売上213億円・利益14億円、環境・生活資材は133億円・利益10億円、メディカルは67億円・利益7億円である。全社の営業利益は2011年3月期の37億円から208億円へ増えた。原糸から織編・染色・縫製までをグループ内に持つ一貫生産を小ロットの半導体加工部材へ移したことが、車輌資材を上回る利益率をエレクトロニクスに生んだ。
競合
繊維から自動車内装へ移った2社は、シートの中と表で分かれた。豊田自動織機の紡織部門を源流とするトヨタ紡織は1972年に定款へ自動車部品の製造を加え、シートフレームと内装モジュールの組立へ進んだ。セーレンが取ったのは表皮の側で、1975年にトヨタ自動車へ納入を始めてから原糸・織編・染色・縫製を自社に集め、自動車内装材で世界首位に立った。ただしシート全体を組み立てる側の規模には届かず、2026年3月期の売上高はトヨタ紡織の2兆370億円に対しセーレンが1,717億円である。工程の一部を深く持つ選び方が、規模では劣位に置かれたまま営業利益率12.1%を保たせ、その同じ一貫生産を半導体加工部材と人工衛星向け部材へ複製する根拠になっている。
セーレン:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 福井5社合併から大手合繊メーカーの委託加工2位まで (1923年〜)

県知事主導の集約で誕生した染色加工会社

1923年5月、福井精練加工株式会社が設立[1]された。福井県の特産だった輸出向け『絹羽二重』が過当競争で品質低下を起こし、欧州市場で日本産絹織物の評判が落ちる事態を受け、外貨獲得を重視した政府と福井県知事の中村純九郎氏が県内精練業者の統合を主導したのが直接の契機だった。[2]1911年に16工場の統合で福井県精練が設立され[3]、1916年5月には黒川栄次郎氏が福井撚糸染工を発足、1923年にはこの2社に丸三染練、島崎織物加工部、福井県絹紬精練を加えた5社合同で福井精練加工が成立した。[4]資本金200万円、発足時従業員622名[5]、本社・勝山・勝見・鯖江・武生の5工場体制で出発し、創業者の一角に位置した黒川家がのちに長期にわたって経営の中枢を占めた。[6]

  • セーレン 有価証券報告書 第153期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1923年5月 前身5社の統合により福井精練加工株式会社を設立(実質的な創業)
    • [3]1911年8月 福井県内の同業16業者が統合し福井県精練株式会社を設立(資本金20万円)
    • [4]統合5社=福井撚糸染工・福井県絹紬精練・福井県精練・丸三染練(合資組合)・島崎織物(㈱)加工部
    • [5]設立時資本金200万円
    • [6]黒川家の経営関与=1889年に黒川栄次郎氏が京越組を共同創業(上田伊八氏と)、1963年時点も創業家の黒川誠一氏が経営者として登場(野田経済の発言者)
    • [2]過当競争による品質問題を背景に国(当時の農商務省)と福井県が共同で県内精練業者の統合を主導(創業家 黒川誠一氏の1963年回顧と一致)

設立当初の事業は絹羽二重向けの染色加工だったが、1929年からはレーヨン織物向けの染色加工へ移った。絹から人造繊維への原料転換が世界繊維産業全体で進む局面に乗った形で、戦間期の福井繊維業を支える地位を維持した。1945年7月の福井大空襲では3工場を焼失し、戦後復興期は工場再建と原糸調達の困難から再出発したが、1950年代に合成繊維時代が到来すると、染色加工技術の高度化に活路を見出した。1953年に開発した『クレポニーセレナイズ加工』はベンベルグ織物・アセテート織物の品質を高める技術として評価され、1956年には勝見工場を帝人向けのアセテート染色加工に特化させ、特定顧客向けの専用ラインを設けるビジネスモデルを定着させた。

  • セーレン 有価証券報告書 第153期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1923年5月 前身5社の統合により福井精練加工株式会社を設立(実質的な創業)
    • [3]1911年8月 福井県内の同業16業者が統合し福井県精練株式会社を設立(資本金20万円)
    • [4]統合5社=福井撚糸染工・福井県絹紬精練・福井県精練・丸三染練(合資組合)・島崎織物(㈱)加工部
    • [5]設立時資本金200万円
    • [6]黒川家の経営関与=1889年に黒川栄次郎氏が京越組を共同創業(上田伊八氏と)、1963年時点も創業家の黒川誠一氏が経営者として登場(野田経済の発言者)
    • [2]過当競争による品質問題を背景に国(当時の農商務省)と福井県が共同で県内精練業者の統合を主導(創業家 黒川誠一氏の1963年回顧と一致)

合繊大手の下請けに依存した上場と委託加工2位の構造

1962年12月、福井精練加工は[7]大阪証券取引所第2部に株式を上場した。上場時点の筆頭株主は帝人、第2位は旭化成だった。合繊メーカーから出資を受けたうえで染色加工を請け負う形は、安定取引と引き換えに発注側へ採算決定権を渡す関係でもあった。1968年5月期には売上高の36%を旭化成、24%を帝人、7.3%をユニチカ、5.7%を東洋紡向けに販売し、上位5社で売上の約78%を占めた。同年の合成繊維染色加工で福井精練加工の国内シェアは4.9%、業界2位の位置だった。首位は酒伊繊維(6.8%)、3位は小松精練(4.5%)であり、群雄割拠の市場で発注元が利益分配を握る下請けポジションを抜けられない状況にあった。

  • セーレン 有価証券報告書 第153期(2025年3月期)【沿革】
    • [7]1962年12月 大阪証券取引所市場第二部に上場

1969年12月には東京証券取引所第2部にも上場し[8]、合繊大手の下請けという地位を維持したまま流通市場での評価を拡張した。1973年4月には東証・大証ともに市場第一部へ指定替えとなり、二部上場から約10年で第一部入りを果たした[9]が、業績の安定はあくまで委託加工先である合繊各社の事業計画に連動する構造のうえに成り立っていた。同年2月、商号を『セーレン株式会社』に変更した[10]。『セーレン』は精練(せいれん)の口語化で、創業以来の染色加工の屋号を社名に昇格させたかたちだったが、1973年10月の第一次石油危機で合成繊維原料の価格が急騰し、合繊大手の生産調整が始まると、下請けの染色加工会社も発注減の影響を直に受ける構造的な脆弱さが露呈した。

  • セーレン 有価証券報告書 第153期(2025年3月期)【沿革】
    • [8]1969年12月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [9]1973年4月 東証・大証ともに市場第一部に指定替(1962/12の二部上場から約10年=算術整合)
    • [10]1973年2月 商号をセーレン株式会社に変更
  • セーレン 有価証券報告書 第153期(2025年3月期)【沿革】
    • [7]1962年12月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [8]1969年12月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [9]1973年4月 東証・大証ともに市場第一部に指定替(1962/12の二部上場から約10年=算術整合)
    • [10]1973年2月 商号をセーレン株式会社に変更

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セーレンの沿革1889〜2022年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
京越組を設立し輸出羽二重の精練業を開始
福井県内の同業16業者が統合し福井県精練を設立
福井撚糸染工を設立
群馬整染を設立
福井県絹紬精練を設立
1923〜1973年福井5社合併から大手合繊メーカーの委託加工2位まで前身5社の統合により福井精練加工を設立★★
福井精練名古屋工場を設立
大阪証券取引所市場第二部に上場
セーレン殖産を設立
東京証券取引所市場第二部に上場
セーレン電子を設立★★
アルマジャパンを設立
商号をセーレンに変更
東京証券取引所・大阪証券取引所ともに市場第一部に指定替
セーレンミサワホームを設立
1973〜2011年川田達男氏の異端起用と自動車内装材世界トップへの転身セーレンケーピーを設立
Seiren U.S.A. Corporationを設立
川田達男セーレンシステムサービスを設立
川田達男デプロを設立
川田達男セーレンオーカスを設立
川田達男Saha Seiren Co., Ltd.を設立
川田達男Seiren Produtos Automotivos Ltda.を設立
川田達男Viscotec U.S.A. LLCを設立
川田達男Viscotec Automotive Products LLCを設立★★
川田達男世聯汽車内飾(蘇州)有限公司を設立
川田達男下請け染色からの脱却と、自動車内装材・一貫生産への業態転換

セーレンは、合繊大手から染色を請け負う委託加工2位の下請け企業から、原糸から最終製品まで自社で手がける自動車内装材メーカーへと業態を作り替えた。社内で『異端者』と呼ばれた川田達男氏が1975年の自動車内装材参入から社長就任後の一貫生産体制の構築まで主導した、下請け気質を変える長い経営判断であった。

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★★★
川田達男Viscotec World Design Center LLCを設立
川田達男KBセーレンを設立しカネボウ繊維事業の営業を譲受★★
2011〜2025年会長後継候補の登場と「繊維企業の枠を超える」戦略川田達男SEIREN INDIA PRIVATE LIMITEDを設立
結川孝一Viscotec Mexico S.A. de C.V.を設立
結川孝一世聯汽車内飾(河北)有限公司を設立
坪田光司KBセーレン・DTYを子会社化
坪田光司ケイ・エス・ティ・ワールドを子会社化
坪田光司セーレンソーテックをセーレンアルマが吸収合併
坪田光司SEIREN Hungary Kft.を設立
坪田光司Cosmo Jinzai MexicanaをSeiren Viscotec Mexicoが吸収合併
山田英幸東京証券取引所プライム市場に移行
出典・参考

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