日清紡HD の歴代社長

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2005年2010年2020年2026年

岩下俊士退任

2005年社長就任

取締役社長

鵜澤静退任

2008年社長就任

取締役社長

河田正也退任

2012年社長就任

2006年執行役員2007年取締役代表取締役社長

村上雅洋退任

2019年社長就任

2008年執行役員2010年取締役代表取締役社長

石井靖二現任

2025年社長就任

2015年執行役員2019年取締役
創業社長の関係
創業

1907年2月に東京・亀戸で日清紡績が設立され、初代会長には平沼専蔵氏が就いた。基礎を据えたのは1914年に専務として迎えた宮島清次郎氏で、六工場・紡機23万錘を擁するところまで広げている。創業家が代々社長を継ぐ形は取らず、戦後は1945年12月に41歳で就いた桜田武氏が18年にわたって率いた。

社長登用の傾向
登用

2005年以降の5代のうち、経歴を追える河田正也氏・村上雅洋氏・石井靖二氏はいずれも日清紡入社の生え抜きである。河田氏と石井氏は分社した日清紡ブレーキの社長を経ており、村上雅洋氏は経営戦略センター長から昇った。事業会社を預かるか本社の戦略部門を預かるかが、昇格前の関門になっているように見える。

社長任期の傾向
任期

最長は戦後の再建を担った桜田武氏の18年で、次いで露口達氏の9年が続く。直近は河田正也氏が7年、村上雅洋氏が6年、石井靖二氏は2025年3月に就いて1年目である。2009年の持株会社化のあとは6年から7年で渡す周期に落ち着いた。1979年から2005年までの社長は確認できていない。

いまの体制への含意
含意

トップの供給源は本体入社の生え抜きに限られ、買収で取り込んだ日本無線や新日本無線の出身者は取締役には並んでも社長には届いていない。主軸を綿紡績から自動車ブレーキ、無線・通信へ約30年ごとに入れ替えてきた会社でありながら、その入れ替えを決める席は一貫して本体育ちが占めている。

氏名 社長在任期間 退任年は推定 在任年数 推定状況出自役職在任中の決断施策
桜田武(1945年就任)1945〜1964年1945年就任19年退任生え抜き取締役社長
露口達(1964年就任)1964〜1973年1964年就任10年退任生え抜き取締役社長
山本啓四郎(1973年就任)1973〜1979年1973年就任6年退任生え抜き取締役社長
中瀬秀夫(1979年就任)1979〜2005年1979年就任26年退任生え抜き取締役社長
岩下俊士(2005年就任)2005〜2008年2005年就任3年退任取締役社長決断2005年新日本無線の子会社化
鵜澤静(2008年就任)2008〜2012年2008年就任4年退任取締役社長決断2011年TMD Frictionの買収
河田正也(2012年就任)2012〜2019年2012年就任7年退任生え抜き代表取締役社長
村上雅洋(2019年就任)2019〜2025年2019年就任6年退任生え抜き代表取締役社長
石井靖二(2025年就任)2025年〜現任2025年就任2年現任生え抜き代表取締役社長1988年4月に入社した。2011年4月に日清紡ブレーキの執行役員摩擦材製造部長、2013年6月に取締役常務執行役員、2015年4月に取締役副社長を経て、2017年6月に同社の代表取締役社長へ就任した。持株会社では2015年6月に執行役員、2019年3月に取締役執行役員、2024年3月に取締役常務執行役員・経営戦略センター長へ進んだ。ブレーキ事業会社の社長を6年務めた後の登用である。
歴代社長の在任期間 全9代
1945年1950年1960年1970年1980年1990年2000年2010年2020年2026年

桜田武退任

1945年社長就任

取締役社長

露口達退任

1964年社長就任

1957年取締役取締役社長

山本啓四郎退任

1973年社長就任

1967年取締役取締役社長

中瀬秀夫退任

1979年社長就任

1947年入社1967年取締役取締役社長

岩下俊士退任

2005年社長就任

鵜澤静退任

2008年社長就任

河田正也退任

2012年社長就任

1975年入社2006年執行役員2007年取締役代表取締役社長

村上雅洋退任

2019年社長就任

1982年入社2008年執行役員2010年取締役代表取締役社長

石井靖二現任

2025年社長就任

1988年入社2015年執行役員2019年取締役

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