日清紡ホールディングス欧州ブレーキ摩擦材大手TMD Frictionの全株式取得
世界シェア5%の会社が、10%の会社を買って首位に立つ——その代金は何年で回収できるのか
- 概要
- 2011年9月26日に発表し同年11月に完了した、ルクセンブルク籍のTMD FRICTION GROUP S.A.の全株式取得。買収額は約4億4,000万ユーロで、欧州を主力市場とするブレーキ摩擦材メーカーを完全子会社とし、日清紡ホールディングスは世界シェア約15%で首位に立った。
- 背景
- ブレーキ摩擦材は戦時中の1944年に紡績技術を応用して始めた事業で、国内では曙ブレーキ工業に次ぐ2位。アジアには自前の拠点を築いていたが、世界シェアは5%にとどまり、欧州には販売・生産の足場がなかった。
- 内容
- TMDの株式を持っていた投資ファンドと経営陣から全株式を買い取り、完全子会社とした。資金は手元資金とブリッジローンを充て、同じ年に中国・シンガポール・インドの拠点設立も並行させている。
- 含意
- 買収でシェアは首位になったが、欧州の競争激化と原料高で摩擦材事業は買収翌期から5年にわたり営業赤字を抱えた。2023年11月に全株式を譲渡し、銅レス・銅フリー摩擦材へ絞る形で12年の海外展開に区切りをつけた。
シェアは買えても、収益は買えるのか
この買収が問うているのは、世界首位という位置に何を期待していたかである。摩擦材は自動車メーカーの地域ごとの調達に沿って売られる部品であり、欧州の顧客に届くには欧州の工場と商流が要る。それを一から建てれば十年単位の時間がかかる以上、稼働している会社を丸ごと買う判断には理屈が通っていたとみることができる。シェアは実際に5%から15%へ跳ね、売上も2倍以上になった。買った時点で得られるはずのものは、おおむね手に入っている。
手に入らなかったのは利益であった。欧州の競争と原料高は買収前から見えていた条件であり、そこへ電動化と粉じん規制という後から強まった圧力が重なる。12年後の譲渡を村上雅洋社長は「損切り」と呼び、銅レス・銅フリー摩擦材という自社の強い領域へ絞る選択として説明した。規模を買って首位に立つのか、狭くとも勝てる領域に留まるのか——同じ会社が12年をかけて逆向きの答えを出した経緯は、多角化した事業を抱える経営に繰り返し現れる問いとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
紡績から出た摩擦材という事業
ブレーキ摩擦材は、戦時下の1944年に製造が始まった。当時の摩擦材は鉱物繊維を原料としており、繊維の技術をそのまま応用できたためである。のちに社長となる村上雅洋氏は「一見、紡績とブレーキは何ら関係性がないように思えますが、石綿から摩擦材を作る際に、紡績技術が転用できるというのが受注の理由でした」と説明している。日系自動車メーカーが複数の取引先から同じ部品を買う方針をとったことも追い風となり、日清紡は国内では曙ブレーキ工業に次ぐ2位を占めた[1][2]。
1990年代以降、自動車ブレーキの拠点はアジアと北米へ広がった。1996年6月にタイのNISSHINBO SOMBOON AUTOMOTIVE、1997年3月に米国のNISSHINBO AUTOMOTIVE MANUFACTURING、1999年3月に韓国のSAERON AUTOMOTIVE CORPORATIONを設立している。2000年12月にはドイツのコンチネンタル社との合弁でコンチネンタル・テーベスを設け、次世代製品の開発に巨額を要するABS分野はコンチネンタル側主導の合弁へ移した。自前で持つ範囲を摩擦材に絞り込む整理が、この時点で済んでいた[3][4]。
「再出発」を掲げた持株会社の懐事情
買収を決めた当時、日清紡ホールディングスは新しい柱を探しあぐねていた。リーマンショックで2009年3月期は最終赤字に沈み、繊維は2010年1月に生産の主力をインドネシアへ移して国内生産を縮小する再構築計画を出し、希望退職の募集にも踏み込んでいる。期待をかけた太陽電池製造装置は、海外需要の急拡大と同時に進む低価格化競争に直面していた。鵜澤静社長は当時の誌面で「従来の日清紡のあり方すべてを否定はしないが、『再出発』するんだという気持ちで新事業へ取り組んでいる」と語っている[5][6]。
摩擦材は数少ない、伸びしろの見える事業であった。ただし世界市場での日清紡のシェアは5%にとどまり、首位は米フェデラルモーグル、3位には国内で先行する曙ブレーキ工業が並んでいた。アジアと北米には拠点があるものの、欧州には販売網も工場も持たない。自動車メーカーが地域ごとに部品を調達する以上、欧州の空白は補給部品の商流ごと取り逃がすことを意味した。2011年3月期のブレーキセグメントは売上461億円で、連結売上3,256億円の1割台にすぎない[7][8]。
決断
全株式を、ファンドと経営陣から買い取る
2011年9月26日、日清紡ホールディングスはTMD FRICTION GROUP S.A.の買収を発表した。投資ファンドと経営陣が持つ全株式を買い取って完全子会社とするもので、買収額は約4億4,000万ユーロ、日本円で約450億円と報じられた。M&A専門媒体は取得価額を約462億円と伝えている。TMDの2010年12月期の売上高は6億3,700万ユーロ(約651億円)、営業利益は36億円、従業員は4,200人。買い手の連結売上の2割近い規模の会社を、一括で取り込む取引であった[9][10]。
資金の手当てについて、鵜澤静社長は発表翌日に「手元資金とブリッジローンを活用」と述べている。長く保有株式の含み益と厚い手元資産を抱えてきた会社が、その資産を最大級の買い物へ振り向けた場面にあたる。取得は予定どおり進み、2011年11月にTMDの全株式を取得した。合算シェアは約15%となり、フェデラルモーグルと曙ブレーキ工業を抜いて摩擦材で世界首位に立った[11][12]。
欧州を買い、アジアは自前で建てる
買収の年、アジア側の拠点整備も同時に走っていた。2011年2月に日清紡ブレーキと韓国SAERON AUTOMOTIVEの合弁で日清紡賽龍(常熟)汽車部件有限公司を中国に設立し、同年9月にはNISSHINBO SINGAPORE PTE.LTD.とNISSHINBO MECHATRONICS INDIA PRIVATE LTD.をそれぞれ設けている。欧州は買って手に入れ、アジアは合弁と新設で積み上げる。地域ごとに手段を使い分ける進め方であった[13]。
買収の効果は売上の側にすぐ表れた。ブレーキセグメントの売上高は2012年3月期の475億円から、TMDが通期で寄与した2013年3月期には1,188億円へ跳ね上がっている。連結売上に占める比率は1割台から3割近くに変わり、日清紡ホールディングスは繊維の会社から自動車部品の比重が大きい会社へ姿を変えた。規模の上では、狙いどおりの買い物であった[14]。
結果
赤字の5年と、12年後の譲渡
利益は逆を向いた。2012年3月期に42億円の営業利益を出していたブレーキセグメントは、TMDが通期で加わった2013年3月期に43億円の営業赤字へ転落する。以後も2015年3月期に21億円、2016年3月期に9億円の営業損失を計上し、2017年3月期にようやく7百万円の損失まで戻した。欧州市場での競争激化と原料価格の上昇が重なり、買収価格に見合う利益を出せない期間が5年続いた。のれん償却費も利益を圧迫している[15]。
2023年11月、日清紡ホールディングスはTMD FRICTION GROUP S.A.の全株式を譲渡した。買収から12年での撤退である。村上雅洋社長は「自動車のxEV(電動車)化と欧州での粉じん規制に伴う、将来の事業リスクを見越した損切り[17]」と説明し、あわせて「ブレーキ事業をやめるわけではありません。日清紡ブレーキの強みである、世界トップシェアの銅レス・銅フリー摩擦材のような強くて将来的に明るい領域に、より集中するということ」と述べた。譲渡に伴い2023年12月期の連結純利益は200億円の赤字となったが、ブレーキセグメントの売上は2023年12月期の1,785億円から2024年12月期に582億円へ縮む一方、営業利益は23億円を確保している[16][18]。
- 日本経済新聞(2011年9月26日)「日清紡、ブレーキ摩擦材メーカー買収 世界首位に」
- 日本経済新聞(2011年9月27日)「日清紡HD社長、買収資金「手元資金とブリッジローンを活用」」
- M&A Online(2011年9月26日)「日清紡HD<3105>、ルクセンブルクの自動車ブレーキ摩擦材メーカーTMD Friction Groupを買収」
- 週刊東洋経済 2010年10月27日号「企業戦略シリーズ6【新「本業」で稼ぐ】第1回 日清紡ホールディングス 太陽電池製造装置を軸に 103年目の「再出発」」
- 事業構想オンライン(2021年2月)「日清紡の次なる100年「超スマート社会」の実現を目指す」
- 繊研新聞(2024年1月23日)「《トップインタビュー2024》日清紡ホールディングス社長 村上雅洋氏「正しくもうける」を貪欲に」
- 日清紡ホールディングス 有価証券報告書 第183期(2025年12月期)【沿革】