日東紡績 の歴史

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創業 1918年
創業者 安藤與惣次郎
創業地 福島県福島市
創業
1918年4月、安藤與惣次郎氏が福島市に絹糸紡績の福島精練製糸株式会社を設立した。1923年4月、この会社が片倉製糸紡績の岩代紡績所(旧・郡山絹糸紡績)を買収する形で商号を日東紡績へ改め、福島県内の絹糸紡績2社が一つになった。初代社長の片倉三平氏は祖業の絹糸に留まらず、1937年3月に富久山でレーヨンステープルの生産を始め、1938年12月には日本で初めてグラスファイバーの工業化に成功する。同時期に工業化した米オーエンスコーニングに次ぐ世界2社目で、翌1939年2月に富久山で量産へ入った。ただし社名の紡績はそのまま残り、絹糸紡績の会社が無機素材を併せ持つ状態はこののち半世紀続いた。
決断
一度に絞らず、35年かけて事業を一つずつ閉じた。1965年3月期に最終赤字へ転落したあと、1979年には乱立した多角化事業を絞り込む「特化作戦」に着手した。1986年6月にレーヨンステープルと化繊糸を撤収し、1992年1月の和歌山、1995年2月の静岡、1998年1月の泊と綿紡績の操業を順に終えた。建材でも2008年8月にメラミン化粧板、2010年3月に不燃吸音天井板から撤退し、2023年1月には飲料のニットービバレッジを譲渡している。退出の順序を決めたのは赤字の大きさではなく品質で差がつくかどうかで、1938年に始めたガラス繊維だけが全期間を通じて残った。
現況
売上の4割ほどの電子材料が、営業利益の9割を出している。2026年3月期の連結売上高1,182億円のうち電子材料事業は492億円で、セグメント利益193億円は全社営業利益208億円の9割を超える。次に利益を出すのはメディカル事業の24億円で、断熱材・複合材・資材ケミカルの3事業は合わせて6億円にとどまる。1995年にアジア勢との競争で採算の崩れた綿・合繊紡績からの撤退を決め、残したガラス繊維をプリント配線板用ガラスクロスとNEガラスへ作り替えたことが、この偏りを生んだ。生成AI向けサーバー基板の需要を受け、2024年5月の中期経営計画で4年800億円、2025年10月には福島工場の新棟へ150億円の投資を決めている。
競合
ガラス繊維の競争は、量ではなく糸をどこまで細くできるかで起きている。1938年の工業化から生産を絶やさず、現在の主力はプリント配線板向けの超極細・超薄スペシャルガラスクロスである。日本電気硝子は2017年に米PPGから欧州・米国のガラス繊維3拠点を取得し、強化材向けの規模を欧米へ広げた。日東紡績は逆に、2019年5月に日東紡(中国)有限公司の全持分を浙江銀瑜新材料へ譲渡し、翌6月に台湾のBaotek Industrial Materialsを連結子会社としている。汎用のガラスクロスを中国企業へ渡して高機能品の拠点を台湾に置いたことが、価格で競う品目と細さで競う品目を地理で分けた。
日東紡績:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 福島の絹糸紡績2社合併と世界第2位グラスファイバー工業化 (1898年〜)

郡山絹糸紡績と福島精練製糸の合併で福島県内紡績企業として発足

日東紡績の前史は、1898年2月に郡山市で設立された郡山絹糸紡績株式会社と[1]、1918年4月に福島市で設立された福島精練製糸株式会社[2](後の福島紡織)の2社にさかのぼる[3]。両社はともに福島県内に拠点を置く絹糸紡績会社で、明治末期から大正期にかけての地方紡績業の典型的な姿だった。1923年4月、福島紡織が片倉製糸紡績の岩代紡績所[4](旧郡山絹糸紡績)を買収する形で両社が統合し、商号を日東紡績株式会社に変更した。福島県内の絹糸紡績2社が合併して福島県発祥の紡績企業として発足した経緯で、設立から100年を超えた現在も福島県内の主力生産拠点(福島・郡山)は同社の中核に位置する。

  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1898年2月 郡山市で郡山絹糸紡績株式会社が設立された
    • [2]1918年4月 福島市で福島精練製糸株式会社が設立された
    • [3]福島精練製糸株式会社は後の福島紡織である
    • [4]1923年4月 福島紡織が片倉製糸紡績の岩代紡績所(旧郡山絹糸紡績)を買収する形で統合し商号を日東紡績株式会社に変更した

初代社長として片倉三平氏が就任した。片倉社長は祖業の絹糸紡績にとどまらず、当時最先端の化学繊維(レーヨン・スフ)やガラス繊維への参入を主導し、日東紡の経営を多角化した。1936年11月には福島県郡山市に富久山工場を新設し[5]、1937年3月にはレーヨンステープルの量産を開始した[6]。1937年9月には兵庫県伊丹市に織物染色加工工場[7]、同年10月には名古屋紡績株式会社[8](郡山絹糸工場・郡山工場・名古屋工場・新潟工場)を合併し、新潟工場を取得してこのとき綿紡績に進出した。[9]これにより福島・愛知・新潟・兵庫にまたがる工場群を擁する規模に拡張した。

  • 日東紡統合報告書2025
    • [5]1936年11月 福島県郡山市に富久山工場を新設した
  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [6]1937年3月 レーヨンステープルの量産を開始した
    • [7]1937年9月 兵庫県伊丹市に織物染色加工工場を新設した
    • [8]1937年10月 名古屋紡績株式会社を合併した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968年)
    • [9]1937年(昭和12年9月) 名古屋紡績を吸収合併して新潟工場を取得し、このとき綿紡績に進出した

1923年から1944年までの戦前期、日東紡績は単なる絹糸紡績会社にとどまらず、繊維素材を軸とする総合素材メーカーへの脱皮を始めた。1942年1月には泊紡績株式会社(富山県)を合併し[10]、1944年2月にはトヨタ自動車(旧中央紡績)から和歌山県の海南・広2工場[11]を買収した。太平洋戦争中の企業統合のなかで日東紡績は昭光紡績・日東毛糸・泊紡績を合併するなど拡張を続け[12]、1944年2月には社名を『日東城工業株式会社』に変更したが、戦後の1946年5月に『日東紡績株式会社』へ復帰した。[13]戦時統制経済下で繊維各社の合併・統合が進むなかで、日東紡績は東日本(福島・新潟)と西日本(兵庫・和歌山)にまたがる工場網を整え、戦前期の地方紡績会社としては異例の地理的分散を実現した。

  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [10]1942年1月 泊紡績株式会社(富山県)を合併した
    • [11]1944年2月 トヨタ自動車から和歌山県の海南・広2工場を買収した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968年)
    • [12]太平洋戦争中の企業統合で昭光紡績・日東毛糸・泊紡績を合併するなど拡張を続けた
    • [13]1944年2月 社名を「日東城工業株式会社」に変更し、戦後の1946年5月に「日東紡績株式会社」へ復帰した
  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1898年2月 郡山市で郡山絹糸紡績株式会社が設立された
    • [2]1918年4月 福島市で福島精練製糸株式会社が設立された
    • [3]福島精練製糸株式会社は後の福島紡織である
    • [4]1923年4月 福島紡織が片倉製糸紡績の岩代紡績所(旧郡山絹糸紡績)を買収する形で統合し商号を日東紡績株式会社に変更した
    • [6]1937年3月 レーヨンステープルの量産を開始した
    • [7]1937年9月 兵庫県伊丹市に織物染色加工工場を新設した
    • [8]1937年10月 名古屋紡績株式会社を合併した
    • [10]1942年1月 泊紡績株式会社(富山県)を合併した
    • [11]1944年2月 トヨタ自動車から和歌山県の海南・広2工場を買収した
  • 日東紡統合報告書2025
    • [5]1936年11月 福島県郡山市に富久山工場を新設した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968年)
    • [9]1937年(昭和12年9月) 名古屋紡績を吸収合併して新潟工場を取得し、このとき綿紡績に進出した
    • [12]太平洋戦争中の企業統合で昭光紡績・日東毛糸・泊紡績を合併するなど拡張を続けた
    • [13]1944年2月 社名を「日東城工業株式会社」に変更し、戦後の1946年5月に「日東紡績株式会社」へ復帰した

1938年グラスファイバー工業化 ── 世界2位の同時成功

日東紡績の事業展開のなかで、ガラス繊維(グラスファイバー)への参入は、後の主力事業につながる決断だった。1938年12月、片倉社長の主導で日本初のグラスファイバー工業化に成功した[14]。世界では米国オーエンスコーニングファイバーグラス社が1938年に工業化を達成しており[15]、日東紡は世界第2位のグラスファイバー工業化企業[16]として位置付けられる。1939年2月には富久山工場でグラスファイバーの量産を開始し[17]、絹糸紡績会社が当時の素材イノベーションの最先端である無機素材分野に踏み込んだ。同年11月には東京にロックウール工場を新設し[18]、断熱材分野にも進出した。

  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1938年12月 日本初のグラスファイバー工業化に成功した
    • [15]米国オーエンスコーニングファイバーグラス社が同時期にグラスファイバーの工業化を達成した
    • [17]1939年2月 富久山工場でグラスファイバーの量産を開始した
    • [18]1939年11月 東京にロックウール工場を新設した
  • 日東紡統合報告書2025
    • [16]日東紡は世界第2位のグラスファイバー工業化企業である

グラスファイバーは戦時下では軍需用途(航空機の電気絶縁材・電波装置)として需要が伸び、戦後は電子材料(プリント配線板用ガラスクロス)の素材として用途が広がった。1957年4月には福島工場でグラスファイバーの量産を開始[19]し、1969年8月にはグラスファイバー織物工場を福島工場に新設した[20]。同年、プリント配線板向けのガラスクロスを発売し[21]、電子材料市場への本格参入を果たした。当時はカラーテレビの普及期で、ガラスクロスは家電製品の基板向け素材として需要が伸びた。1938年の工業化から30年余を経て、日東紡のグラスファイバー事業は電子産業の発展に直接連動する素材メーカーとしての地位を固めた。

  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]1957年4月 福島工場でグラスファイバーの量産を開始した
    • [20]1969年8月 グラスファイバー織物工場を福島工場に新設した
  • 日東紡統合報告書2025
    • [21]1969年 プリント配線板向けのガラスクロスを発売した

戦後の1949年5月、日東紡は東京・大阪・名古屋・新潟の証券取引所に株式上場を果たした[22]。1950年10月には静岡県に綿紡織工場[23]、1956年10月には郡山工場で合繊紡績の生産[24]、1958年11月には富久山工場で合繊紡績の生産を開始した[25]。1962年4月には千葉工場で不燃吸音天井板ミネラートン[26]、同年8月には鈴鹿工場でメラミン化粧板の生産を開始し[27]、建材分野への参入を果たした。1965年9月には千葉・東京両工場を分離して日東紡建材株式会社を設立し[28]、建材事業を別法人として運営する体制を取った。同年、初代社長の片倉三平氏は会長を退任した。

  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1949年5月 東京・大阪・名古屋・新潟の証券取引所に株式上場した
    • [23]1950年10月 静岡県に綿紡織工場を新設した
    • [24]1956年10月 郡山工場で合繊紡績の生産を開始した
    • [25]1958年11月 富久山工場で合繊紡績の生産を開始した
    • [26]1962年4月 千葉工場で不燃吸音天井板ミネラートンの生産を開始した
    • [27]1962年8月 鈴鹿工場でメラミン化粧板の生産を開始した
    • [28]1965年9月 千葉・東京両工場を分離して日東紡建材株式会社を設立した
  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1938年12月 日本初のグラスファイバー工業化に成功した
    • [15]米国オーエンスコーニングファイバーグラス社が同時期にグラスファイバーの工業化を達成した
    • [17]1939年2月 富久山工場でグラスファイバーの量産を開始した
    • [18]1939年11月 東京にロックウール工場を新設した
    • [19]1957年4月 福島工場でグラスファイバーの量産を開始した
    • [20]1969年8月 グラスファイバー織物工場を福島工場に新設した
    • [22]1949年5月 東京・大阪・名古屋・新潟の証券取引所に株式上場した
    • [23]1950年10月 静岡県に綿紡織工場を新設した
    • [24]1956年10月 郡山工場で合繊紡績の生産を開始した
    • [25]1958年11月 富久山工場で合繊紡績の生産を開始した
    • [26]1962年4月 千葉工場で不燃吸音天井板ミネラートンの生産を開始した
    • [27]1962年8月 鈴鹿工場でメラミン化粧板の生産を開始した
    • [28]1965年9月 千葉・東京両工場を分離して日東紡建材株式会社を設立した
  • 日東紡統合報告書2025
    • [16]日東紡は世界第2位のグラスファイバー工業化企業である
    • [21]1969年 プリント配線板向けのガラスクロスを発売した

1965年最終赤字転落と建材事業の自立化

1965年3月期、日東紡績は最終赤字に転落[29]した。戦後復興期の繊維需要を捉えて拡張した工場群と、新規参入した建材事業の立ち上げコストが重なり、収益性が悪化した時期である。同年に片倉社長が退任した直接の契機にはこの赤字計上があったとされる。1923年の創業から戦後20年を経て、日東紡は経営体制と事業ポートフォリオの両面で再編を迫られる局面に至った。

  • 日東紡績 有価証券報告書(1965年3月期)
    • [29]1965年3月期 最終赤字へ転落した

1969年8月のグラスファイバー織物工場新設と同年のガラスクロス発売は、日東紡が繊維事業中心の経営から電子材料への転換を本格化させる第一歩だった。1971年4月には千葉工場で不燃吸音天井板ソーラトン[30]、1975年9月には泊第二工場を新設し[31]、建材分野での生産能力を拡張した。同年10月には日東紡建材株式会社と日東紡不動産株式会社を本体に合併し[32]、建材事業を再び本体内に取り込んだ。1977年12月には伊丹工場を分離して日東紡伊丹加工株式会社を設立[33]した。子会社の設立・統合・分離を組み合わせる事業ポートフォリオの組み替えが、1960年代から1970年代を通じて続いた。1923年から1975年までの約半世紀、日東紡は紡績本業から派生した繊維・化学繊維・ガラス繊維・建材・不動産という5領域の事業を抱える総合素材メーカーとなった。

  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [30]1971年4月 千葉工場で不燃吸音天井板ソーラトンを新設した
    • [31]1975年9月 泊第二工場を新設した
    • [32]1975年10月 日東紡建材株式会社と日東紡不動産株式会社を本体に合併した
    • [33]1977年12月 伊丹工場を分離して日東紡伊丹加工株式会社を設立した
  • 日東紡績 有価証券報告書(1965年3月期)
    • [29]1965年3月期 最終赤字へ転落した
  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [30]1971年4月 千葉工場で不燃吸音天井板ソーラトンを新設した
    • [31]1975年9月 泊第二工場を新設した
    • [32]1975年10月 日東紡建材株式会社と日東紡不動産株式会社を本体に合併した
    • [33]1977年12月 伊丹工場を分離して日東紡伊丹加工株式会社を設立した

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日東紡績の沿革1898〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1898〜1965年福島の絹糸紡績2社合併と世界第2位グラスファイバー工業化郡山絹糸紡績を設立
福島精練製糸を設立
日東紡績を創立★★
レーヨンステープル工場(富久山)を新設
名古屋紡績(新潟)を合併
グラスファイバーの工業化に成功★★
グラスファイバーの生産(富久山)を開始
ロックウール工場(東京)を新設
トヨタ自動車より和歌山工場を買収
東京・大阪・名古屋・新潟証券取引所に株式上場
綿紡織工場(静岡)を新設
合繊紡績の生産(郡山)を開始
グラスファイバーの生産(福島)を開始
合繊紡績の生産(富久山)を開始
不燃吸音天井板ミネラートン工場(千葉)を新設
メラミン化粧板工場(鈴鹿)を新設
千葉・東京両工場を分離し日東紡建材を設立
1965〜2010年繊維撤退と建材縮小 ── グラスファイバー1本への絞り込みグラスファイバー織物工場(福島)を新設
不燃吸音天井板ソーラトン工場(千葉)を新設
泊第二工場(泊)を新設
日東紡建材と日東紡不動産を合併
伊丹工場を分離し日東紡伊丹加工を設立
「特化作戦」による多角化からの絞り込みと品質重視への転換

1965年に綿紡大手のなかで最も早く赤字へ転落した日東紡績が、量を追わず質を求める『特化作戦』を掲げ、事業の的を絞って品質重視へ転換した構造改革。

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★★★
レーヨンステープル・化繊糸の事業を撤収★★
免疫系体外診断用医薬品製造所(富久山)を新設
日東紡ビルディングが完成し賃貸ビルとして営業開始
合繊紡績の郡山工場を閉鎖し富久山事業センターに統合
和歌山工場の綿紡績の操業を終了
富久山事業センターでの合繊紡績の操業を終了★★
泊工場内に設立したニットービバレッジで飲料の生産を開始
祖業の綿紡績からの撤退と、ガラス繊維専業への転換

1990年代の日東紡績が、アジア勢に押された祖業の綿紡績・合繊紡績から撤退し、ガラス繊維(電子材料など)を主力に据える構造改革を進めた事業判断。1995年に就任した相良敦彦社長のもと、紡績拠点を順次閉鎖し、1998年に創業以来の紡績本業を終えた。

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★★★
住友ベークライトとの合弁でデコラニットを設立しメラミン化粧板事業を移管
南園克己和歌山工場の操業を終了
南園克己住友ベークライトとの合弁を解消しメラミン化粧板事業を撤収★★
南園克己会社分割によりメディカル事業をニットーボーメディカルが承継
南園克己日東紡マテリアルの全株式を野原産業に譲渡
南園克己不燃吸音天井板事業を撤収★★
2010〜2025年電子材料の急成長とAI半導体向けガラスクロス150億円投資辻裕一日東紡有限公司の全持分を浙江銀瑜新材料股份有限公司に譲渡
辻裕一Baotek Industrial Materials Ltd.を子会社化★★
辻裕一日東紡アドバンテックスを設立
辻裕一ニットービバレッジの全株式をライフドリンクカンパニーに譲渡
出典・参考
  • 日東紡績 有価証券報告書(1965年3月期)
  • 日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
  • 日東紡統合報告書2025
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968年)

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