この判断の核心は、赤字の祖業をどう縮小するかではなく、会社の主力そのものを別の事業へ入れ替えた点にある。汎用の綿紡績を捨て、技術で差のつくガラス繊維へ資源を集中する——相良敦彦社長は、拡大の夢を語る役回りをあえて避け、不良資産を圧縮して一点へ絞る改革に徹した。祖業を畳むには、綿紡績で生きてきた会社としての痛みがともなう。将来的に成り立たない事業にけじめをつけるという相良社長の言葉には、その痛みを引き受ける覚悟がうかがえる。
転換を可能にしたのは、1938年に工業化したガラス繊維という、繊維とは別の技術を早くから抱えていたことであった。逃げ込む先ではなく、育てて主力に据えられる事業が社内にあったからこそ、綿紡績の撤退は単なる縮小ではなく、次の柱への乗り換えになった。もっとも、ガラス繊維に主力を絞った身軽な会社が、その一点でどこまで戦えるのかは、この転換の先に残された問いである。祖業を手放して得た集中が、次の成長につながるのかどうかは、以後のガラス繊維事業の展開が答えていくことになる。